「ラジオ・タイワン・インターナショナル」という名称で、国際放送を運営する台湾政府外郭財団法人・中央廣播電台(中央ラジオ)だが、任期をまだ1年残して民進党政権時代に就任した役員が集団辞職する騒ぎになっている。
9月30日自由時報が1面トップで報じたことから明るみに出たのだが、同報道によると、発端は馬政権になってから新聞局など監督政府機関が「中国批判をあまりしないように」と圧力を加えたことだという。
同放送局は台湾語や華語の番組に何度が出演したことがあるし、役員や内部の人は何人も知り合いがいるので、ちょっと書きにくいところもある。
わたしが現場関係者から聞いたところでは自由時報の報道も一面的、一方的のきらいはある。内部職員には放送業務を知らない政治任命の役員への不満もあったらしいし、政府系放送なのに現政権を声高に批判する番組もあったから、必ずしも馬政権だけに非があるわけでもないようだ。とはいえ、馬政権が「中国批判をあまりするな」といって圧力をかけたのは事実であり、この問題は馬政権の媚中体質を物語るものとして、根が深く、禍根を残すことになるだろう。
禍根といえば、制度的に任期が保障されているはずの政府外郭団体で、任期まで1年以上を残して、次々に馬政権からの圧力で民進党時代に就任した役員が辞めさせられているという問題がある。
もともと台湾の制度やシステムなるものは、あまり信用に値しないところがある。とはいえ、これまで概して守られていた制度が、こうやって政治的な圧力でいとも簡単に覆されてしまうのは、問題であろう。いや、そうやって簡単に制度を反古にしてしまうということは、その矛先は必ず自らにも向かってくるということだ。
制度というものは、信頼に立脚している。その信頼を自ら破れば、その人も信頼されないから、その人(総統)の任期もまた制度的に保障されないことになる。
まして、中華民国憲法は憲法本文のうち3分の2が空文化している意味のない、欠陥だらけの憲法だ(そもそも国家の成立要件たる国土すら、憲法では明確でない)。それが総統の任期を4年だと規定していても、その総統自身が憲法によって制定された法令が保障する他の制度を平気でふみにじった以上は、憲法による総統任期の制度的保障もまた空文化したといえるだろう。
まして国民党勢力は2006年に当時の陳水扁総統の国務機密費横領疑惑で確たる証拠もなしに「問題がある総統は辞めるべきだ」と総統任期は保障されないものだというロジックを自ら展開した前科がある。
当時の国民党はよもや2年後に政権を奪回すると思ってもみなかったからそんな主張をしたのだろうが、「問題がある総統は、民選にもかかわらず辞めるべきだ」という主張、それから今回の憲法の下にある法令で決められた外郭団体役員任期を否定する行動は、中華民国総統なるものの任期が実は不確定で、不安定であることを示しているわけだ。
いや、新興民主主義国家では概して「制度」なるものは未熟で不安定である。最近南アフリカでも大統領が任期を半年近く残して辞任を迫られたように。南アフリカの場合は、半大統領制ではなく、大統領制であり、かつ議会から選出されるので、事実上多数派の与党による任命となるから、台湾とは事情が異なるとはいえ、新興民主主義国家では「任期などの制度」なるものが、不安定であることの証明になる。
そもそも半(準)大統領制なるものは、フランスで定式化し成功したことを除けば、いずれも独裁に傾斜しやすく(そもそも大統領は三権の上にあり、議会に責任を負わないわけだから、独裁制に傾いて当然だ)、民主主義、ましては成熟した市民社会にはなじまない制度である。半大統領制でありながら民主主義国家だったところは、いずれも議院内閣制に移行した(フィンランド、リトアニア、アイルランドなど)。まだ残っているのは韓国と台湾だけだが、いずれも冷戦反共独裁時代のいわば歴史の遺物であり、韓国でも台湾でも無能な大統領を選んでしまったばかりに、制度として破綻が明らかになっている。
そういう意味では、台湾も早晩、議院内閣制、責任内閣制への移行が不可避だろう。もちろんそのためには二院制にして、さらに下院=衆議院の比例代表部分を大幅に増やしたうえで、現在の議会を改選する必要があるだろうが。
その時期は意外に早く来るかもしれない。馬政権は、国民党自身にとっては愚かだが、民進党や市民社会にとっては都合が良いことに、まったく反省能力も検討能力もなく、現在の超不人気な内閣をそのまま温存し、誤った政策を継続させるつもりらしいから。これは自らの破局するまで泥舟に乗って突っ走るということなのである。
3月の総統選挙の結果を見て、私は一瞬台湾人は学習能力もなく、まったくバカな選択をしたものだと思った。腐敗堕落無能の代名詞でしかない国民党を議会の絶対多数派にしたうえ政権に復帰させ、無能であることをみんなが知っていた馬英九を総統に選ぶというのは、どうみても愚かだと思った。
ところが、実はそうではないのかもしれない。わたしが「したたかな隣人」と呼んだように、数々の外来勢力に支配されてきた台湾人は、おそらく本人たちは無意識なのだろうし、それほど深く考えていないようだが、実は後から見て深謀遠慮ともいえる結果を選択することが実は多いからだ。
勝ちすぎた国民党と馬英九、その政権獲得と同時にタイミングよく発生した世界金融危機と中国経済の暴落。もちろん台湾人自身は自覚的ではなかっただろうが、これは実は国民党と馬英九に対して仕掛けられた、巧みなトラップなのだろう。
民進党がいくら党産や歴史問題を持ち出して叩いても壊れなかった国民党。それなら逆に勝たせるだけ勝たせることで、すべての責任と負担がかかるようにすれば、むしろ崩壊を早めることにもなる。ちょうど国民党が命綱にしてきた米国と中国の没落も起こったことだし、勝ちすぎた国民党と馬英九は勝ちすぎたことによって自滅するのである。
過ぎたるは及ばざるが如し、あるいは塞翁が馬の故事はそのあたりをよく示している。
落馬して骨折した子供が1年後の戦争で従軍せずに済み、命拾いしたことになるだろうから。塞翁が馬の故事でもその期間が1年になっているのも意味深長だ。
9月30日自由時報が1面トップで報じたことから明るみに出たのだが、同報道によると、発端は馬政権になってから新聞局など監督政府機関が「中国批判をあまりしないように」と圧力を加えたことだという。
同放送局は台湾語や華語の番組に何度が出演したことがあるし、役員や内部の人は何人も知り合いがいるので、ちょっと書きにくいところもある。
わたしが現場関係者から聞いたところでは自由時報の報道も一面的、一方的のきらいはある。内部職員には放送業務を知らない政治任命の役員への不満もあったらしいし、政府系放送なのに現政権を声高に批判する番組もあったから、必ずしも馬政権だけに非があるわけでもないようだ。とはいえ、馬政権が「中国批判をあまりするな」といって圧力をかけたのは事実であり、この問題は馬政権の媚中体質を物語るものとして、根が深く、禍根を残すことになるだろう。
禍根といえば、制度的に任期が保障されているはずの政府外郭団体で、任期まで1年以上を残して、次々に馬政権からの圧力で民進党時代に就任した役員が辞めさせられているという問題がある。
もともと台湾の制度やシステムなるものは、あまり信用に値しないところがある。とはいえ、これまで概して守られていた制度が、こうやって政治的な圧力でいとも簡単に覆されてしまうのは、問題であろう。いや、そうやって簡単に制度を反古にしてしまうということは、その矛先は必ず自らにも向かってくるということだ。
制度というものは、信頼に立脚している。その信頼を自ら破れば、その人も信頼されないから、その人(総統)の任期もまた制度的に保障されないことになる。
まして、中華民国憲法は憲法本文のうち3分の2が空文化している意味のない、欠陥だらけの憲法だ(そもそも国家の成立要件たる国土すら、憲法では明確でない)。それが総統の任期を4年だと規定していても、その総統自身が憲法によって制定された法令が保障する他の制度を平気でふみにじった以上は、憲法による総統任期の制度的保障もまた空文化したといえるだろう。
まして国民党勢力は2006年に当時の陳水扁総統の国務機密費横領疑惑で確たる証拠もなしに「問題がある総統は辞めるべきだ」と総統任期は保障されないものだというロジックを自ら展開した前科がある。
当時の国民党はよもや2年後に政権を奪回すると思ってもみなかったからそんな主張をしたのだろうが、「問題がある総統は、民選にもかかわらず辞めるべきだ」という主張、それから今回の憲法の下にある法令で決められた外郭団体役員任期を否定する行動は、中華民国総統なるものの任期が実は不確定で、不安定であることを示しているわけだ。
いや、新興民主主義国家では概して「制度」なるものは未熟で不安定である。最近南アフリカでも大統領が任期を半年近く残して辞任を迫られたように。南アフリカの場合は、半大統領制ではなく、大統領制であり、かつ議会から選出されるので、事実上多数派の与党による任命となるから、台湾とは事情が異なるとはいえ、新興民主主義国家では「任期などの制度」なるものが、不安定であることの証明になる。
そもそも半(準)大統領制なるものは、フランスで定式化し成功したことを除けば、いずれも独裁に傾斜しやすく(そもそも大統領は三権の上にあり、議会に責任を負わないわけだから、独裁制に傾いて当然だ)、民主主義、ましては成熟した市民社会にはなじまない制度である。半大統領制でありながら民主主義国家だったところは、いずれも議院内閣制に移行した(フィンランド、リトアニア、アイルランドなど)。まだ残っているのは韓国と台湾だけだが、いずれも冷戦反共独裁時代のいわば歴史の遺物であり、韓国でも台湾でも無能な大統領を選んでしまったばかりに、制度として破綻が明らかになっている。
そういう意味では、台湾も早晩、議院内閣制、責任内閣制への移行が不可避だろう。もちろんそのためには二院制にして、さらに下院=衆議院の比例代表部分を大幅に増やしたうえで、現在の議会を改選する必要があるだろうが。
その時期は意外に早く来るかもしれない。馬政権は、国民党自身にとっては愚かだが、民進党や市民社会にとっては都合が良いことに、まったく反省能力も検討能力もなく、現在の超不人気な内閣をそのまま温存し、誤った政策を継続させるつもりらしいから。これは自らの破局するまで泥舟に乗って突っ走るということなのである。
3月の総統選挙の結果を見て、私は一瞬台湾人は学習能力もなく、まったくバカな選択をしたものだと思った。腐敗堕落無能の代名詞でしかない国民党を議会の絶対多数派にしたうえ政権に復帰させ、無能であることをみんなが知っていた馬英九を総統に選ぶというのは、どうみても愚かだと思った。
ところが、実はそうではないのかもしれない。わたしが「したたかな隣人」と呼んだように、数々の外来勢力に支配されてきた台湾人は、おそらく本人たちは無意識なのだろうし、それほど深く考えていないようだが、実は後から見て深謀遠慮ともいえる結果を選択することが実は多いからだ。
勝ちすぎた国民党と馬英九、その政権獲得と同時にタイミングよく発生した世界金融危機と中国経済の暴落。もちろん台湾人自身は自覚的ではなかっただろうが、これは実は国民党と馬英九に対して仕掛けられた、巧みなトラップなのだろう。
民進党がいくら党産や歴史問題を持ち出して叩いても壊れなかった国民党。それなら逆に勝たせるだけ勝たせることで、すべての責任と負担がかかるようにすれば、むしろ崩壊を早めることにもなる。ちょうど国民党が命綱にしてきた米国と中国の没落も起こったことだし、勝ちすぎた国民党と馬英九は勝ちすぎたことによって自滅するのである。
過ぎたるは及ばざるが如し、あるいは塞翁が馬の故事はそのあたりをよく示している。
落馬して骨折した子供が1年後の戦争で従軍せずに済み、命拾いしたことになるだろうから。塞翁が馬の故事でもその期間が1年になっているのも意味深長だ。