月光院璋子の映画日記

気ままな映画備忘録日記です。

ジョン・マルコヴィッチの「ジキル博士とハイド氏」

2008年10月02日 | ◆サ行&ザ行

「ジキルとハイド」の映画と言えば、サイレント映画の白黒を学生時代に見たような記憶があるのですが、スペンサー・トレイシー主演の映画(1941年)くらいしか観ていないような気もします。
結構制作されているんですね。

どの『ジキルとハイド』かと思って見ることにしたら、何とジュリア・ロバーツとジョン・マルコヴィッチ主演(1995年制作)だったので、ちょっと驚愕。

★監督 スティーブン・フリアーズ(1996年制作)
ジョン・マルコヴィッチ、ジュリア・ロバーツ主演


ジュリア・ロバーツって、イマイチタイプじゃないせいか、ノーチェックでしたけれど、こういう映画にも出ているんですね・・・・

前髪を垂らすとこうなるのね・・・(何と言うか、映画『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』の彼女とは180度違う地味ィ~なお顔になります)という発見もあったけれど、

家政婦メアリから見たジキルとハイド・・・・
映画はそういう視点で作られているせいか、その家政婦は字が読める知的関心が高い家政婦ということで、他の使用人や奉公人たちとの違いがアピールされ、ハイド博士の目に留まったきっかけにしています。脚本が先だったのかジュリア・ロバーツの配役が先行しての配慮なのか、ちょっと興味がありますね。
けれど、彼女を過去に父親から性的虐待を受けた娘という役柄にすることでジキルとハイドに象徴される男性の二面性や二重性と女性の側のそれを対比させる形にした構図は、何だか「ジキルとハイド」の面白さを台無しにしているように思えました。

それにしても、高級娼婦の娼館経営者のグレン・グロースには、驚愕させられました。きっと楽しんで役作りをしたに違いないと。

笑えました。この口元をご覧下さい。大きくはみ出して塗っている口紅の朱色の凄さ!まさに19世紀高級娼婦館の、無教養で強欲なだけの女経営者というイメージのメイキャップ!

ジョン・マルコヴィッチ主演なので、当然原作とはかなりラインが違う映画になっているだろうなァと了解しつつ見たわけですけれど、その彼もイマイチだったなあと。


(魂の抜け殻のようなジキル博士)


(生を謳歌するエロいハイド氏)

映画では19世紀のロンドンといったイメージの街ながら、ジキル博士の屋敷の研究室(敷地内の地下から入る)は、中がモダンな印象で、そういうところにも拘りを見せているのは分かるのですが・・・・魂の救済物語=愛の物語に作り変えたかったらしい意図のせいで駄作に終わってしまったようです。欠伸が出てしまったほどで・・・・

ちなみに、『ジキルとハイド』の映画がなぜ繰り返し作られるのかと言えば、創作意欲を刺激する素材だということ以上に、やはり面白いからなのだと思います。その面白さを大事にしてもらいたかったなあと。

以下、いくつか挙げてみましたが、
ストレートに「ジキルとハイド」というタイトルにしたものだけでも、まだあるようで、TVドラマやジキルとハイドをモチーフにしたようなものならきっと数え切れないくらいあるのではないでしょうか。

★巨匠ヴィクター・フレミング監督(1941年制作)
スペンサー・トレイシー主演、ラナ・ターナー、若い頃のイングリッド・バーグマンも。

(名優スペンサー・トレイシー)

★ルーベン・ムアーリン監督(1931(32?)年制作)
フレデリック・マーチ主演
 (2枚組みDVD)
            (左がフレデリック・マーチ、右はスペンサー・トレーシー)

★モーリス・フィリップ監督(2002年制作)
ジョン・ハナー、デヴィッド・ワーナー主演


★BBCでも制作版。

★チャールズ・J・ヘイドン監督(1920年制作サイレント映画)
ジョン・バリモア主演

★ジョン・S・ロバートソン監督(1932年制作サイレント映画)
ジョン・バリモア主演のリメイク版でしょうか。

ホラー系、サスペンス系、幻想怪奇系、サイコ系、どんな映画になっているのでしょうね・・・・。こうしてアップしているうちにいつか見比べてみようかなという気になってきました。ホラー映画は好きですが、実は『ジキルとハイド』をホラー映画だと思っていないのかもしれませんね。


映画「君の名は」

2008年10月01日 | ◆カ行&ガ行

映画『君の名は』は、主題歌のメロディを、当時生まれていなかった私でも口ずさめるほど。
戦後最大のメロドラマとして名高いこのドラマは、「君の名は」というTVドラマの映画化かと思っていたら、ラジオドラマの映画化だったのですね。考えてみれば、この映画は1953年に制作されているので、それ以前にテレビが全国的に普及しているはずがないのですから、TVドラマのわけはないのです。
テレビドラマの「君の名は」は、新旧両方見てはいるのですけれど、映画は断片的にしか記憶がなくて、迂闊でした。
原作が菊田一夫だというのも今回初めて知りました。

★菊田一夫
http://movie.goo.ne.jp/cast/109485/index.html

そして、実は、
音楽が古関裕二だということも今回初めて知りました。
古関裕二といえば、生家のある福島県に当地から転居していった歌手のこういうのも、迂闊、というのでしょう。

★古関裕二(が音楽を担当している映画)
http://movie.goo.ne.jp/cast/108169/index.html

さらに驚愕したのは、映画の中で使われている伴奏や効果音が、何と怪獣映画での効果音と同じ!ハモンドオルガン!



お化けでも出てきそうな・・・・(汗)
メロドラマで主人公男女二人の心細さや切なさという気持ち、そして障害があまりにあるので、今後どうなっちゃうんだろうという二人の行方を案じる観客の気持ちに添うための音楽なのでしょうが。。。。何だか怪獣映画のイメージと重なり、「ハラハラして不安になる」という状況でハモンドオルガンを使うという感覚に、「古さ」と「違和感」と「懐かしさ」を感じつつも、一人「新鮮さ」(←、く、くるしい・・・・)もまた感じた次第です。(汗)

そして、映画『君の名は』が、第一部から第三部まであったなんて、それも今回初めて知って驚きました。

★第一部・・・http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD23812/story.html
★第二部・・・http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD23873/story.html
★第三部・・・
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD24009/story.html

とまあ、何もかも新発見でした。そして、発見したというよりは、再認識させられたのは、この映画が制作された当時の日本人と、それからおよそ半世紀を経た現代の日本人は、「別人」じゃないかというもの。

             
(単に≪純愛≫なのではありません。「抑制」は男の美学。「忍耐」は女の美学になっていくので、彼らの恋愛は人生を賭けた哲学的な求道になります。どこまでも「清く」「正しく」「美しく」まっしぐらの二人)

男女六歳にして席を同じうせず、ではないけれど・・・・、男女の性差への認識をベースにした男女別の教育ならではの恋愛の作法とでもいうのでしょうか。当時大人だった日本人の言葉遣いは実に美しい。いまでは、80歳、90歳を過ぎた方達からしか聞けない日本語となりましたけれど。それが全編オンパレードです。

     

韓国ドラマの「冬のソナタ」に涙する感覚や感性が育まれていないと、いまやこの「君の名は」がどうしてあれほどまでに全国的にヒットし当時の日本人に愛されたのか・・・・、理解できない部分があるかもしれません。

けれど、この「君の名は」は、メロドラマの大きな要素

1.障壁があること
2.すれ違い

これらは「冬のソナタ」同様にてんこ盛りですが、
これら二つのドラマは明らかに違うことも発見しました。

日本の昭和三十年代のドラマを踏襲したかのようなドラマだと称される『冬のソナタ』ですが、もう笑ってしまうしかないほど人工的な(つまりは、あり得ない、わざとらしいという意味の)障害が二人の恋路を邪魔すべく次から次と発生する『冬のソナタ』と違って、『君の名は』は、当時の日本社会にまだ普通にあった社会的倫理、結婚における倫理というれっきとした障害だということであり、その価値観を映画の登場人物達も皆共有していることです。

    (淡島千景)

真知子と後宮の二人の共通の友人、ひさご屋の綾は、戦後の困難な時代でも自立してやっていけた旅館経営者。かなりさばさばした性格の戦後女性の先取り的存在ながら、真知子の境遇にいっしょに涙します。ストイックで誠実なロマンチストの後宮に彼女も引かれていながら片思いにじっと耐える女性です。

    (月丘夢路)

後宮の姉を演じた月丘夢路。敗戦後の混乱期に仕事を求めて上京したものの、女衒に騙されて売春をして生きていた時期を隠しながら、戦後正業に就いて一生懸命生きる女性。けれど、妻を亡くして子持ちの男性に見初められ、妻にと請われ苦悩します。

このように、彼女たちもまた、「結婚して家庭婦人となる女性は商売女と称される女性とは違って貞淑であるべき女性」という価値観、つまり「貞淑は女性の美徳」という価値観を共有しているわけです。ゆえに、「嫁は我慢するもの」「夫は妻をいたわり妻は夫に従う」「嫁してはその家の家風に従いながら夫婦で新しい家風を作っていく」「長男は親の面倒をみるべきもの」「不倫は恥ずべきこと、家名の泥を塗るトンでもない行為」「既婚者が他の異性を好きになるなど許されない」という価値観をも皆共有しています。
そうした中で、運命的な出会いをしてしまった(と双方が思っている)真知子と春樹のまじめな二人がいっしょになるためにはどうすればいいのか。言い方を変えるなら、どうあれば、周囲の共感を得ていけるか。

     
(数寄屋橋で初めて会ったときから何年経った後なのか・・・・忍耐づくめで戦前の山の手言葉で泣いて詫びてばかりいる真知子さんですが、こうしてみると凄みがあります。「わたくしも苦労して参りましたもの」と言うだけのことはありました))

『君の名は』には≪個人の恋愛(感情)≫と≪社会道徳や一般的に共有されている倫理≫との葛藤という正統派の恋愛ドラマの構図がちゃんとあるんですね。
主人公の二人は戦前教育で育てられた若い男女。こうした社会倫理との葛藤は大きかったことでしょう。男性は、女性の夫から裁判で訴えられたりというリアルな社会的葛藤にも晒されます。

   
(嫁である真知子に対して懺悔して許しを請いつつ涙する姑と姑の期待に答えられないどうしようもない後宮への思いを語り、許しを請う嫁。この姑役を演じていたのは市川春代という女優さんでしたが・・・この最後の場面では当時の観客は感涙されたことと思いますが、私は思わず笑ってしまいました)

さらに加えて、社会との対立や対峙というだけではなく、主人公たちの自己抑制、内的にも倫理的に葛藤するところは、もう失われた戦前の日本の美学と呼んでもいいほど。
相手を大事に思えばこそ、安易に性行為をしない。なぜなら、不倫の関係にある性行為はエゴイスティックな行為であり、肉体的な欲望に負けて相手を軽んじることと変わらないからだという、武士道的なストイックな美学。もうたまりませんね。(笑)

1980年代の「金妻」以降、日本は不倫ではなくフリンが大隆盛になってしまっているので、この内的な自己抑制に美学を感じることなどもう理解してはもらえないかもしれませんね・・・

      
愛する女性に、苦しんでいるのは僕たちだけじゃなく、君のご主人も君への愛で苦しんでいるんだ。だから、彼からの許しがなかったなら、一生君と肉体的に結ばれなくても僕はいいんだ。そんなことがなくても僕のこころは一生君を愛するのだからと言う男性(後宮春樹くん)

ということで、
監督大庭秀雄。主役の男女後宮春樹と氏家真知子に中井貴一のお父様佐田啓二、70歳を過ぎてなお妖艶な岸恵子が配されている昭和を代表するメロドラマとして横綱級だと言えると思います。
ちなみに、ラストの画像は、トニー・レオンではありません。
佐田啓二です。二人がこんなに似ているなんて、これも大発見でした。(笑)

 


☆9月の映画鑑賞(4)

2008年10月01日 | ■2008年 9月の映画鑑賞
9月も今日で終わりですね・・・
今月は雑事に追われる日が多くて、なかなかゆっくり映画三昧する気持ちになれず、そうした時間も持てませんでした。
それでも、何本かは観ることができたかなと思いますので、前回の「9月の映画鑑賞(3)」以降に観た映画をメモしておきたいと思います。

 
●「きみにしか聞こえない」(2007年制作 邦画)
 
 
主演は、成海璃子と小出恵介。 成海の母親役の小手川佑子、久しぶりに見ましたが・・・・・随分老けちゃったなあと感じられて、ちょっと驚きました。小出恵介の祖母役の八千草薫は相変わらず素敵でした。
 
●「アトミック ツイスター(Atomic Twister) 」


竜巻で原発がメルトダウンするB級パニック映画。これってアメリカでどのくらい可能性があるものなのか。ハリケーンや竜巻被害の大きいアメリカですが、実際に竜巻がよく発生するところに原発があるのか分からないのです。もしあり得るなら、地震国での原発のリスクとそうした地域での原発とどちらがリスキーなのか・・・・いずれにしても原子力安全委員会しか出てこない政府と言うところがいかにもB級です。日本映画のパニックものと同じで、政府の描かれ方に緊張感が全然ないのは日米共通ですね。

 
●「エンド ゲーム(Ebd Game)大統領最期の日
 
「大統領最期の日」という副題がついたように、映画冒頭いきなりアメリカ大統領が狙撃されます。こういう設定って、なかなかないので、新鮮でした。2006年制作のアメリカサスペンスアクション映画です。大統領の身近に仕えるシークレットサーヴィスを演じたキューバ・グッディング・Jr、彼を取り巻くキャスティングがなかなか面白かったです。ただし記者役のアンジー・ハーモンという女優はイマイチで、映画のテイストと合わなかった気がします。
http://www.nikkatsu.com/endgame/


●「ノーウェィ アップ(No Way Up)

●「クローズ ゼロ」(邦画)


小栗旬、やべきょうすけ主演の青春映画。
男というのは、つくずく「派閥」を作りたがる猿と同じ生理&精神構造をもっているのかと再認識。(男性の方、お気を悪くされたらごめんなさい) まあ、青春時代に体験するほとんどのことがこの映画で描かれていると言えるかもしれませんね、一昔前なら、同類の劇画を原作とした映画『愛と誠』とか、『男組』(映画化はされなかったかも)と同類ですね。
★http://www.crows-zero.jp/index.html
 
あと、数本観た様に思うのですが・・・
忘れてしまいました。
 
●「君の名は 第一部~第三部」 (1953年制作 邦画)

ブログで別立てでアップします。