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眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

眠れない男 ・・・・・ 『タクシー・ドライバー』

2011-04-18 16:38:19 | 映画・本

(以下の記事は映画の結末に触れています。未見の方はご注意下さい。)


「アメリカン・ニューシネマ最後期の傑作」と言われるこの有名な作品を、私はこれまで一度も観たことがなかった。今回「午前十時の映画祭」で初めて観て感じたことを、少しだけでも書いておこうと思う。ただ、感想はいつも以上に漠然としていて書きにくい。

この映画の主人公トラヴィスは、職を求めてやって来た小さなタクシー会社で、自分から夜勤を希望する理由を訊かれて「夜眠れないから。」と答える。

彼が「どうしても眠れない」理由は、深夜ニューヨークの下街を流す、彼の「営業」風景に重なるモノローグ(日記?)から少しずつ判ってくる。運転席の窓から見える街の様子、人々の行動を、彼は口を極めて罵っているのだ。路上にはゴミが散らかり、縄張りやドラッグを巡っての喧嘩、競うように媚びを売る(と彼には見える)売春婦たち・・・トラヴィスにとっては嫌悪の対象でしかない、ニューヨークの、アメリカの「日常」。

トラヴィスの内部には、不満と怒りが渦巻いている。

「こんな筈じゃなかった。こんな風景を見るために、こんな風に扱われるために、自分はあの戦争に行ったんじゃない!」

けれど、街の人々は勿論、ドライバー仲間も、乗ってくる客たちも、そんな彼という存在を気にも留めない。世間の「現実」は、若く無一物な元帰還兵などに興味は無いのだ・・・というように。

トラヴィスは、日々思う。

「何かが間違っている。」。

トラヴィスは、好意を持った選挙事務所の女性職員との行き違いをきっかけに、行動を起こす。闇で武器を手に入れ、射撃の訓練をし、身体を鍛える。自室でひとり、鏡の中の自分に向かって尋ねる。「俺か?」「俺に向かって言ってるのか?」そして、銃を瞬時に構える。彼の顔には不敵な笑みが、時には憎悪と怒りが浮かぶ。少しずつ、彼は「こうありたい(別の)自分」へと、自身を作り変えていく・・・。

その後のトラヴィスの行動は、およそ行き当たりばったりにも見える。フラレた女性の選挙事務所の候補者を狙撃しようとして、SPに見咎められて逃走。その後は一転、偶然知り合った13歳の売春婦(ジョディーフォスター)を助け出そうと、彼女のヒモ(ハーヴェイ・カイテル)の所へ武装して乗り込む。そして、見張りもヒモも彼女の客も射殺した後、自分も死のうとしたのだが・・・。


「腐敗」した世の中。そこで「何事も起きていない」かのように、楽しげに(浅ましげに?)暮らす人間たち。そういった、彼を無視して過ぎていく「日常」に対するトラヴィスの怒りと苛立ちは、私にも解る気がする。彼が「眠れない」理由・・・それは彼が(今も)ベトナム帰還兵のままだからだ。

この映画が公開される前年(1975)、サイゴンは陥落、ホーチミン市と改名され、15年間続いたベトナム戦争が終わる。帰還兵がアメリカ国内で問題となっていた頃は、遠い日本の中高生の一人だった私も、テレビの特別番組などで本人たちへのインタビューを見ることがあった。

帰還兵だという若い人たちは、一見ごく普通のアメリカの人に見えた。けれど中には、子どもの私にさえ「何か」を感じさせるような暗い瞳の人もいた。話していた内容は殆ど覚えていない。けれど、今改めて思い出してみると、私の子どもの年齢に当る彼らは当然ながら本当に若かった。それなのに歳に似合わぬ「人生に疲れた」かのような深い疲労が顔に浮かぶ瞬間があり、いくら言ってもどうせ伝わらない・・・といった、諦めを感じさせる話し方をしていた人もいたのを覚えている。

今回トラヴィスを見ながら、あの時テレビに映っていた人たちの心の中には、こういう持っていき所のない怒りが渦巻いていたのかもしれないな・・・と、改めて思った。それくらい、ロバート・デ・ニーロ演じるトラヴィスは、説得力のある人物像だったのだ。

トラヴィスを見ていると、例えば秋葉原や仙台での無差別殺傷事件の実行犯となった人々を思い出した。生きていること自体が困難になりつつあるような今の日本の社会で、孤独に苛まれ、追い詰められていく人々の姿と、トラヴィスはきれいに重なってくるように私は感じたのだと思う。

ただ、私自身はそういった怒りが「外に向かう」種類の人間ではないので、「社会に向かって」行動化する、その一歩が実感としてワカラナイ。『タクシー・ドライバー』の感想がなかなか書けないのは、たぶんそれが一番大きい理由だと自分では思う。それでも、そんな私にも、この映画のエッセンスはきちんと伝わって来た。言葉には上手くできないけれど、自分ではそう思うのだ。

『タクシードライバー』という映画の特色をひとことで言うなら、私にとってはそういう「普遍性」だったと思う。血みどろの殺戮シーンよりも、私はこの「普遍性」にショックを受けた。

ニューヨークという街そのものを感じさせる映像、信じられないくらいそれにピッタリのサックスの響き、そしてキャストの名演技。それらすべてが相俟って、突拍子もない?ようなストーリーを、ソモソモ「共感」しにくい観客(私)に、「普遍性」として感じさせる作品に仕上がっている・・・。

マーティン・スコセッシ監督というのはこういう作り手で、ロバート・デ・ニーロは(元々は)こういう俳優さんだったんだ・・・と、映画が終わった瞬間、つくづく納得した。これまでは2人とも、私には正直、イメージがもうちょっとのところで定まらない?人だったのが、最後のピントが合うのを感じた。

タイムマシンに乗って2人分のミッシング・ピースを見つけた2時間の「時空旅行」・・・もっと早く観ていたら、これまでに観たスコセッシ監督の作品もデ・ニーロの出演作も、もっとくっきりと私の眼に映ったんじゃないかと思う一方で、この歳で初めて観た幸運も感じる。

若い頃に観ていたら、このピースは見つからなかったかもしれないから。それくらい、以前の私は「内側に向かう」ことしか理解出来ない人間だったと自分でも思うから。

人の「怒り」というのは、向かうベクトルが違っていても本質的には同じものなのだと実感として理解出来るまでに、私は長い時間を費やしたのだと思う。トラヴィスの「怒り」も、私が長年抱えていた内なる怒りも、それほど変わらないことが今の私には理解出来る。

そういった「怒り」の行き着くところを「狂気」というなら、狂気とは「正常」な人間の延長上にあるものだ。個人的には、殺人犯のトラヴィスが英雄扱いされてしまう世間の有り様よりは、社会への怒りから突然殺戮に走る個人の方が、私には少なくとも人間らしく感じられる。


そんなこんなを、ぼんやり何日も考えた。ベトナム戦争のことも少し調べて、あの頃テレビを観ながらなぜか居心地の悪かった私としては、また一つ、長年の「宿題」に手をつけることが出来た気もしている。

何を見ても聞いても、外に対して「怒り」を感じることがなかった私が、こういう映画に共感する日が来ようとは思わなかった。そういう自分自身に、私は今、一番驚いているのかもしれない。





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Oh!ムーマさんの感想、読めた~! (お茶屋)
2011-04-22 19:35:49
サンキューです(^o^)。
とても面白い、考えさせられる感想でした。私が考えてきたこととかなり重なっていて、なんか嬉しい(笑)。自殺も他殺も怒りの矛先としては間違っているけれど、それ、正気じゃできないですから。エネルギーもいるし。また、「怒り」の中身も色々ですよね。正当性がなければ単なる「不満」になってしまうし。パケラッタからリンクした感想に「変です。みんな変です。」というのがあって、なんだか可笑しかったけど、本当に変ですよね~。トラビスを英雄に祭りあげる世間(の人たち)も(特に)変だし。それってマスコミのせいだろうと思うのですが、それも含めて確かに普遍性がありますよねぇ。ラブ&ピースの時代を過ぎた1976年だからこその作品で、今の時代も通用する、というか益々輝いてくるような(^_^;、おっそろしい作品です。

>2人分のミッシング・ピースを見つけた2時間の「時空旅行」

わ~、そうだったんだ。私はデ・ニーロは今もってわかりませんが、スコセッシはどの作品を観ても、映画が好きで好きでたまりませんというのが表れていて、だからこそ後味のよろしくない作品を撮っても私は好きなんです。
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息切れしてます(笑) (ムーマ)
2011-04-24 13:02:48
>お茶屋さ~ん

書き始めてみたら、なんだかずいぶん大がかり?になってしまって、自分としては(中身の乏しい)大風呂敷広げたみたいで、ちょっとハズカシイです。でも・・・

>今の時代も通用する、というか益々輝いてくるような(^_^;、おっそろしい作品です。

そう! 私もほんとにそう思いました。

「2人分のミッシング・ピースを見つけた」というのはごく感覚的なモノで、説明しようにも出来ないんですが、ただデ・ニーロがああまで一生懸命に「ナルシシズム」を演じている(という風に私には見えた)のを観て、私はなぜか「この人はこういうヒトなんだな・・・」って、丸ごと納得してしまったみたい。
今まで彼に対して持っていた「なんとなくヨクワカラナイ(でも演技のとても上手な)」人っていうイメージが「とにかくこーゆー人」って風に変わりました(笑)。

>スコセッシはどの作品を観ても、映画が好きで好きでたまりませんというのが表れていて

ほんとにそうですね。
「映画」も「映画を作ること」も、本当に好きな人なんだな~って思いました。

関係ない話なんですが、アニメーションの『シャーク・テイル』で、フグだったかハリセンボンだったかをスコセッシ監督が吹替えてらして、キャラクターのモデルにもなってた(笑)と思います。
あの可愛らしさ!はこの監督さんから感じられる「どこかに軽さのある感じ」と合っていて、スコセッシ監督の映画を観るたび、あのオサカナの顔が浮かびます(笑)。
今回の『タクシー・ドライバー』でも、そういう軽さをどこかに感じて・・・私はそういうところが好きなのかもしれません。
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お久しぶりでした (K:T)
2011-07-01 01:28:24
僕は、この作品17才でみました。忘れられない一本です。因みに『ディア・ハンター』も大好きで、何回見たかわからないくらいです。
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お元気でしたか~(^o^) (ムーマ)
2011-07-04 10:42:48
>K:Tさ~ん

世の中はほんとに大変そうですが、K:Tさんはお変わりなかったですか。
『タクシー・ドライバー』17才で観られたなんていいですね~。
私も若い頃に観ていたら、鮮烈な記憶が残っただろうと思いました。 

『ディア・ハンター』も、私は観たことがなくて、9月にTOHOシネマズの「午前十時」シリーズで上映されるのを待っているところです。
K:Tさんのお気に入りと聞いて、ますます観るのが楽しみになりました。
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