月光院璋子の映画日記

気ままな映画備忘録日記です。

「ハムナプトラ 3/ 呪われた皇帝の秘宝」

2008年08月19日 | ◆ハ行&バ・パ・ヴ行

ジェット・リーが出ているので、期待したのに・・・・
北京オリンピック開催に合わせての公開なので、もしかしたら華僑資本で作られたのかな~などと茶々を入れたくなったほど、映画冒頭からチャイナカラーでしたね~

ボンドガールのミシェール・ヨーが、すごく老けて見えたのが気になりました・・・・いま彼女はいくつになったのでしょう・・・・娘のリン役の女優が若さいっぱいだったせいか。かつてのチャイナビューティが田舎のおばさんみたいに老けて見えたのが気になりました。


(どこのおばさまかと目を疑ってしまうほどだったミシェール・ヨー) 

なぜって、彼女は、ジェット・リー扮する独裁者の皇帝が部下の将軍を処刑してしまうほど手に入れたいと望んだ女性だからで、その理由がイマイチ分からないような感じで、脚本が悪いのかジェット・リーがその辺りをただの好色で残忍な皇帝像といったイメージの演出に重きを置いたせいなのか不明ですが、
それならそれでここまで老け込んだ感じのやつれた感じのするミシェール・ヨー扮する女性を手に入れたがった理由がますます分からなくなります。そういう印象が拭えなかったですね。最初から≪母親役≫オンリーの方が違和感なく観られたかなと。

ぶっちゃけ、あまりのつまらなさに閉口してしまいました。

<!-- 『ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘宝』 -->


それに、ナンだかヘンだなあ・・・・と。そう思いながら娘たちといっしょに観ていたのですが、居合わせた皆が口々に小声で、「奥さんって、この女(ひと)だった?」と。

まあ、息子があんなに大きくなったのだから、リック・オコーネルの妻エヴリンがレイチェル・ワイズでは適役じゃないと思われたのかどうかよくわからないですが・・・・
そう、娘たちの印象どおり、レイチェル・ワイズではなく、
まったくの別人の女優が演じていました。

でも、どこかで観た顔だと思ったら、この間観た映画『ジェイン・オースティンの読書会』のマリア・ベロ
この女優は、サスペンス向きでもあり知的でユーモアのある役柄も似合っているので、『ハムナプトラ』で冒険好きな女性のキャラをそつなく演じていましたけれど・・・・、シリーズ物なら、こういう役どころは変えない方が映画のためにはいいのではないかしら。


(レイチェル・ワイズの演じたエヴリンのイメージからあまり逸脱しないようにと考えたのかどうか分からいけれど、そんな感じがするほど、そつなく演じていた姿が逆に浮き上がっていたりして・・・)

この彼女以外は、お馴染みの顔。



主演(のはず)の彼リック・オコーネルは、いつも通りですし、

ひょうきんなお兄様もいつも通り。(名前を失念!)

そのせいか、ナンだか、『ハムナプトラ』としては違和感がありましたね。けれど、まあ、オコーネルの再婚相手だと勝手に思ってみれば、それはそれで納得することも可能なのですけれど、映画の中で前作、前々作でのシーンを夫婦が回顧する会話が再三でてくるので、そこは正直なところ、相手が違うのにそんな回顧は無理というものだわと共感できなかったですね。その台詞や夫婦愛や親子の愛情を謳いたかったなら、レイチェル・ワイズを登用すべきでした。何といっても、この『3』は冒険ファミリー全員集合映画ですもの・・・。


それにしても、ジェット・リー

それなりに悪役になりきって演じていましたが、ナンだか映画『ONE』のときの一人二役のときの悪役と同様で、無理しているなあと。やはり、残虐非道な悪役は似合わないですね。



彼本来の≪善性≫を押し隠すためか、とにかく後半はほとんど台詞なし。こうして見れば、やっぱり悪逆非道な皇帝を本来なら倒す側のお顔です。始皇帝の悪と負のイメージだけを合わせたような権力者といった役柄はやっぱり似合いません。

石にされたジェット・リー扮する悪逆な皇帝という役ながら、これ、なんだか、ジャッキー・チェンとの共演&競演作の孫悟空のパクリかと思わず目を見開いてしまいました。まあ、そういった近作へのオマージュ盛りだくさん映画という点では、この監督も前任者の監督を意識されたのかもしれませんが・・・・

監督が変わると、こうもテイストが変わるという見本みたいな映画でした。ちなみに、監督は、ロブ・コーエン。以前の2作は、スティーヴン・ソマーズ監督。前2作の『ハムナプトラ』でも『ザ・グリード』のノリがあって楽しめましたが、今回の『3』では、CGに頼りすぎた雪男の出現で終わりで、B級映画の大作といったノリが感じられなくてつまらなかったです。とにかく拍子抜けするほどつまらなかった。少なくとも、いっしょに観た3人の高校生娘と大人2人の感想が、期せずして皆、「つまらなかったァ」。

ラストのお兄様の言葉で、『ハムナプトラ 4』が出来そうだなあという思いは皆持つでしょうが、今度はどんな映画のパクリとオマージュになるのか・・・・次なる舞台は南米でしょうかァ 

映画館に観にいくなんてことは、
まずおススメしませんね・・・・

 

 


「8 Mile」

2008年08月16日 | ★ご挨拶&その他

---最初に観たときの衝撃と感動から比べれば、今回は衝撃が随分薄まっているようにも感じたけれど、ラストの313でのラップの勝ち抜き戦、日本のヤワな「詩のボクシング」とは比べるべくもない息詰まるような「ラップボクシング」は、今回も圧巻だと感じました。バニー・ラビットとパパ・ドッグののラップ対決。

まさにビートを刻むラップにおける詩情のほとばしり、瞬間に凝縮させ得る生というもの、そうせざるを得ない生き方、生きている証を得るべくラップに情熱を注ぎ込んでいく若者たちの輝きと暗さ、人生の光と影・・・・

見終えた後、今回も切なさが残りましたね。ヒップホップクラブに集う313という仲間たちのラストの姿とジミーの姿が二重写しになって切なかったです。

この映画は2003年制作なので、もう5年になるのだなあと。
近年の1年は本当に早い・・・・

8マイルというのは当時何のことかと思ったものですが、道路の名前で、デトロイトの貧困層が住み暮らすブロックを他から隔てる道路の名称。そんなストリートがあるのかどうか知らないけれど、この映画の音楽を担当しているエミネム自身がB.ラビットこと主人公のジミー役で出演していて、彼の自伝みたいなものだと語っているので、そうなんだろうなと。彼のプロフィールを読むと、殆どこの映画のジミーに重なる。

白人ラッパーというのは、確かに当初は珍しい異端児的扱いだったように思うけれど、地方の都市部の貧困層の若者は、ぶらぶらして犯罪に関わるか、そうでなければ軍隊に入るしかないらしく、マイケル・ムーア監督の弁を借りれば、そうした貧困層の若者はアメリカの軍需産業の繁栄のために未来永劫必要不可欠な若者たちであり、アメリカが志願兵制度である以上軍隊に入るしかない若者を輩出し続けるためにも貧困層を生み出す社会構造は変えられないようにできている。それがアメリカだということになるけれど・・・

エミネムの歌詞を辞書片手に読むまでもなく、そうした若者たちの置かれた状況はこのままでいいのかと他国ながら案じられてくる

この画像は、映画製作当時のものだが、目がトロンとしているのは、場違いなところにいる自身への思考停止のせいなのか、あるいは薬物のせいなのか・・・・・

映画「8Mile」の
監督は、サスペンスがお得意のカーティス・ハンソン。この監督はキム・ベイジンガーがタイプなのかもしれない。映画「LAコンフィデンシャル」のときのキム・ベイジンガーもそうだったけれど、男たちを虜にする輝くばかりの美貌と容姿を持っていながら、生まれと育ちが教養ある階層とは無縁の貧困層であるがゆえに、犯罪や貧困と縁が切れない状態に追い込まれ、結局は社会の底辺で生きるしかないというような女性像に愛着があるのかもしれないという想像をしたくなる。
なぜなら、モンロー同様にアメリカ東部のアッパークラスには入れないけれども、ハリウッドでなら成功できるかもしれないというタイプは、男性の何かを刺激するようで、そういったタイプの女性はいわば、掃き溜めにハスの花的存在で男たちには安心なのかもしれない。彼女たちはいつだって貧困と隣り合わせ。ゆえに堕ちれば絶望的な将来しかなくなる。



キム・ベイジンガーは、そうした意味である種幽閉された状態に置かれた美女像、堕ちた立場に置かれてそこから出て行けない女性像として男たちにとって理想的な女優なのかもしれない。イーストアッパークラス系列の女性では気重で、メリル・ストリープ系列では間違いなく出て行かれてしまうし・・・(苦笑)
退廃的な陰のある姿も男性たちにはたまらないのかなあとも思うけれど、いまや貧困家庭の母親役が回ってくる年齢になったのはさみしい。この映画でもトレーラー暮らしの貧困家庭の母親役として登場。教養がないがゆえにスキャンダラスな暮らしをし、貧しいがゆえに子育て放任の母親ながら・・・・、そんな母親に愛を求めればこそ憎まずにはいられない母と息子の関係。

そんな母親像、息子にとって心理的な葛藤が永遠に続く母親像としても、キム・ベイジンガーは理想かも。少なくとも良妻賢母タイプの苦労知らずのお譲ちゃんママや過保護な鬼母ママよりは、ずっといい。愛憎と血の関係を強烈に感じさせる存在だもの。

カーティス・ハンソン監督が、もしそういう意味で彼女を選んだのだとしたら、そのセンスには脱帽ですね。

 

 


★8月上旬の映画三昧

2008年08月15日 | ■2008年 8月の映画鑑賞

  ●=今回初めて観た映画
  ●=以前にも観ている映画

●「ジュラシックパーク 3」
----娘が怖いから一緒に見て!というので「付き合い」で観ることになった。が、最初のジュラシックパークの映画公開時の落胆を思い出してしまう。初公開を夏休みだったか冬休みだったかに合わせた過剰広報の悪影響だった。がっかりした記憶が残っているこのジュラシックシリーズは、最初のスピルバーグ監督作品からしてどれもテーマが中途半端なせいで面白みも中途半端・・・・・という印象がやはり拭えない。三作目の監督はジョー・ジョンストンだが、
思いっきりホラーにした方が面白い映画になったのではないかと残念。

●「ディープ・ブルー」
----パニックアクション映画の方ではなく、こちらはBBC制作のドキュメンタリー映画の方の「ディープ・ブルー」。高温多湿のサウナのような街中を子供連れで水族館に行くことを考えたら、こちらの方がずっとおススメ。

●「魂萌え」
---桐野夏生原作の作品を阪本順治が監督。この監督の作品の当たりはずれには困惑させられる。「亡国のイージス」のような冒頭の数分間で期待させつつ結局は駄作だったという映画を観るよりも、昔の(1990年代の)作品がおススメ。

●「闇の子供たち」
---同じく阪本順治監督の最新作ながら、映画としてはどうなんだろうと思う。出演者に誰を起用しようと彼らの演技がどうであろうと関係ない内容だから。若い世代への社会啓蒙映画なのだろうか?いまさらこうした臓器売買の闇ルートという現実を映画化する意味が不明だ。日本が似非ヒューマニズムの風潮に負けて国会で臓器移植法案を通してしまったとき、当時すでに臓器移植売買に付随する闇の部分、つまり人の命に値段がつくという現実に対してメキシコやパキスタン、インドでの事例を挙げて警鐘が鳴らされたものだったけれど・・・、多くの日本人はマスコミ誘導のお涙頂戴の世論形成に乗り、そんな世論を恐れ人工臓器の研究開発(心ある医師たちが切望していたにも関わらず)ではなく、生体間臓器移植に向けて舵を切ったのだ。このときから日本人の死生観に「脳死」は加わった。自然の死を受け入れない道、愛する者を救うためには他者の命をお金で買うという選択を許す道だが、この映画は命をお金で買われる側の現実を日本社会に知らしめる。そのための社会派映画なのだとしたら、その目的は何か。生体間の臓器移植を医療として容認した法律の廃案だろうか。

●「崖の上のぽにょ」
---娘が「いい映画なんだって」と友人たちのススメで私も一緒に観ることになったけれど、最初の10分で観るのをやめてしまった。

●「ポセイドンアドベンチャー2」
---何となくマイケル・ケインの若い頃が懐かしく、ただそれだけで観てしまったけれど、作品の古さは否めず、マイケル・ケイン主演でテリー・サバラスという個性派を登場させながら、ちっとも面白くないばかりか、若い頃のサリー・フィールドがミスキャスティングで正直、今観てもかなり不出来な映画です。

●「アメリカを売った男」
---実話をベースにしたポリティカルサスペンス。冷戦時代KGBに秘密情報員の情報を流していたFBI捜査官の国家反逆罪を暴き逮捕するまでの緊迫した心理劇だが、二重スパイをやってきた男を演じたクリス・クーパーと彼のオフィスに補佐の事務員として潜入捜査することになった若き捜査官の役のライアン・フィリップという取り合わせが異色でなかなかのキャスティングだったですね。

●「着信アリ ファイナル」
---お子様向けです。

●「L チェンジ ザ ワールド」
---囲碁を流行らせるほどブレイクした「ヒカルの碁」も、そのラストに失望させられた日本の子供たちは多かったろうけれど、「デスノート」のラストにも相当失望させられたというファンは多いのではないか。←コミックの話ですが、番外編の映画となった「L]も松山健一主演ゆえに、やっぱり現行の法律上の正義が勝つ内容になっている。つまらないはずですよね。

●「シモーヌ」
---何だかアル・パチーノの「シモーヌ」が観たくなって観たのか、アンドリュー・二コル監督の投げかけたテーマを元に思索してみたくなって観たのか不明ながら、これたまに観るといい映画としておススメですね。

●「グッドナイト ムーン」
---クサイ映画といえばいいのか、個性の異なる人気女優の競演がテーマといえばいいのか。監督が、クリン・コロンバスというファミリー向けの映画が得意な監督なので、幼い息子と思春期の難しい娘を残し癌で死ぬことになる母親の残された時間の子供たちへの愛を描いたヒューマンストーリーとして素直に観るのもいいけれど、また専業主婦として子供たちに全愛情を傾けてきた賢母の女性と、その夫の再婚相手であるキャリアウーマンの女性が子煩悩な彼への愛情のために子供たちの母親になるべくキャリアを捨てるという女性という、二人の女性の生き方と愛のドラマとして観るのもいいけれど、ジュリア・ロバーツとスーザン・サザーランドの競演というのがどうにも息苦しい。
似たような内容ながら、ベット・ミドラーとバーバラ・ハーシーの「フォーエヴァーフレンズ」の方が私には味わい深く感じられる。もしかしたら、この映画を意識して制作されたのかも。

●「POISON」
---アンジェリーナ・ジョリーとアントニオ・バンデラス共演のセクシークライム映画というか、ミステリー映画。原作はウィリアム・アイリッシュの「暗闇のワルツ」で、タイトルの「ポワズン」というのは、ちょっと意味深でミスリードしてしまうタイトルかも。
この頃のアンジェリーナ・ジョリーは、現在と比べると野暮な感じが拭えないなあと思ったのは、ブラッド・ピッドと結婚し双子を出産したばかりのいま、女優としても女性としても最高に自信に溢れ、まさに女ざかりの魅力を放っているからだろうか。監督はマイケル・クリストファー。恋愛映画が得意な監督かなと。「恋に落ちて」を思い出しますね。


●「アメリカン スイートハート」
---ジュリア・ロバーツとキャサリン・ゼタ・ジョーンズが姉妹役というのが笑えるけれど、人気女優役のキャサリン・ゼタ・ジョーンズのわがままぶりや思いっきり自己中なのに憎めないキャラがなかなか良い感じで、そんな人気女優の姉の付き人をしている妹役のジュリア・ロバーツの変身振りも見ものではあるけれど、何よりハリウッドの映画界を皮肉ったラストのドタバタこそがいかにもハリウッド映画という気がして二重に笑える。
この手のラヴ・コメディには常連のスタンリー・トゥッチ(「Shall we dance?」でカツラをつけて踊る男性がいたでしょう?彼です)やビリー・クリスタル(ロバート・デ・ニーロ主演の映画「アナライズ ミー」でデニーロと不思議な友情を育むことになるあの精神科医の彼と言えば分かるかしら?)といった面々や、ジョン・キューザックやクリストファー・ウォーケンといった個性派がこうしたコメディを異様に盛り上げているので、内内の映画というノリも否定できないなァと。

●「コンフィデンス」
---「オーシャンズ11」の向こうを張った映画だという記憶があったけれど、今回改めて見て思ったのは、仕掛けとしてはこちらの方が面白いかもしれないなァと。アンディ・ガルシアは両方に出演しているけれど、こちらにはダスティ・ホフマンもいる。レイチェル・バーンズもなかなか魅力的ながら、映画としては「オーシャンズ11」に軍パイが上がったのは、何故だろうと。
やはり主演のエドワード・バーンズのキャラのせいだろうか。映画のノリとイマイチ違和感があるキャラクターで、「オーシャンズ」にある小気味の良さがエドワード・バーンズではイマイチ期待できない。ベン・アフレックにやらせたら面白かったかも


●「CASSHERN キャシャーン」(邦画)
---こういう映画があるなんて知りませんでした。(苦笑)原作はコミックかなんかかなあと思って見ていたら、CGと実写の新しい映像の実験映画のようでもあり、出演者が大真面目に演じているので驚かされた次第。大滝秀治や三橋達也はこういう映画に出演しても驚かないけれど、寺尾聡や樋口可南子が大真面目に演じていて、唐沢寿明にいたっては迫真の演技で、そういう映画に小日向文世や寺島進が出ているだけでも新鮮な驚きなのに、「スキヤキウエスタン」の義経こと伊勢谷友介が新造人間のキャシャーン役。音声の録音に難アリの映画だったけれど、なかなか楽しめた。


●「夜の大捜査線」
---いったいいつの頃の映画だ!と言いたくなるほど、≪古さ≫を感じながら観てしまった。さすがのシドニー・ポワチエも形無しだけれども、1970年代の映画。同じ監督が同じ頃に制作したスティーヴ・マックィーン主演の「華麗なる賭け」は今観ても面白いのに、同じノーマン・ジュイソン監督の映画で、どうしてこうも違うのかなァと。おそらく前者は当時の犯罪を扱った社会派ドラマな分当時のアメリカがそこに描かれていて、さすがに40年も経った現在から見ると、その≪社会≫の中身があまりに違いすぎるせいかもしれない。
それと比べて後者の「華麗なる賭け」は、主人公と保険調査員の男女の駆け引きだから、町の様子や女性のファッションや化粧などの時代性も気にならない。

●「隣のヒットマン2」
---ドタバタ性だけが目立ってしまっていて、何だァと。「1」の方がマシだったという気がしてそれを確認すべく「1」も見る羽目に。

●「隣のヒットマン」
---当時、この前年に公開された「アナライズ ミー」の向こうを張った映画をブルース・ウィリス主演で制作したのかなァという印象があったけれど・・・、今見ても「アナライズ ミー」の二番煎じという感じが拭えないものの、これはこれで良く出来ているかも。


●「The Eyes」(香港タイ合作)
---やっぱり、リメイク版というのはイマイチ面白くないですね。

●「ツイステッド」
---また観てしまった。

●「デレイルド(暴走超特急)」
---ジャン・クロード・バンダム出演の映画はほとんど観てきたつもりだけれど、最近は殆ど観ないなあと。こうして改めて観ると、やっぱり作品に恵まれないアクションスターだと改めて思ってしまう。せっかくのアクションも見せ場が散漫で、ストーリーもイマイチぱっとしない。他の映画のパクリのような内容やシーンばかりで、どうしてこういう映画ばかりなのかと気の毒なほど。


●「エレン・リンバウアーの日記」
---ミステリーというべきかサスペンスホラーというべきか。その割には、ちょっと尻切れ蜻蛉みたいな印象があるのは、出演者がホラー向けじゃないからかもしれないですね。

●「サイボーグ 2」
---アンジェリーナ・ジョリー、随分若い頃にこうしたサイボーグ映画に出ていたというのは新発見でした。

●「ミスティック リバー」
---何度観ても重いですね。この映画あたりからでしょうか、クリント・イーストウッドが監督だけではなく音楽も自分で担当するようになったのは。クリント・イーストウッド流のメロディといえばいいのか、それがピアノで奏される時、映画は味わい深さが増していく場面で切ないですね。芸達者で個性的な役者たちの共演となった映画の一つです。まだご覧になっていない方にはおススメします。

●「皇帝ペンギン」
---お手軽なファミリー映画だと勘違いして観ないでいた1本だったなんて恥ずかしくなります。フランスのリュック・ジャケ監督のドキュメンタリー映画。静かにゆっくり見て貰いたい映画ですね・・・

●「スティール Steal」
---なかなかノリのいい痛快クライムアクション映画。主演のスティーブン・ドーフら4人の泥棒仲間たちの銀行襲撃とその後の逃走劇がわくわくするほどスピード感があってユニーク。
ラストには思わず乾杯。フランスはこういうノリのいい痛快な映画をたまに作るから要チェックですね。

他にもまだあったように思うのですが、思い出せないでいたところ、思い出した映画がこれら。
   ↓

●「Wind of God カミカゼ」
●「神童」
●「獄門島」(金田一耕助役は介片岡鶴太郎)

また思い出したら付加します。


●「スピーシーズ 4」
●「ティファニーで子育てを」
●「ストーカー」
●「ブラックメール」
●「Wag the dog」
●「リディック」
●「フリスコ キッド」

●「8 Mile」
●「激動の昭和史 軍閥」

 


まだ夏休みなれど、ブログ再開

2008年08月12日 | ★ご挨拶&その他

まだ月半ばにはならないので、今月上旬の映画鑑賞リストのアップにはちょっと早いけれど、新聞の切れ端やメモノートの余白に書き散らしているだけだと、メモをなくしたりして観た映画を失念してしまいそうです。

やっぱりここのブログにアップするのが一番ですね。
ということで、

ホントはまだまだ夏休みを満喫したいところですが、
そういうわけでブログ再開です。

アップした画像は、映画『CASSHERN』から。
劇画的な、あまりに劇画的な映像に、
眼を見開いてしまいました。
内容はともかく面白い映像構成でした!
そのうちブログでも取り上げたいなあと。