富士市を中心の郷土史

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富士市今泉の昔話(27)

2012年11月02日 21時52分32秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(27)善得寺考  試掘(1)

河東第一の大寺であった善得寺を、現在の場所と妙心寺
の写真とで当時を偲んでみた。確信を持って伽藍の配置
を推定してきたが、実証すべく推定地の空地を、二回に
亘り市の教育委員会に依り試掘して戴いた。
吹上の南の丘を削り、凹凸をならしての伽藍の建設だっ
た筈であり、其の跡地より奈良時代の住居跡が発掘され
たことに、疑念も持たれる。
然しながら、4ケの柱基礎の出土は有り難く、その意味・
由来に就いて尚の調査をお願いしてある。
其の状況を写真で見て見たい。
試掘前の景である。


第一回
平成16年12月9日~12月17日  調査面積85平方m









空地にL型のトレンチを計画し、南北の辺より掘作、要部
は拡大の方法を進めてくださった。状況は説明戴けなかっ
たが、報告書には此の部には住居跡のみとのことであった。
善得寺跡として勘案は難しかったかもしれない。
基礎と思はれるような平らの石1ケ、焼け土の層(?)、
約20cmの厚みの大きな灰溜まり等はなお検討いただき
たい。



トレンチ内に2ケ、拡大部に2ケ計4ケの写真の様な基礎
状の石が出土した。小石の囲む円は径が60cm(木の柱
と考えられる)であり、石は3.5mの正方形の配置であ
る。
此の石が何であるかは結論戴けなかつた。
写真を示し各所に質問したが明確な答えは得られなかった。
柱の太さ、配置より鐘楼又は塔としか考えられない。又こ
の場所での出土は家康・駿河大納言に関係するよりは、
善得寺に関係すると私見する。







次回に更にこの纏めと第2回の試掘に就いて記して見たい。





















































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