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富士市を中心の郷土史

昔話、城、寺、歴史。

富士市今泉の昔話 (21)今泉小学校の思い出(1)

2012年09月22日 12時42分52秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(21)今泉小学校の思い出(1)

思い出の記の前に「今泉」(今泉小学校百周年記念誌 
昭和53年発行)よりの転記に依り歴史を記して見たい。
1、 今泉地区の寺小屋
福応寺   水の上   56人
本国寺   下和田   35人
法雲寺   市場    50人
妙延寺   寺市場
仁藤長兵衛 寺市場   80人
 (筆子塚が清岩寺に残されている)
妙延寺の寺小屋は「原泉舎」の名で呼ばれ、今泉村・
原田村の合同の学舎として先駆となっている。
入口の壁の鏝絵は二十四孝の一つであり見事である。
現在は広見公園に移設されている。



2、 今泉小学校発足(水の上教場)

明治11年5月水の上郷蔵跡地へ建設

校地5007坪、建坪116坪、7教室。
建設費700円

幕政時代に郷蔵(領主の年貢米の貯蔵場所)
が鍛冶屋瀬古より水の上の此の地に移転して
あったが、新政府で不要になった。その空地
が学校の場所として選定された。
其の建設費は今との差に驚かされる。

3、 明治19年
小学校令公布 
 尋常小学校4年(義務)
 高等小学校4年



4、 明治23年
教育勅語発布
小学校令改正
 小学校三年又は4年(義務)
 高等科2年又は3年、4年



5、 明治33年
小学校令改正
尋常小学校教科
 修身、国語、算術、体操、
  土地に依り図画、唱歌、手工を加える。
高等小学校教科
 修身、国語、算術、日本歴史、地理、理科、
 図画、唱歌、体操、女子には裁縫も

教場は大きく弐段に分かれ、下の運動場と上
の運動場更に離れた山の運動場と色々使い
分けていた。上の運動場の西端に大きな岩山
を造り、忠魂碑が建てられた。時の流れを
示す盛儀だった。

島田大尉や在郷軍人分会長などの姿が見られる。







6、 昭和12年5月茨原の新校舎完成移転。
約8000坪の敷地の整備、校舎3棟等の工費約18万円

















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