富士市を中心の郷土史

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富士市今泉の昔話(68)

2013年08月24日 08時28分51秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(68)外伝 善得寺考 霊場巡り(13結び)

駿豆横道霊場巡り(13結び)
昭和60年5月15日
父母・兄の供養等を願い、昭和57年6月27日に発願した駿豆横道霊場
巡りも、足掛け4年で満願を迎え、残すは番外の東光寺のみとなり登拝の
日を迎えた。

日金山 東光寺
 駿豆横道霊場番外
 場所 熱海市伊豆山
 本尊 延命地蔵菩薩
 宗派 真言宗
 由緒 日金山にはさまざまな伝説が残る。仁徳天皇の代に鏡の導きで
    松葉仙人が開創したと伝えられる。
    後に弘法大師が来た時、其の遺徳を偲んで地蔵堂を建立したと
    言ふ。
    源頼朝も此処で旗揚げの祈願をし、本尊を寄進している。
    現在の本尊は江戸初期に般若院の僧が造立した物である。
    江戸時代には日金山の信仰が盛んで、4っの坊を持ち、伊豆・
    相模・駿河の参詣者で賑わった。

    本尊の延命地蔵菩薩は錫杖・宝珠をもち、反花蓮華座、輪光背
    の銅像大作で熱海市の指定文化財である。本尊台座に「武州江
    城の住 大工長谷五郎兵衛宜隣作 宝珠朝倉清兵衛内儀 願主
    法印盛算」、脇童子像の背に「願主法印盛算   寛文11年
    辛亥年4月5日 大工横山半右衛門正重」の刻銘が在る。日金
    山は中世から「死者の霊の集まる山」として、伊豆・相模から
    駿河・三河にわたって、地蔵信仰のメッカとして栄えた。(市 
    教育委員会)

   (日金山東光寺の由来)
    応神天皇2年(271)伊豆山の浜辺に、光る不思議の鏡が現
    れました。鏡は波間を飛び交っていましたが、やがて、西の嶺
    に飛んでゆきました。その様子は日輪の様で、峰は火を噴きあ
    げているように見えたので、日が峰と呼ばれ、やがて日金山と
    呼ぶようになりました。
    同4年(273)松葉仙人が、此の光る不思議の鏡をあがめ、
    小さな祠を建てて祀ったのが、開山と伝えられています。
    推古天皇の頃(594)走湯権現の神号を賜り、その後仁明天
    皇の承和3年(836)甲斐国の僧、賢安が、日金山本宮から
    神霊を現在の伊豆山神社の在る地に遷したと言われています。
    鎌倉時代は、源頼朝の厚い信仰に支えられ、現在本尊として祀ら
    れている延命地蔵菩薩像も、頼朝公の建立による物です。
    地蔵菩薩は、地獄に身を置いて、地獄で苦しむ者を救ってくれ
    る仏であることから、死者の霊の集まる霊山として、篤い信仰
    が在り、今も尚、春秋の彼岸には多くの人が登山して、新仏や
    先祖供養の為に、卒塔婆供養をしています。

日金山が広く信仰されていた昔日の参拝は、湯が原や伊豆山神社からで
なく、函南の平井(東海道線の函南駅付近)から登る旧街道が普通だっ
た。代々の鎌倉将軍が三島大社から伊豆山神社への「2所詣で」の道で
ある。亡き母が長女を連れて、50年ほど前に此の道を通り参詣した事
が在った。彼岸の日に参詣すると必ず亡くなった人に似た人に会えると
の伝承に、無き父母・長男に会いたくてと聞いている。参詣の折には会
う人無く残念でいた所、下山しての熱海の温泉で亡き父に似た人に会え
たと喜んだ事を聞いた。



30年ほど前の順拝の折には、願って叔父叔母更に従兄も同行しての日
であった。霊場らしい昏さ・静寂の霊気に打たれた行だった。今は無き
叔父が叔母を労わっての覚えもある。



30年前の本堂前。思い出を辿っての母の命日の参拝の今日は木々の茂
りを加えてその昏さは身にしみる物が在った。




本堂前の閻魔像、脱衣婆、石仏群。石仏はすべて苔を纏い、恐山と共
に日本の3地獄の一つと呼ばれる所以を感じた。











残暑の候、山には秋の花が見られ、「くさぼたん」「こまつなぎ」が美しかった。





思い出の順拝の記を結び、次号には1年の歩みを纏めて見たい。