眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

『パターソン』(録画) 

2018-11-22 13:28:39 | 映画・本

(映画の結末にも触れています。未見の方はどうぞご注意下さい)



ジム・ジャームッシュ;監督・脚本
2016年 アメリカ=ドイツ=フランス制作

この映画を上映時に観られなかったのが残念で、TV放映を知って喜んで録画。結局、3週間で3回観た。
短期間に何度も観るのは、私としてはめったにないこと。
どうしてそこまで「気に入った」?のかを、少しでも書いておけたらいいな・・・と。


映画の設定その他をざっと。

アメリカ東海岸、ニュージャージー州に実在するパターソンという町で、市営バスの運転手をしている男性(名前もパターソン)が主人公。彼は、暮らしの合間に心に浮かぶ「詩」を、小さなノートに少しずつ書きとめている。この映画ではそんな彼の「日常」が、月曜に始まり次の月曜で終わる1週間、手書きの文字で映し出される「詩」を重ねながら、淡々と描かれていく。

朝6時過ぎ、隣で眠る妻(ローラ)にそっとキスして、起床。一人でシリアルを食べてから、歩いて出勤。仕事が終わると、帰宅。妻の一日の話を聞き、一緒に夕食。その後は愛犬マーヴィンと夜の散歩へ。いきつけのバーでビールを1杯だけ飲んで帰宅。また妻の隣で眠りに着く・・・

パターソンの毎日はその繰り返しで「相変わらず」のように見えるのだけれど、彼にとってはそうではない・・・ということが、映画を観ているうちにわかってくる。小さな世界の中でも、彼はさまざまな人に日々出会っていて、大層なものではなくても「事件」も起きる。そしてそれらは彼の心に波紋を残し、あるものは一遍の詩への入り口となる。


イラン系と思しき妻のローラは、表現意欲・創作欲が旺盛な女性。大好きな白黒トーンでカーテンや衣服をデザインし、カップケーキを個性的に?彩って焼いて、それをバザーで売るビジネスを考え、愛犬をモデルに絵を描いて部屋に飾り、夫にねだったギターの練習をして「カントリー・ミュージックのスターになる」夢を叶えようとする・・・などなど、「今」を目一杯生きている人に見える。

そんな妻の言うことに、パターソンは全く逆らわない。どちらかというと無口で、感情表現も控えめな彼は、可愛らしい顔立ちと美しい肢体を持つ彼女を「ただただ愛している」ことが、日々の会話からも、彼が書く「詩」からも、静かに伝わってくる。

私は最初、このあまりに無邪気な女性を、ちょっと違和感というか苦手気分?を感じながら見ていた。けれど終盤、パターソンが大事にしていた「秘密のノート」を失ったときに、彼女が見せた細やかな気遣い、悲嘆の様子で、私はこの人を見誤っていたのを知った。

夫が携帯電話を持ちたがらないこともさほど批判しない。詩のコピーだけは取っておいた方がいいと言い続けていたけれど、その前に夫がノートを失っても「だから言ったじゃない!」「コピーしておけば良かったのに」などという言葉は浮かびもしない。

「素敵な詩なんだから、発表すべきよ」「本になるかもしれないのに」・・・と口にはしても、それ以上に、夫にとっての「詩」の重要性自体を(おそらくは本能的に)彼女は理解しているのだと感じた。それは彼女自身が「表現する(しようとしてしまう)者」で、「現実」だけでは生きられない種類の人間?だからでもあるのだろうと。(対照的な性格であっても、その部分では「似たもの夫婦」なのかも)


映画を見て感じたこと、気づいたことから妄想したこと(^^;を書き出すと、なんだかキリがなくなりそうだ。それくらい、この映画は観る者の想像を誘う仕掛けに満ちている。(観る度に、私にもささやかな新発見!があったけれど、気づかずに通り過ぎていること、見逃してることが、たくさんあると思う)

妻から「双子」の話を聞いてから、街中やバスの乗客に双子が目につくようになったパターソンと同じく、私たちも何組もの双子に出会う。彼の書き物机に並ぶ本の題名が知りたくて、録画を止めて一冊一冊確かめたくなる。妻と眠るベッドの枕元には海軍?の軍服姿の若い男性(パターソン本人?)の写真があり、そのせいで、「どんな乗り物を操縦したの?」という少女の問いに「普通のバスと、車と、大型トラックが2,3回」と答えた後、一瞬表情を曇らせてから「・・・それだけだ」という彼の過去を、つい想像したくなるのだ(一体何があったんだろう。彼の静かな眼差しは、「詩人の眼」というだけじゃないような気がする・・・などなど)。

作品全体としては、ある種のファンタジー(寓話的な?)として作られた印象が残る。(私は元々、そういう映画とは相性がいいらしい) けれど私が(3回も観るほど)気に入ったのは、この映画が「詩」を取り上げて、それを「映画」と融合させて、心地よく見せてくれていたからだと思う。

詩を紡ぎだす手書きの「文字」、それを読む「声」、作り手の表情、そしてバスの窓外を流れていく町の風景。それらはただ「過ぎ行く」だけで、ほとんど人の人生のよう。「時」は一瞬も止まらず、その中に私たちは生きている・・・私にはそんな風に見えたのかもしれない。(映画全体がほとんど一遍の詩のようだった)

作品中でパターソンや少女が書いている詩は、実在の詩人(ロン・パジェット;現在77歳)の作品だという。平易な言葉・表現で、なだらかに創出される(ように見える)それらの「詩」は、まるで「誰にでも書ける」かのようで、その易しさ・巧みさに私は驚き、その後はもう、なんだか陶然としてしまった。


詩を書く少女とのエピソードは、絵画の美しい小品のようだったけれど、ラスト近くに登場する日本人旅行者とのエピソードも、別の意味で面白かった。

堅苦しい英語を使う一風変わった日本人旅行者(永瀬正敏)は、若い頃の私なら「蛇足じゃないかな?」とか思って、ちょっと失笑してしまいそうなキャラクターに見える。けれど、60代の今こうして観ていると、この異国の詩人の目に、傷心のパターソンがどう映っているのかが、なんだか判るような気がして・・・旅行者が最後の最後に、わざわざ振り返って、「エクスキューズ・ミー」に続けて口にした「ア、ハー」(^^;の意味も、私流に想像してみた。


「パターソンのバス運転手。あなたはやっぱり詩的だ」そして「今のままで、あなたは詩人なのですよ」。

 
最後に・・・

愛犬マーヴィン役をひとり(一匹だけど)で演じたというイングリッシュ・ブルドッグのネリーが、カンヌ映画祭でパルムドッグに選ばれたのに、それ以前に病気で亡くなったと聞いて悲しかった。ホント、あのワンちゃんが最高!でした。(あのスタント場面!も本人だったとか)







(初めてこの映画を観た後に書いた日記があります。映画の内容にはほとんど触れていませんが、一応ここにも貼っておきます)

http://blog.livedoor.jp/hayasinonene/archives/2018-11-06.html「『パターソン』を観ました~(^^)」

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 空のかたち、雲の名前 | トップ | 知らなくてよかった(^^)... »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
観られてよかった(^_^) (お茶屋)
2018-11-25 16:03:58
ムーマさん、観れてよかったですね。
色んなことに気がつかれて、よかったよかった。
私も色々気がつきたかったのですが、自分自身のコンディションがよくなくて~。
リンク先も拝読しました。
『シン・レッド・ライン』を観たときも思ったのですが、この映画を365日上映してくれる映画館があったらなあ!
返信する
ほんと、よかったです(^^) (ムーマ)
2018-11-26 11:13:35
上映時に観られなかった後、お茶屋さんの感想読んだのですが
「とにかくイロイロちりばめられてる映画らしい・・・」ということだけ?アタマに残っていて(^^;
「観ることがあったら、絶対2回は観よう!」って決めてました(本当)。

ホント、み~んな「芸術」してましたよね~(自然にそう見えてきちゃう)
平和で・・・あんな風に人生送れたらいいのにって思っちゃった。

ちょっと相性イマイチ?だったジャームッシュ監督に一遍に親近感を持ちました。
「365日上映してくれる映画館」があったら、もちろん常連になります(^^)

リンク先まで見て下さったなんて・・・嬉しかった。
来て下さって、書き込んで下さって、本当にありがとうございました。
返信する

コメントを投稿

映画・本」カテゴリの最新記事