眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

3月ウサギの映画メモ

2008-04-06 10:05:38 | 映画・本
最近観た映画の中で、印象に残ったものの感想をちょっとだけ。



『パンズ・ラビリンス』 

「スペイン内戦の残酷さも凄いけど、女子どもの無残さ(まさに虐待!)にも胸がつまる思い・・・」と、手元のメモに書いてある。ああいう辛さ、切なさ、何より怖さ!を、非常に上手にファンタジーとして仕上げているのに、文字通り呆然となった。(それにしても、あれほどの美しさと残酷描写、その徹底の仕方って一体何なんだろう・・・。)

個人的なことを言うと、迷宮(というか、あの地底の王国への入り口辺り)の感じが、私がかつて見た夢の中での「地底世界への入り口」にとてもよく似ていて、映画が始まる早々、呆気に取られた。妖精を頭から齧りながら後を追ってくる怪物(ゴヤの絵のよう)にしても、その時の回廊?にしても、そもそも全体を通してのあの暗さと緊張の持続する感じ自体、自分がよく見たさまざまな悪夢の再現のようで、妙に慣れ親しんだ感触なのが、私にとっては良くなかったのかもしれない。

傑作だと多くの人が言い、私も最後まで観て、確かに良く出来ているのだろうと思った。それでも、今こうして書いていて、私は内容をはっきりとは思い出せない。(覚えていると自分では判るのに、思い出せないようなブレーキがかかるのを感じる。)

たまにこういう作品に出合う。私にとっては「記憶の中で観ることの出来ない」映画だ。それが単に「残酷過ぎる」といった理由からではないのも、薄々自分では解っている。もしかしたらあの少女やその他の「精一杯自分なりに戦った」人たちのことを、これ以上私の鈍器のような言葉で刻みたくないのかもしれない。



『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』

タイトルに恐れをなして、観にいかないでおこうかと本気で思った。それでも一応観にいったのは、上映会場が家のすぐ近くという理由(私にとっては重要なこと)からだった。

ところが、予想外にこの映画は面白かった。(「自身の劇団を率いて活動する、新進気鋭の女流作家の大ヒット戯曲」が原作と、後からチラシを見て知った。)「CM界で18年のキャリア」という監督の作る映像はキレがよく、キャストもひとりひとり完全燃焼している感じがして、登場人物は殆ど全員、どこかが壊れている(か、少なくとも壊れかけている)ようなキャラクターなのだけれど、「作り物」の空々しさよりも、寧ろ恐ろしくリアルなモノを私は感じた。

私の眼にはこの映画は、(なんだか堅苦しい、ツマラナイことを言うようだけれど)「『家庭』としては既にその機能を果たしていないのに、自分たちが『家族』なるシロモノだと思い込んでる(或いは思い込もうと努力している)人たちが集まっていると、子どもは自分が何者なのか、見定めることが本当に難しくなるんだな~」という作品に見えた。

偶然必然が作用して、歳の順に(弱くなった方から?)バタバタ死んで、辛うじて自分を見定めた人は出て行って(それにくっついてった方がなんか良さそ~と直感した人はついてって)、アイデンティティーなどというモノなど考えようもないくらい、ポツンとひとり宙に浮いてる人だけが、その家に残ることになった・・・ストーリーを要約すると、私にとってはそんな感じになるのかも。(「女3人が生き残ったエンディングも、なんだかサバサバして嫌味がなくて良かった」などと手元のメモには書いてある。)

サトエリさんを初めて観たけれど、この人の好演でこの「姉」は他の人たちより寧ろ精神的には健康?に見えて、そこが却って面白く、兄嫁役の永作博美サンはオソロシク上手で、この人が出ているという『ひとのセックスを笑うな』は絶対観にいこう!などと思ったりした。



『いつか眠りにつく前に』

タイトル通り、「人生の終わりを前にして自分の過去を振り返ったとき、人はどういう納得の仕方が出来るのだろうか」ということを、私も一緒に考えながら観ていたような気がする。

実は10年ちょっと前、私は(別に重病でも何でもなかったのだけれど)毎日のように、「もしも今、死んでエンマサマの前に出されて、『人生を一巡りする機会を与えてやったが、お前は何をしたか』と尋ねられたら、私は何も答えられない・・・。」と本気で思い、そのことがとても辛かった時期がある。「何をしたか」に答えられるような事柄は、当時の私には本当に見当たらなかったからだ。

今の私は、なぜかあの頃のような辛さは感じていない。当時と今とで、10数年分歳を取った以外、私自身は大して変わっていないと思うのに。強いて言うなら、私の考え方がいつの間にか少しだけ変わって、「このまま何もせずに私は人生を終わるだろうけど、それはそれで仕方がない」と思うようになったことくらいだ。

自分の人生は自分の努力で変えていける筈だ(或いはそういう努力を人はすべきではないか)と思っていた間、私は心の底で、ずっと自分の生き方が許せなかったのかもしれない。私にとっては自分の夫も子どもたちも、自分の人生とは直接関係の無い、謂わば「付け足しの何か」でしかなかったような気がする。

けれど、特に何かをきっかけにして・・・といったことは思い当たらないのに、いつの間にか、おそらくはこの10数年にあったこと、考えたことが積み重なって、私は自分のこれまでの人生について、自分なりに納得したところがあったのだと思う。中には(例えば姉のうつ病発症のように)あまり良くない出来事なのに、私自身にとっては良い方に影響したものもあったかもしれない。

この映画のヒロインの場合、納得のきっかけは数10年ぶりに会いに来てくれた、若い頃の親友だった。重病の彼女の枕元で、その友人は語る。

「あなたは私の結婚式で歌ってくれた。あの時のあなたの歌は、私の人生の宝物になった。」

歌手としては一流になれず、安定した家庭を築くことも出来ないまま、娘たちにも親として十分なことは出来なかったように感じていたヒロインに、その友人は「あなたは私にとってかけがえのない人であり、私の人生を支えてくれるほどの歌い手だったのだ」ということを、静かに教えてくれたのだ。

この時の友人の表情、話し方は強く印象に残っている。

ヒロインと会うことがなくなってからの数10年、「幸せだった?」という問いに「時にはね」と、なんとも言いようの無い複雑なニュアンスを含ませて答える彼女は、女性が自分の人生全てをこめてものを言う時の、圧倒的な説得力を感じさせた。

人の人生の価値というのは「何事かを成す」こととも、「何か(例えば親として、或いは妻として)の役割を十分に果たした」という自覚とも、実は関係無いのだということ。もしかしたら幸不幸とも、直接は関係ないのかもしれないのだと。

あの『長江哀歌』でふと感じたのと同じ質のものを、私はこの映画の最後の場面で、感じたのかもしれない。



『やわらかい手』

この邦題がとてもいいと、見終わってから改めて思った。

原題は、やむにやまれぬ事情で所謂「風俗」の店で働くことになった(ただし手だけで)主人公が、「意外にもゴッド・ハンド!の持ち主だった」ことから来ているのだけれど、「やわらかい手」という語感はさらに、物語の軸になっている彼女の人間性そのものにまで及んでいると思うからだ。

自分には何の取り得もないかのように思い込んでしまうような人生を、それでも一生懸命生きてきた60代の主婦が、初めて「プロ」に認められ、自力で大金を作り、到底実現できないと思われた難病の孫の外国での治療を可能にする・・・その間には、それまでの自分の考え方、生き方を根本から問い直すような出来事が、毎日のように起こる。

彼女はただただ可愛い孫のためにと、崖っぷちで踏み止まって厳しい現実と闘い、道を切り開くのだけれど、私が本当に眼を瞠る思いがしたのは、終盤、空港へ向かう息子や孫たちの前での彼女の決断だった。

それまでに、彼女がどうやって孫の治療費を工面したかを知った時、息子は怒り狂って、無理やり彼女にその仕事を辞めさせている。その時の怒りの激しさは、観ている私などにはちょっと理解しがたいほどで、自分には出来なかったことを母親がやってしまったということで、子どもの父親としての自分の不甲斐なさに腹を立てているのは解るのだけれど、それを母親にぶつけるのはいくらなんでもコドモっぽいのではないか・・・と私は思った。(幼い子どもの生死が掛かっているような場合、女親はこういう反応をまずしないような気がしたのかもしれない。)

けれど、彼女はそんな息子のコドモっぽい?怒りを黙って受け止めるかのように、一旦は仕事先に辞めるという電話をかける。そして、もう息子には迷いようも引き返しようも無いギリギリの所まで、そのまま息子の意思を尊重するように時を待った後、息子の家庭から離れる決心をしたことを告げるのだ。

一緒に治療先の外国に行くのを止めるというだけではない。「あなたなら、夫として、父親として、ひとりでちゃんとやっていける。」という言葉は、自分でも気づかないままに息子が大人になる上での障害物になっていたのではないか・・・と認識した彼女の、熟慮の上の「人生の決断」を表しているように、私には聞こえた。涙を見せて頷く息子の表情も、母親を自分(や自分の家族)のために苦しめたくなかった、そのために一人前の大人として自力で何とかしたかった、息子の正直な気持ちが表れているように見えて、この彼女の決断が正しかったのだということがよく判った。

「君の歩き方が好きだ。」と言った雇い主のミキは、そのひとことだけでもステキだったけれど、ミキの元に行くために彼女は息子の家庭から離れたのではないと私は思った。

何かが変わる(或いは変える)と、人生のあらゆる局面にその影響が及んで、人間関係その他、引いてはそれまでの自分の価値観や生き方までが、いつのまにか大きく変わってしまう・・・生きていると誰しも何度か出合うことだと思う。60代になっても、より良い人生(自分にとっても、大事な人たちにとっても)があり得るのだというストーリーは、今の私のような者には、最も勇気と夢を与えてくれる「映画らしい映画」だったのかもしれない。(私も、主人公のあの歩き方がとても好きだった!!)





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4 コメント

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Unknown (Unknown)
2008-04-08 20:55:07
『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』
やっぱし行っとけばよかったなー
気がついたら終わってしまって不覚を取った映画デシタ(*T‥T*A``

『やわらかい手』わムーマさんの
「最後の決断」への洞察!素晴らしー♪
そーかー
息子をオトナにするための子別れのシーンだったのデスねー・・
あの、スーツケースに荷物を詰めるトコからそーだったんだー

コレわ、息子のハハでいらっさるムーマさんならでわの
ナニか、噛み締めるよーな感想デシタ(*‘ ‘*)。。


もー1回観たくなりましたー♪
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sikiさん、ようこそ~ (ムーマ)
2008-04-08 21:06:32
読んで下さってありがとう~。
この頃はsikiさんの感想見たりして、前より日本映画観るようになったんよ~(本当)。

『やわらかい手』ほんとに良かったよね~(シミジミ)。コレ書いた後あちこち読みに行ったら、当然のコトながら、皆さんそれぞれ違う解釈、違う視点で、それも面白かったデス。
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Unknown (chon)
2008-04-09 18:20:04
パンズ・ラビリンス・・・
娘が「おかーさんは見んほうがえいよ。」と言った訳がわかりました。見なくてよかったです~(ToT)
子どもは親の事をよく知ってるものなんですね~。
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chonさん、ようこそ~ (ムーマ)
2008-04-10 10:17:27
そうか・・・chonさん、お嬢さんにそう言われたんだ。

私とchonさんでは、また意味が違うのかもしれないけど、でも私も『パンズ・ラビリンス』については、お嬢さんの言われるとおりだったと思います。(観に行かなくて良かったですね(本気)。)

私自身はある程度覚悟して、どうしても観たかったので観に行きましたし、行って良かったとも思いました。
観ないと後悔しそうで、実際ほんとに「良く出来た」映画だとも思いました。(ただ、記憶としては封印?されてしまうような種類の作品だっただけです・・・。)

それにしても、映画が苦手と仰るのに、感想見てくださったんですね。いつも、どうもありがとう。

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