むじな@金沢よろず批評ブログ

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カルデロン一家「送還反対」論は、むしろフィリピンの国情や中学生の言語能力を無視した弱者蔑視思想

2009-05-26 19:19:02 | 世界の民族・言語問題
なぜか今頃カルデロン一家の話。
日本に不法滞在しながら家族をつくっていたフィリピン国籍のカルデロン氏とその一家をめぐる問題だが、私は法律にもとづき強制送還するのが筋だと思う。かといって、私は右翼ではなくむしろ左翼のほうなのだが、しかし日本人左翼に多い「日本語しかできない中学生の娘まで送還されるのはかわいそう。また父親と引き離されるのはかわいそう」論こそが、それこそフィリピンをバカにしたレイシズムだと考えるからである。
そこには、「日本語しかできない中学生の娘が、日本語が通じないフィリピンなんかに放り込まれたら、かわいそう」という、フィリピンが多民族国家であり、フィリピン社会の優しさを無視した、典型的な日本人の傲慢な単一文化主義にもとづく第三世界蔑視の視線がある。

そもそもこの議論は、日本では日本語ができない外国人は、生きていけないという、日本語単一言語主義が確立した日本の特殊性をフィリピンにも投射しただけの単なる暴論である。フィリピンは、そもそもある単一言語がフィリピン全土で使われている国ではない。フィリピンで国語はフィリピノ語であり、公用語は英語であるが、実際には両言語ともできないで生活している人は少なくない。フィリピンは、「日本語しかできない」からといって、それで不自由したり、排撃されたりするような社会ではない。マレー系は異なる文化や言語にも寛容であるので、日本で日本語ができない外国人が遭うような排除やいじめなど起きにくい。「日本語しかできない娘はかわいそう」というのは、フィリピン人が自国語ができない人間を日本人みたいに排除したがるような社会だと思い込んでいる時点で、フィリピンを侮辱している。

日本には日本語以外の言語のコミュニティが独立して存在する環境にはないので、世界で最も強勢な言語と国民である米国人ですら、日本で生活する以上は、日本語なしで生活することは不可能だ。それほど日本は日本語の強制圧力が強い。
私も台湾から日本に戻ると、「日本では日本語しか使われていない」ことに驚嘆するほどだ。台湾では、ラジオテレビであれ、公共交通機関のアナウンスであれ、毎日どこかで北京語と台湾語はもちろん、客家語も並行して使われており、また日本語や英語だけが飛び交うコミュニティも存在しているのが「当たり前」なので、日本のように「日本語だけしか使われていない」社会は、逆に異様に感じるのだ。
移民国家米国は日本と対照的だ。米国のシカゴのポーランド人コミュニティを訪れたことがあるが、英語ができなくても生活できている。さすが「シカゴはポーランド人第2の都市だ」と言われるだけのことはある(シカゴのポーランド移民は100万人とされているが、これはポーランド人の都市としてはワルシャワにつぐ大きさ)。
ロンドンではフランス、スペインの新聞などに混じって、アラビア語(アルハヤーであることが多い)の新聞なども普通のスタンドで売られているし、これは欧州の都市では普通の光景だが、日本のキヨスクでは普通、日本語の新聞しか売られていないのとは対照的だ(英字紙も日本の会社が発行するもの)。
だから、「送還反対論者」は、そうした日本の光景を他国にも投射して「かわいそう」といっているだけなのだ。逆に日本が特殊であることを考えようともしない。

カルデロンの娘も含めた送還に反対する人は、要するに特殊な単一言語強制社会、異質なものをいじめ排除してしまう日本の特殊なあり方を、フィリピンにも当てはめて議論しているだけである。それはフィリピンに失礼というものだ。

また、カルデロンの娘が中学生という、まだまだ脳が固まっていない年齢であることを無視して「日本語しかできないからかわいそう」という議論は、年齢が低いほど、言語や習慣に対する適応能力が高いことを無視した「大人社会の勝手なリクツ」だ。
確かに、言語習得が完璧に行われる時期は小学校低学年までなので、中学生となれば、習得のスピードはそれより若干劣るし、プロソディまで含めた「ネーティブ並の自然な発音取得」は困難であるほど高い年齢だ。しかし、だからといって「送還反対論」を叫んでいる日本語単一言語主義者や言語習得脳が退化している大人が、「かわいそう」と心配するほどには、中学生の言語に対する適応能力は低くはない。人にもよるだろうが、おそらく1-3ヶ月もすればほとんどの会話は理解でき、1年後には流暢に会話できているはずである。これが大脳細胞が日々減少している大人だったら、初めて接する言語環境に放り込まれた場合、リスニング能力だけでも1年以上はかかり、ある程度流暢に話せるまでになるには3年、人によっては永遠にできないこともある。しかし中学生についていえば、そんな心配は初めから無用だ。

つまり「送還反対論者」は、中学生が未成年だからといって、その言語取得能力が大人より低いと決め付けて見くびっているのだ。ところが、言語取得能力については、年齢とは反比例する。中学生のほうが大人よりも勝っているのだ。
そして、フィリピンは「日本語しかできない人」が排除されるようなギスギスした社会ではない。

また、不法滞在者が家族がいるからといって特別在住資格を与えよという議論は、今後増え続ける不法滞在者が、家族を持ちさせすれば合法になってしまうという前例を作るものであり、今後同様の不法滞在者を取り締まることはまったく不可能になってしまう。
日本と第三世界の所得格差を考えれば、不法滞在者はどんな手段を使ってでも滞在しようとしているのだから、それをみすみす見逃し、幇助するような「家族がいるから特別在住資格」というのは、世の中の仕組みをわかっていない暴論だ。

しかも、「特別在住資格を与えろ」というのは、いってみれば、入管関連法令のうち、法務大臣の裁量権を拡大解釈したものであり、行政の肥大化、司法や立法の形骸化、法治国家の否定につながる暴論だ。「強制送還反対派」が憲法については「解釈改憲」に反対して、自衛隊の裁量権に反対している一方で、この問題では法務大臣の裁量権を求めるのは、おかしい。
そもそも、防衛省なら駄目だが、法務省ならいいという議論は理解できない(逆にウヨクが9条撤廃して軍事力充実をというのも、軍隊もまた官僚であることを忘れている点で理解できない)。
法務省は主な官庁の中では最も頭が固く、保守的で権力的な官庁でもある点に留意したほうが良い。
それを無視して「法務大臣の裁量で在住資格を与えろ」という議論は、法務省の権限を拡大させ、法務ファシズムに荷担する危険な発想だ。
「外国人の人権擁護」がテーマだからそう主張するのだろうが、そういう裁量権は左翼に都合のよいテーマだけに適用されるとは限らない。「財閥がいかんから、軍に牽制してもらう」という戦前の発想が、軍部の暴走を招いた歴史を、左翼は学んでいない。法務省だろうが、防衛省だろうが、裁量権の濫用は問題である。不法滞在は強制送還するという原則を裁量権で突破してしまったら、その裁量権は国民の人権を抑圧する武器としても使われることになるのだ。

ただし、単に強制送還をしてそれでおしまいという問題ではないことはもちろんだ。この点は私も左翼のはしくれとして、右翼の単純な強制送還論とは異にする。
それは、日本に不法入国、滞在してでも、日本に出稼ぎして居座る外国人が後を絶たないのは、それらの国に雇用機会がなく、絶望的で絶対的な貧困が存在するためだ。だからフィリピン人や中国人やバングラデシュ人が日本に不法滞在したがる。
だから、単に個別対応で強制送還するだけでは、イタチゴッコであって、問題の解決にならない。
だからといってこれまで日本のODAがそうしてきたように単に金だけつっこんで、無償援助で「施しを与える」という発想も意味がない。無償援助はありがたみがなく、人々の怠惰を促進するだけで、自立支援とならない。

カルデロン氏一家は強制送還すべきだ。フィリピン政府もそれを望んでいる。しかし強制送還後のケアも必要だ。

そういう意味では、今の左翼の「送還反対論」も、右翼の「強制送還すればよい」論も、いずれもフィリピンの国情や中学生の言語取得能力の高さ、絶対貧困の問題を無視した、日本の島国にこもった身勝手な議論でしかない。

カルデロン一家の問題で明らかになったことは、そうした絶対貧困、雇用機会の欠如という構造的問題だ。だから明らかになったこの際、たとえばカルデロン氏の出身地周辺だけでもいいから、日本にわざわざ不法入国しなくても、ちゃんと働いて生活できるだけの雇用機会が確立される方法を日本が考えるべきなのだ。これは、官邸、法務省、外務省、経産省、国交省、防衛省に加え、NGOなども加わった形で、考えるべきことだ。これは本来日本の左翼が主張すべきことだが、日本の左翼はどういうわけか目先の日本国内に限定した「人権」にこだわって、広い視点で経済問題を考えられないところに重大な欠陥がある。だからこそ、浅薄な日本の右翼の国粋主義論に左翼が勝てないのではなかろうか?左翼が本来の意味でアジアを見つめ、日本の狭い枠組みから思考と視野が解き放たれるならば、現在跋扈するアホなウヨクなど簡単に乗り越えられる。それだけ現在の日本のウヨクは低レベルだが、左翼もまた視野狭窄なのだ(ブログのプレカリアートがその典型)。


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