(原作・脚本・監督:宮崎駿 製作:スタジオジブリ 2023)
正直、感想を書くような気分にならない映画でした。(なのに書いててスミマセン(^^;)
というのも、宮崎監督は元々ああいう、ヨクワカラナイ物語展開を平気でできる人なんだろうし、それをいちいち観客のわたしが、整理したり、つじつまを考えたりしても仕方ない気がして…
別にけなしているわけではなくて(わけがわからないような話は割りと好き(^^))「やっぱりそういう人だったんだな~」と納得したというか。
『ハウルの動く城』の頃から、この「想念が勝手に広がるのを止めないもんだから、収拾がつかなくなりそうなのに、なぜかちゃんとラストまで来る」感じは、作品について回って?いました。(さすがプロ。名人芸かも)
ファンタジーだったり、自伝的要素が混じってたりすると、余計にそうなるのかな~とか思ったりしましたが、ソモソモこの監督の作品は、どちらか(両方のことも)いつも含まれているので、「何が何だかヨクワカラナイ」部分があるのが、本来の姿という気もするのです。
『風立ちぬ』では、「宮崎監督はアニメーションという手法を使って、自分の作りたい〈映画〉を作ったんだな…」という感慨が、わたしには残りました。
今回の『君たちはどう生きるか』は、その方向性に拍車がかかったというか、「こどもに見てもらいたい」「こどもが退屈すると困るなあ」というような、本人自らすすんでつけていた(多分)手かせ足かせ?が、「もう最後だろうし」というわけで外れちゃったんじゃないかなあ。
実は、わたしはこれまで宮崎駿監督のことを「ハヤオおじさん」或いは単に「おじさん」と呼んできました。家で映画の話をするときは勿論、ブログに何か書くときも「おじさん」呼ばわりのまま。(今のわたしが「おじさん」と呼ぶのは、リアルも含めて宮崎駿さんだけです)
なぜそんな不作法なことをしてきたのかというと…
宮崎監督がどれほど先の戦争に拘り続けているか、折にふれて感じられるから。
本人が4歳のときに終わってしまった戦争。でもそれは、ハヤオ少年の心に永遠の傷になっている…
そんな風情が、私の眼には亡くなった私の父親や叔父に重なるのかもしれないし、そんな父親から、戦争の話を浴びるように聞かされて育った自分としては、「遠縁の叔父さん」のような気持にさせられるからかもしれない。
自分でも説明できないけれど、「ハヤオおじさん」は知れば知るほど「おじさん」と呼びたくなるヒトでした。
それが「ハウル」以降、シリメツレツさが募るほど、戦争絡み以外の意味でも「親近感」を感じるようになってきて……(以下略)
まあファンというのは勝手なコトを口走る生き物なので、すべてユルしてもらえるはず。
それにしても、わたしは昔、おじさんのアニメーションは、なあんとなく好きじゃなかったはずなのに。いつのまにやら「ファン」を自称するようになってしまったとは!
『君たちはどう生きるか』も(いつものように)2回観ました。2回目に何かがわかるわけじゃありません。でも、何度観ても退屈しません(^^)
以上、「感想」とはとても言えない、でも私としては全く迷わず猛スピードで書けた、珍しい記事なので、消さずにこのままUPします(お粗末様でした~)
考えてみれば、ムーマさんのおっしゃるとおり、よくわからなかった作品、けっこうありますね~。びっくり。あはは(汗)。
もしかしたらオジサンの作品の中で一番好きかも。
おっしゃるように、キャラクターがみんないいのよね~(^^)
プチ執事くん(城の動力源!)は可愛げがあるし(あの「待たれよ」とヒゲが好き) カブ顔の案山子はモノスゴク頼りになるし(チャラ男にならずにずっと案山子でいなさい!)
主人公のハウルはへろへろポンコツだし
荒地の魔女なんて年取るほど悩殺されそうだし
ヒロイン(おばあさん)が真面目そうに見えて
あんまりモノ考えてないとこもいいな~とか
書き出すとキリがない~(^^;
あれくらいキャラが立ってると
物語が途中からわからなくなっても
全然気になりませんでした(あはははは)
全部映画観たし
どう生きるか
そうよね
全力で生きるわよ♪
ほんとそう思う。
宮崎監督、割り込む余地なし!
でも、あのアニメーションはきれいだった。
小鳥たちが群れで飛ぶと
当然のように(実際当然)フンをまき散らすのも
ちゃんと描いてて、宮崎監督らしいと思った~(^^;
見終わって見ればだから何?みたいな
なのに、またテレビなんかで再放送されると見ちゃう
それが宮崎さんの世界観なんだろうなー と勝手に思ってます テヘッ
力仕事が必要な雪かきの冬
一過性ならやるわよ♪
って、ホント言えてる(あはははは)
でもやっぱり、次見かけると観ちゃうの。
(プロってすごいなあって思ったりする(^(^^;
とにかく、去年みたいな大雪ドカ雪は
ヤメテほしい。本気で祈ってるよ~