富士市を中心の郷土史

昔話、城、寺、歴史。

富士市今泉の昔話(66)

2013年08月09日 16時39分38秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(66)外伝 善得寺考 霊場巡り(11)

駿豆横道33霊場巡り(11)

岩戸山 龍雲寺
 駿豆横道霊場第21番
 場所 静岡市蒲原町
 本尊 聖観音
 宗派 臨済宗
 由緒 もとは瑞現山と言い、創立は不詳であるが室町時代今川氏の
    一族氏兼と其の子直忠によって再建され、地域有数の名刹と
    して知られた。又江戸時代に近くの岩戸山常楽寺(廃寺)と
    合併し、その山号を取り岩戸山と改号した。常楽寺の本尊が
    今の聖観音である。裏山頂上に奥の院の岩屋が在り、観音像
    が安置されて居て「岩屋観音」として知られている。
    再建は応永5年(1398)の頃と言はれているが、此の間
    160年程の記録伝承を欠いているため明らかでない。
    常楽寺と言ふ古寺は、駿国雑誌によれば永禄12年の蒲原城
    落城の折焼失し、以降廃寺となり、龍雲寺賄いとなった。
    寺宝として「大久保甚大夫の槍」があり、伝承もある。承応
    2年(1653)高松藩の槍の指南役、大久保甚大夫が家来
    3人を連れて江戸に上る途中、薩摩の大名行列にかち合い、
    相手方の槍に触れたとの事より争いとなり、家来は散々辱め
    られた。甚大夫はその場は我慢し、先行し蒲原宿の西見付け
    付近の茶屋で行列を待った。行列が来ると、甚大夫は大身の
    槍を振りしごき、行列に飛び込み、薙ぎ倒し突き刺し放り投
    げ70人近くの敵を倒した。然し疲れと空腹より逃れて、善
    福寺付近まで来たが、田の中で暇睡の処を襲われ、主従4人
    刺殺されてしまった。龍雲寺14世の海岳院大和尚の慈悲心
    より、亡骸を寺内に葬り、以降供養を続けており、槍も変遷
    を経て寺宝として大事にされている。







八幡山 大法寺
 駿豆横道霊場第22番
 場所 静岡市由比
 本尊 如意輪観音
 宗派 臨済宗
 由緒 寺伝によれば、天正13年(1585)由比助四郎光教の子
    光宏に依って開創された。天正5年(1577)光広が夢で
    予知し、海上に金色の仏像を発見し、救いあげ堂に祀ったの
    が本尊である。調べると是は紀州粉河寺の本尊であったと言
    ふ。寺には海上仏がもう一体あり、江戸中期に浮遊していた
    馬頭観音が拾われ祀られている。
    開山は堅翁宗古和尚である。
    石段を登り右手には、天保6年(1835)由比本陣岩辺郷
    衛門光端が先祖並びに両親菩提のために建立した宝匡印塔が
    在る。







新国寺(廃寺)
 駿豆横道霊場第23番
 場所 静岡市由比阿僧
 本尊 十一面観音
 宗派 浄土宗 新国寺(廃寺)
    臨済宗 常円寺
 由緒 本尊は行基菩薩作と伝えられていたが、変わったともいわれ
る。
    古くは由比川沿岸の瘤山に在り、歓喜山深谷寺の境内の観音
堂だった。
    度々の洪水で倒壊し、明治維新で廃寺となった。深谷寺が新
国寺となった理由は解らないが、音読みの通ずるのは意味が
在るかもしれない。
観音堂のみ山上に移し、旧堂の古材を用いて再建された。境
内の石塔は慶長・慶安・明歴等の古い物が残る。此の観音に
祈願すれば、瘤が取れると言ふ信仰もある。堂は代々久保田
家が護持している。
御朱印は代わって臨済宗常円寺で行われている。
    常円寺は今川氏の支城で由比氏の常円寺城の跡に戦死者の供
養のための寺と言はれ由緒の碑が在る。
訪れた日に寺前に「ていかかずら」が満開で香を放っていた。「つく
つくぼうし」も始めて寺前に聞いた。晩夏の順拝となった。









庭に車花が咲き、「からすうり」が奇妙な花を見せている。「からす
うり」の花は日が暮れると孔雀が羽を開くように、目の前で写真の様
に奇妙な花を広げ、一夜で萎むのも不思議の花である。