富士市を中心の郷土史

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富士市今泉の昔話(147)善得寺城(再4)

2015年03月05日 15時41分03秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(147)善得寺城(再4)

梯郭式平城の私見図を記したが、現在に残る物は殆どなく僅かにそれと思はれる野面積みの
石垣だけである。現在の地図に角々の写真を列記して見る。
写真は西端の東泉院部より始める。



東泉院付近(1)~(6)。
東泉院付近は善得寺城の西部に当たり、城らしい部分が残されている地である。写真(1)
は其の主要部の大石垣である。石垣は高さの関係か、2段に分かれ下段の上の犬走りの上
に2段目の野面積みの石垣が聳えている。中央部は関東大震災の折に崩れ、新しく積み直
されている。野面積みの石垣は雑草等で荒れ、是非とも保存の手を加えたい物である。
(3)は東泉院北の空谷部分。是より東の福応寺の南の空堀に続く。何時の日か此の部を
試掘し濠跡が確認されると有り難い。和田川に沿う此の地に遊んだ時「カワセミ」の美し
い姿を見て感激した。
(4)は出丸と考える部分の広場(馬場?)であり、北に見える部分は物見台とみられる
石の高みがある。高い石垣の上のここよりの南は眺望が素晴らしい。当時は和田川の南に
富士川の本流が流れていた筈である。

          (1)              (2)


           (3)              (4)






「虎口」は城の門部を強化する石積みであるが、入り口は狭まり本城部分は広く作られる
より、この地点を大手口とすれば本城は此の東に在り、城山の地名も善得寺御殿への道図
の記にも合致する。




(19)城の南に連続する野面積みの石垣。横矢と思われる直角の部分で何故か水神様が
祀られている。水神様は(16)部、(19)部、搦め手部、和田川(新川)沿い等に祀
られており湧水地の為かも知れない。
(16)は昭和に十里木街道が出来るまでの街道で、西に本国寺の山門がある。東は崖で
此の間が私見する西の大空壕である。或いは大手口まで水濠だったかもしれない。本国寺
は裏鬼門に当たり前に何か鎮守があったかもしれない。



迎春花の時期となった。






























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