あまりに長くなった「ひとこと感想」その14。
「赤ん坊という名の天使」というタイトルが、下書きファイルに残っていた。
私がこの映画を観た後一番印象に残ったのは、冒頭の裁判シーンで、子どもをさらって逃避行を続けた被告希和子が最後に口にした言葉だった
自分がしたことは悪いことで、人を傷つけ、多くの迷惑をかけたのを申訳なく思っている。でも、自分としては後悔はない。そう言った後、彼女はこう言って深々と頭を下げる。
「私に本当に幸せな4年間を与えて下さって、どうもありがとうございました。」
赤ちゃんというのは、それくらいのインパクトを持つことがある・・・ということ。
私は元々は子どもが苦手な方で、赤ちゃんを見て即「きゃー可愛い~♪」というような感覚が解らなかった。けれど、自分で赤ん坊という生き物の世話を日常的にするようになって間もなく、「これは人間なんかじゃない。神サマの領分に属するような何か?なんだ・・・。」などと、半ば本気で思うようになった。
自分では何も出来ず、誰かに世話してもらわなければ生命の維持も危ういような、一見無力で無能?な存在なのに、見る者に信じられないくらいのエネルギーと、癒され浄化されるような感覚と、(何の根拠もないのに)何か明るい出来事が待っているかのような、未来への希望?を与えてくれる。「自分の子ども」だからではなく、ただ「赤ちゃん」という存在であるだけで。
希和子ほど傷ついて、しかも「子ども」を切望する気持ちのままで、生後6ヶ月の赤ちゃんが眠っている姿を目にしたら・・・もしかしたら私でも、連れて逃げてしまうかもしれない。そんなことをふと思った自分自身に、私は正直驚いた。
もちろんそれは犯罪で、子どもの家族を苦しめ、癒しようのない深い傷を残すのはわかりきったこと。そもそも子ども本人の長い人生を思えば、人として絶対にやってはいけないことだ。けれど・・・そんな理性はどこかに飛んでしまうほど、自分の傷の痛みを癒してくれる「天使」の魅力に圧倒されてしまうかもしれない・・・そんなことを一瞬、私は思ったのかもしれない。
希和子のしたことの身勝手さ!に、昔の私なら本気で腹を立てただろう。彼女に限らず、自分たちのやったことがどれほど子どもには呪いや枷になるかを考えようともしない親に、私自身は嫌悪しか感じなかったと思う。
けれど今この歳になって、親という生き物がいかに自分の子どもとの距離を上手く取れないか、いかに粗雑に子どもを扱うか(そのこと自体は一概に悪いこととも言えないけれど)、時に不満や鬱憤の捌け口にしてしまうものか・・・そういったことを(親の立場で)知ってしまった後で、「親子」というものを正論であれこれ言う気には、私はなれないのだと思う。
この映画に出てくる女性たちは、順風満帆な人生からは遠い生き方を強いられた人たちだ。例えば、希和子に幼い娘を連れ去られた母親恵津子の、その後の姿には本当に胸が痛んだ。(この人を批判することなど、今の私にはとてもできない。)
そんな彼女たちが、自分に刻印されてしまった?体験・記憶を抱えて、それでも(諦めずに)その後の人生をどう生き抜いていくのか・・・。
「八日目の蝉」が誰を指すのか、原作を読んでないせいもあって私にはよくわからない。しかし、普通七日目で終わるべき人生が終わらなかったのだとしたら、人はその事の意味を考えざるを得なくなる。私は人間というのはそういう風に出来ている・・・と思うようになった。
この映画では、男性たちは、ほとんどまともに取り上げられていないような印象を受けるくらい、「小心で自分本位」のツマラナイ奴に描かれているように見える。私自身は、もしかしたらその事が一番残念だったかもしれない。
映画を観ていて時々感じることだけれど、男性が「蚊帳の外」扱いされるのが、私はよほどイヤなのだと思う。この映画についても、「楽園のような」小豆島以外の場所での、もう少し違った男性像(主要男性2人のその後とかでもいいから)を見てみたかったと思う。
「そんなに見えませんでした」と言われて安心しました(^_^;
ありがとうございました。
全然関係ない話なんですが、『宇宙兄弟』私も観ました。
お茶屋さん、甥御さんたちと観に行かれたんですね。
楽しそうでいいなあ・・・って思いました。
うちはオトナになっちゃったら、なかなかつき合ってもらえなくなりました。(光陰矢の如し~(^_^;)
人間の赤ちゃんは特にイケてると思います。甥でいろいろ実験してしまいました(^_^;。
>でも外から見たら、私の書くことも「子供を持たない人は蚊帳の外~」に見えるかもしれませんね・・・。
私はそんなに見えませんでしたので、ひとまずご安心を(^_^)。
>どこまでも軽々と宙を舞っているみたい
さんせーい!(^o^)
ヘビさんには悪いけど、私もお会いしたくないな~。たどえ子どもでも赤ちゃんでも(虫全般が苦手。って、ヘビは虫か?)
・・・確かに、苦手な赤ちゃんもいるわけですね(考えてなかった(汗)。)
>女性映画であっても子どもを持たない女性は蚊帳の外みたいな映画もありますね。
ありますね。ただ・・・私自身はそういう映画については、蚊帳の外に自分から出たくなります(ホント)。
『八日目の蝉』はそういう意味では、なかなか微妙というか、ギリギリセーフ?というか・・・
なので、正直私は私で、この映画は好きではないんです。
私が「赤ちゃん万歳」みたいなことばっかり記事に書いたのも、「母親と娘」の難しさとか「不倫の連鎖」とかいうようなベタベタした話にあまり近づきたくないからなんでしょうね。
「赤ちゃん万歳」は、私にとっては、生きていれば誰しもその人なりに出会う「新鮮な体験」の1つにしか過ぎないので、この映画について書けるのはせいぜいそれくらいだったと。
でも外から見たら、私の書くことも「子供を持たない人は蚊帳の外~」に見えるかもしれませんね・・・。
(私からすると、仕事してる人が仕事上遭遇する、何か趣味がある人がそこで出合う、そんな出来事とそれほど違わない気がしてるんですが。)
ともあれ「そういうのが鑑賞後にのしかかってくる息苦しさ」については、私も同じです。
しんどくなるので、アタマが勝手に「(映画のことを)なるべく思い出さない」ようにしてくれてる気がするくらい。
そういう息苦しさがなぜか無くて、どこまでも軽々と宙を舞っているみたいに見えたので、あの白いイップマンは好きだったんだと思います(笑)。
(支離滅裂のレスでスミマセ~ン。)
男性が蚊帳の外の映画があれば、女性映画であっても子どもを持たない女性は蚊帳の外みたいな映画もありますね。
『八日目の蝉』がそうだとは思わないし、それどころか感動させられたし、丁寧に作られたよい映画だと思っていますが。でも、好きではないんですよね~。
どうしてだろうと思ってたんですが・・・。
>そんな彼女たちが、自分に刻印されてしまった?体験・記憶を抱えて、それでも(諦めずに)その後の人生をどう生き抜いていくのか・・・。
そういうのが鑑賞後にのしかかってくる息苦しさかなぁ?観た当座は、そうでもなかったのに、思い出すとしんどくなっちゃいます(とほほ)。