眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

『25年目の弦楽四重奏』(録画)  

2014-08-17 16:50:48 | 映画・本

観た後、この映画はベートーヴェンが亡くなる半年前に完成させた「弦楽四重奏曲第14番」にインスパイアーされて作られた・・・という話を聞いた。

私はもちろん、その曲を聴いたことがなかった。

そもそも音楽と名の付くモノとはほとんど無縁の生活をしている私にとって、クラシック音楽だの弦楽四重奏だのというのは、ほとんど「映画の中でしか出会うことのない」存在だ。

昔から「人工的な音(音楽も含む)の無い」状態に飢えることの方が多かったので、そういう暮らし方になったのだけれど、それでも最近になってようやく、弦楽器の響きを(全身で)「心地よい」と感じるようになったのは、まさに「年のせい」なんだろな~なんて自分でも思う。色々な意味で「生活がラクになってきた」結果・・・という気もする。 

ベートーヴェンの「弦楽四重奏曲第14番」というのは、全7楽章を「途切れることなく演奏すべき」と作曲者自身が言い遺したという、かなり特殊な?作品らしい。演奏中は楽器をチューニング出来ない・・・となると、「狂っていく音程の中で演奏する」ことが大前提ということになる。公式HPを後で見たら、「歪んでいく音色の中に調和を探し続けなければならない演奏に、人生そのものを重ねた物語」という紹介がされていた。確かに・・・そういう映画だったと思う。

以下、あらすじを少し書くと・・・

結成から25周年を迎える世界的な弦楽四重奏団「フーガ」の最年長メンバーであるピーター(チェロ奏者:クリストファー・ウォーケン)はパーキンソン病を宣告され、今季限りでの引退を決意する。彼は冷静に自分の後任を提案するが、聞いたメンバーたちは驚いて・・・

ヴィオラ奏者ジュリエット(キャサリン・キーナー)は激しく動揺し、彼の引退を認めようとしない。母親を早くに亡くし、父親もいない彼女にとって、ピーターは私生活でも父親のような存在だったのだ。

彼女の夫である第2ヴァイオリン奏者ロバート(フィリップ・シーモア・ホフマン)は、これを機に交代で第1ヴァイオリンを弾きたいと言い出し、第1ヴァイオリン奏者ダニエル(マーク・イヴァニール)に「こんな時に!」と非難される。

ジュリエットは夫を説得してやめさせようとするが、自分を評価してくれない妻に腹を立てたロバートとの関係は悪化するばかり。とうとう別居するまでになった後、結婚当初からの不満を正直に吐き出す夫に、彼女は「(あなたを愛しているのかどうか)自分の気持ちがわからない」と答える。

今はヴァイオリンにすべてを捧げるような生活を続けているダニエルだけれど、学生時代はジュリエットの恋人で、ロバートはそのことにも引っかかるモノを感じているのだ。

一方、ロバートはそのダニエルからも「君には第1ヴァイオリンはできない」と断言され、互いに以前からの不満をぶちまけ、大喧嘩になってしまう。

第1ヴァイオリンを目指す、ロバートとジュリエットの娘アレクサンドラ(イモージェン・プーツ)を指導していたダニエルは、その喧嘩をきっかけにアレクサンドラと私的にもつきあい始める・・・・・


う~ん、こうして書いていても感じるのだけれど、この映画のストーリーは私の好みから言うと、「やや過剰」な気がする。脚本を書く際には、実在する3つの弦楽四重奏団がモデルにされたそうで、ちょっと詰め込みすぎな感じを受けるのは、そういうことも関係しているのかもしれない。

実際に観ている間は、それを「過剰」とまでは感じなかったのだけれど、それでも「どこまで想像していいかワカラナイ」という箇所がいくつかあった。(例えば、アレクサンドラの父親は本当にロバート?とか、ジュリエットの父親は?とか・・・私の見落とし、勘違いもあるのかもしれないけれど)

けれど、そういうことをあれこれ想像しすぎると、この映画の良さから遠ざかってしまう。それはあまりに勿体ないと、無意識の中にも思うのだろう。私はずっと、この映画の本当の主人公は、この弦楽四重奏の音色なんだな・・・と感じ、その音楽に身を浸す心地よさに酔っていたと思う。

メンバーたちやその娘の行動についてあれこれ思うというよりは、音楽が人の人生と同じ「海」に感じられるその時間が、私にとっては貴重なものに思えたのかもしれない。(感想とは到底言えないけれど、これが私の正直な感想だ)


最後に、気づいた事を少しだけ。

ラストのコンサート・シーンで、新しいチェリストが舞台に現われたとき、「あ、この人は本物の演奏者だ」と思った。彼女が俳優さんじゃないのが一目で判ったことで、逆に、他の人たちが「演じる」人たちであることが初めて意識に登った。・・・それまでは、彼らは音楽家に見えていたのに。

「演じる」というのがどれほど特殊なコトか・・・ということを、これほど明瞭に見せてもらったのは久しぶりだったのでちょっと驚いた。(たまに音楽関係の映画で、主役の少年がヴァイオリニストやピアニストだったりしたとき、最後のコンサート場面で100%「音楽家」に戻るのを見ることがあるけれど、今回はそれ以上に「役者」或いは「お芝居」というものの本体を、眼の前に見せてもらった気がした)

キャストは皆良かった!!

クリストファー・ウォーケンという俳優さんが、これほど穏やかで冷静な紳士・リーダーを演じるのを初めて見たと思うけれど、それがすごーく似合って見えて、なんだかシミジミしてしまった。(『ディア・ハンター』や『天国の門』での若き彼、『パルプ・フィクション』その他でのちょっとヘンテコリンな彼・・・などなど)

私は観に行けなかったけれど、自主上映会ではフィリップ・シーモア・ホフマンの追悼上映も兼ねていた。私はこの俳優さんが(なんとなく)好きで、出演作を観るときにはいつも(何とはなしに)注目していた気がする。

今回の第2バイオリン役も、この人はごく自然に自分のモノにしているように見えた。こういうキャストのアンサンブルの良さが問われるような群像劇が上手な人だったな・・・と改めて思った。以前観た『その土曜日、7児58分』が浮かんだ。

キャサリン・キーナーは、観る度にもっと好きになるヒト。マーク・イヴァニールはカッコ良かった・・・などなど。

スクリーンで観ていたら、もっと私は(音楽と人の人生に)「酔った」だろうと思う。でも、家のTV画面であっても、観られて本当に良かった。(ホフマンがもう居ないのは、とても残念で寂しいけれど)

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 4泊5日の体験ツァー(^^) | トップ | 車の運転と「離人症」 »

コメントを投稿

映画・本」カテゴリの最新記事