眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

工事タイフーンの贈り物 (「化学物質過敏症」の話)

2008-06-01 17:09:24 | 家族
昨年末、今住んでいるマンションで構造上の不具合(というか何と言うか)が見つかった。のほほんな私がボーっとしている間にも調査がなされ、今年に入って、その改修工事について、住人たちと業者の間での話し合いが持たれた。

原因不明の「不具合」ということで、話し合いはスムーズには進まなかった。

マンション全階での、一部は室内に入って床板を剥がす・・・というような、かなり大規模な工事になるということで、その必要性の有無に納得がいかない人、原因をもっと明らかにしてほしい人、本社の責任のある立場の人間が説明と謝罪に出てくるべきだという人・・・などなど、色々な意見が出た。

自分に直接関係のある話なので、私も何度かマンションの集会室に足を運んだ。

自分の住むマンションの工法だの構造だのについて、購入した側なのに全く知らなかったというのも迂闊な話だけれど、初めて聞く建築の話は新鮮といえば新鮮で、それ以上に「人はさまざまだな~」などと、普段世の中から離れて暮らしている身には、驚くことも多かった。

人が問題にする箇所、拘る部分というのは、人によって随分違っているのだというような当たり前のことでも、私には実際に目の前でそれを見る、聞くことが、珍しかったのだと思う。なんだか何か「交渉事」のシミュレーションをしているような気分になったりもした。本当は現実そのものの話だったのだけれど。

それでも、業者の側の説明会や住人同士の話し合いが繰り返された後、何ヶ月遅れかでなんとか工事は無事開始された。

私自身は最初、今回の改修工事には疑問を感じることが多かったけれど、その頃には話し合いの不毛さのようなものに疲れ、工事が始まる(事態が一歩前進する)ことを歓迎する気持ちになっていた。


実は、幸か不幸か我が家は「室内に入っての工事作業が必要」な世帯の1戸だった。(他にも20戸ほど、同様の工事が必要な家があった。)

自宅内の2部屋について、家具その他の荷物をすべて退かして、部屋の床板全体を剥がせる状態にしなければならない。作業には3週間ほど掛かるので、その間誰が自宅に残るか、誰が用意される賃貸のマンションに仮住まいするか、退かした荷物をどうするのか・・・私も家族も、決めるのに少し時間が掛かった。

普通の引越しなら、「20年で10回引っ越した」経験もあり、もうアキラメて段取りを組んでするしか仕方がないのだけれど、今回のような「中途半端」なのはこれまでにやったことがない。中途半端な分、家族ひとりひとりの都合を考慮する必要がある。

それに何より、今の自分の体力では、そもそも「引越し」などという芸当ができるかどうか・・・と、私は不安だった。この、「今の自分の体力」というのにも、少し説明が要る。


私は元々、しょっちゅう「ウツのクマ」が遊びに来るようなヒトだ。生来タフさからは程遠い弱虫なので、引越しのような大掛かりなことは当然ストレスになる。

が、この1、2年はその上に「化学物質過敏症」に似た症状が現れるようになっていた。


「化学物質過敏症( Chemical Sennsitivity : CS)」というのは、名前の通り、日常使われているさまざまな化学物質にアレルギーを起こすようになることを言う。シックハウスとか、最近ではシックスクール、シックビル(職場の建物など)などという言葉もあるけれど、それらもこのCSの一部にあたる。

CS支援センター作成のリーフレットによると以下のような説明になる。

「一度に多量の化学物質に曝されたり、少量でも長期に渡って曝され続けることによって、その人の体の許容量を超えたときに、拒否反応として一気に発症する。」

「一度過敏性を獲得すると、その後はごく微量で強い拒否反応を繰り返し示すようになる。」

「たいていは、発症のきっかけになったものだけでなく、それ以外のさまざまな化学物質にも反応を示すようになる。」


およそあらゆる化学物質が問題になるのだろう。「発症者が反応を示す主なもの」として、「防虫剤・殺虫剤、合成洗剤、消臭剤・芳香剤、各種化粧品、クリーニングの溶剤、農薬、塗料やインクの溶剤、タバコの煙、排気ガス・・・」などと書かれている。

こうして物の名前を列挙すると、結構色んなものにヨワクなるんだな~といった感じだけれど、現実はというと、健康な人の想像を絶するような大変な生活になることもある。


私は知人に発症した人がいるので、その人のブログなどを見ると、自分がまだ「発症」してはおらず、単なる「モドキ」状態であることが、とても恵まれたことなのだと本気で思う。

知人は家族と自宅に住み続けることを諦め、「ラクに深呼吸できる」環境を求めて、家探しを根気よく続けた後、山荘のような家を借りて、一人で移り住むことを選んだ。それは単なる引越しなどとは違って、大変な労力を掛け、それでも物件が見つかるかどうかは判らず、しかも体力の無い本人にとっては、人里はなれた場所でのひとり暮らしというリスクを負う生活になることを意味する。(元々行動力があり、人間関係の上手な、広い人脈のある彼女にとっても、自分の体が許容する家と環境を一軒一軒探すのは大変な負担だったと言う。誰にでも出来るようなことではないと、私などは思う。)


私の状態が、彼女の発症以前の様子とよく似ているので気をつけた方がいいと、かつて言われたことがある。自分でも症状を自覚する機会が増えてきて、最近では人中に出るときや建物の中に入る際は、活性炭入りのマスクを常時掛けるようになった。

花粉症やインフルエンザの季節でもない時期に、白いカラス天狗?風のゴツイマスクをしているのは、ちょっとヘンな格好に見えるかもしれないけれど、帰宅してから頭痛に悩まされるよりはマシなのだ。(ひどい時には、頭痛ではすまない。着ていた服を全部洗濯機に放り込み、自分は無理にでもシャワーを浴び、髪も洗って、そのまま倒れ込むように寝てしまうハメになる。)


という訳で、今回の工事が室内での作業を伴うと知った時から、他家の迷惑にさえならなければ、我が家は室内工事をせずに措きたい(そのせいで、将来不利益を蒙ったとしても仕方ない)という希望を業者の方に出していた。家族も私の普段の様子を知っているので、今回の工事が引き金になって私が「発症」してしまうことを、本気で心配してくれたのだ。

しかし、事前の話し合いを重ねるうちに、我が家だけしないという訳にはいかないことも分かってきた。


家族は皆「要するに、今回のことが一番問題になるのはアナタ(私のこと)だから・・・」と言い、避難先として用意された「新居」には、結局私ひとりが3週間、移り住むことになった。

「新居」は勤務先から少し遠く、インターネットも出来ないので、自室が工事箇所で寝る場所が無くなった2人も、多少の不便は我慢するとして自宅に残る方を選んだ。そもそも昼間仕事で家にいない者は、移る必要を感じないのだと言われると確かにそれもそうだった。


ところが・・・・・置き場の無くなった家具その他を、倉庫に預ける「引越し」の1週間前、まず家族のひとりが風邪で寝込んだ。熱がなかなか下がらず、それでもなんとか「引越し」当日に間に合ったと思ったら、荷物の搬出後「新居」に移った私が、今度は同じような風邪と判った。私の熱が下がる頃、また別のひとりが体調を崩し、何も食べられなくなる・・・といった具合で、我が家としては珍しく、工事期間の3週間には病人が続出!した。

GWに鹿児島での法事に出席する予定だったのが行けなくなったヒト。仕方なく?父親と2人きり、水入らずで2泊3日の旅行をすることになったヒト。

恒例の「オフシアター・ベストテン上映会」に行けなくなって、シオシオと断りの電話をかけたヒト。(もちろん、これは私。「出来ることがあれば、お手伝いします」の予定にしてあったからだけれど、実際には出来ることはさして無く、そもそも今となると上映会場に長時間いられるかどうかも、行ってみないとワカラナイという状況。それでも、一日中映画気分の中に浸っていられて、映画の大好きな方たちとも気楽に話が出来て、とても楽しかった記憶が過去にあるので、行けないのはやっぱり悲しかった。)


一方、工事が始まるとその影響も勿論出てきた。

平日は、きちんと居住空間と作業空間を分ける努力が成されているにもかかわらず、夕方作業が終わった後でも、自宅内の空気が私にはダメだった。最初は夕食の用意くらいしに行こうかと思っていた私も、さっさと諦めて、作業の無い日曜祭日(で、自分が行ける場合)だけ、自宅に戻ることにした。


そんな具合で、私が殆ど自宅に戻らなかったため、家事については息子2人が「丁度半々で」分担したらしい。たまに私が帰った際も、ゴミは出してあり、洗濯もしてあり、毎日の夕食も「取りあえずはナントカなってる」状態だった。

父親はというと、息子たちも本人も口を揃えて「何もしなかった!」とのこと。

彼は元々、家事にせよ何にせよ、必要なことは自分でする人なので、「他の2人がやってくれるので、何もする必要が無かった」ということなのだろう。私に対しても、「引越し」当日の采配その他、その後の自宅の家事についても、何も期待していない様子で、実際私も何もしなかった。案外、息子たちに珍しい経験をさせようとでも、どこかで思っていたのかもしれない。

後からそれに気づいた1人が、「晩飯ナントカ用意してたのがマズカッタのかもしれんな~。今日はナンもないって言ったら、それなら何か取ろうとかゆう話になったんかも・・・」などと、ぼやいて?いたのが可笑しかった。


という訳で、実は今回私が一番驚いたのは、下の息子が予想以上に頼りになるということだった。(父親の食事の用意をしていたのは、殆ど彼だったらしい。)完全な「夜型」の彼が、普通の「昼型」生活をするだけでも結構大変だろうし、しかも自分の部屋は無い。プライバシーの人一倍必要な年齢の彼の部屋が工事で使えなくなることも、私はちょっと心配していた。

が、フタを開けてみると、特に問題になるようなことは何も無かった。

彼はちょっと眠そうな顔で、一日に一度「新居」の私の見舞い?にやって来て、しばらく本やゲームやその他モロモロ(自宅の様子も少しだけ)の話をした後、悠々と両手を離したまま自転車に乗って帰っていった。「引越し」当日の予定時刻や、兄の体調不良(「僕らは法事に行っちゃうから、余裕があったら一人になるオニーサンのヘルプに来てやって下さい」)も、彼がメールで知らせてきた。

「新居」を引き揚げてきた時、私が「毎日来てくれて、ありがとうね。」と声を掛けると、彼は頷いて、いともあっさりこう言った。

「あんなトコにずっと一人で居っても、寂しいから。」


私は一見クールに見える彼が、「寂しい」という言葉を口にするのを、初めて聞いたような気がした。表情があまり変わらず、口数もそれほど多くなく、淡々として、しかも必要なことは自分で判断して黙って実行する彼の様子は、若い頃の彼の父親によく似ていると改めて思った。


一方、上の息子はそれまでも、仕事の関係もあって生活サイクルが違う(朝も夜も早い)ので、自分の食事は全部自分で用意していた。同じ家に住んではいるものの、実質的には一人暮らしに近い。仕事が休みの日にも工事の騒音がついてまわるのと、作業をする側との連絡その他があるとしても、私が特に心配するようなことは無かった。ただ、細かい気の配り方をする人なので気疲れするだろうな・・・と、それだけはちょっと気に掛かった。

その彼が、再度の「引越し」作業、つまり預けていた荷物の自宅への搬入が終わり、私の居た「新居」からも引き揚げてきた後、自宅に戻れてほっとしている私に言ったこと。

「とにかく、3週間(私が)居なくても大丈夫だった。本当に、全然大丈夫。これでいつでもピース・ボートに乗るくらいならイケルよ!」

そう、新聞でよく見かける「ピース・ボート」の募集記事に、「豪華客船に乗って社交をさせられるのはイヤだけど、若い人たちとこんなのに乗るのなら行ってみたいな。私の体力じゃ無理かな~。」などと、確かに私は何度か言ったことがある。体力もさりながら、まさか今ほど自由な行動が制限されるようになろうとは、考えてもいなかった頃の話だ。

私は、私が居なくても構わなくなれば、母親の介護その他、自分の入院といった場合でも何とかなるな・・・などと思っていただけで、まさかここで「ピース・ボート」が出てくるとは思っていなかったので、彼の言葉に本当に驚いた。


何年も病院など行ったことがないという彼が、今回体調を崩して10日も家で休むことになったのは、その直前、仕事が偶々忙しかったこともあるとしても、何より今回の「騒動」のストレスからだったと私は思う。それでも、淡々とした表情でそう言った後で、いかにも「シジミール」の彼らしく、にこにこしながらこう付け加えた。


「歳月だね~。みんな大きくなったんだよ。」







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