月光院璋子の映画日記

気ままな映画備忘録日記です。

「レッスン」(原題 『Take The Lead』)・・・前編

2008年11月07日 | ★ご挨拶&その他

★2006年 監督リズ・フリードランダー作品

こんな先生と中学高校生の頃に出会えた生徒たちは幸せだ。本作は実在のダンサー、ピエール・デュレイン(http://lesson.gyao.jp/thefilm/#who)の実話に基づいた物語。

ということもあり、社交ダンスで世界的な功績のある人物がどういうふうにしてスラム街の≪問題校≫と称される生徒たちと通じ合っていくのか、アントニオ・バンデラスのダンスも見たいと期待しながら観始めましたが、随所にラップが流れるのに緊張感のあるとても静かな映画、何故か観終えてから時間が経つにつれてそんなイメージが大きくなります。

http://lesson.gyao.jp/

ここの(↑)サイトを開くやゴキゲンなラップがいきなり流れるので、そういう映画かと思ってしまいますが、音楽も演出も過剰なところが少しもなく、時折ユーモアでホッとさせられるくらいに張り詰めた時間が流れていく映画です。
秘められた情熱の熱さと深さその大きさ、そして持続する意志というものにいつしかしっかり魅了され、観終える頃にはアツい感動に揺すぶられていました。秘められた思いという点では、ピエールとそれぞれの生徒たちは同じだった思いますね。


(こんな張り紙、いやだなァ・・・)


(こちらの張り紙は、もっといや・・・)

いつの時代も高校生にとって学校の決まりというのは、自分たちにあーせいこーせいという嫌なもので、すなわち管理として作用するもの。いかに銃社会のアメリカの高校生でもそれはきっと同じ。規範に対して苛立つのは、大人だって同じ。
これ、フツーです。なぜって、人間は、放っておかれれば、どこまでだって怠慢になったり怠惰になる、そういう生き物だから、何もしなくても食べていいけるなら、何もしないかもしれない。管理はそこから逃れるためにあり、ルールは破るためにあるという言葉だってある。特に青春時代はそうだ。


(ちょっとでも違反していると、たちまち犯罪者扱い・・・このときの生徒の驚きと緊張感、不安と怒りがごっちゃになる気持ち、そして悔しさや憤り、分かりますね。その気持ちの背後には持って行き場のないまま溜まっているストレスだってある)

その管理からはみ出すと「問題児」にされてしまいます。世間とその構成員である大人の多くは、こうしたレッテルが大好きです。このブログを読んで下さっている中に高校生やティーンエイジャーがいたら、そのことは覚えておいて欲しいです。
世の中は、レッテルだらけということ。そして、レッテルを貼ったり張られたりという中で、さて、どうやって生きていけばいいのかということで、この映画は、そんなことに悩み考える高校生と大人にとってとても心に染みると思います。


(登校のたびにこんなチェックを警備員に受ける生徒や来校者・・・・)

映画に登場するNYスラム街の某高校、映画の中では≪問題高≫として登場するけれど、日本でいうなら、≪底辺高≫ということになるのでしょうか。この≪底辺高≫という呼称を高校の先生方の口から出てきたとき、実に驚き、最後は、「底辺どころか、あなたたち教師が最低なんだよっ」と呆れ果てた気持ちを抱かされたものですけれど、これもレッテル。
そんな風に教師が自分では努力もせず自嘲し出来の悪い生徒と学校を責めるというのはいかがなものかと、心ある大人は思うわけです。


(ある者はやり場のない鬱屈した思いを抱え、ある者は何も考えずに刹那的に時間をつぶす。それぞれに事情を抱えるた生徒たちですが、行き場がないから学校に仕方なく来ているが、教室には居場所はなく「落ちこぼれ」のためのスペースが与えられているだけ)

生徒の授業態度が悪く(尊敬できない教師の授業なのだから、行儀が悪くても仕方が無い)成績が悪く(勉強に関心が無いのだから成績が悪くて当たり前)警察の厄介になったりする(いつの世も目標や夢を持たない子供はそういうことになりやすい。ましてや大人が腐っているこんな世の中なのだから、いい大人に出会っていない子供が社会の規範から外れてしまうのも自然といえば自然ではないか)、と、こうした生徒たちがいる高校を称して≪問題校≫だの≪底辺高≫だのとレッテルを貼るだけの教師や大人たちと一線を画すピエール・デュレイン(=バンデラスが演じています)が、ある日車を傷つけている少年を目撃しその生徒が落としていった学校の通行証を見てその高校にやってきます。



ここの学生課の待合室でのシーンがとても面白い。
女性が出て行くたび、傍の椅子に座っているピエール・デュレインがドアを開けるのですが、それを見た生徒が「信じられね~」という顔をしつつも、程なくその真似をし始める。
教育は≪垂範≫というでしょう?
垂範と感化・・・まさにそうした場面がユーモラスに描かれていて、映画冒頭からの緊張感がここでホッとほぐれたというか、一休止できた場面でした。


(生徒指導に日々身を粉にして頑張っている校長ですが・・・)

校長室にやってきたピエールいわく、「ダンスを通して生徒たちの更生指導に協力させてもらいたい」。
苦情だとばかり思っていた校長は、目を剥いて驚きます。この一所懸命な女性校長もなかなか・・・・・な人物です。生徒たちの現状を知っているだけに安易な慈善や建前でしかない生徒のためにといった申し入れなどハナから信じない現実家。どうぜ長続きはしないと断定しつつも、教室の授業に出ないで無為の日々を送っている落ちこぼれの生徒たちのクラスを受け持たせます。
つまり、チャンスをくれたわけです。

仲間由紀江のごくせんのような先生でもなければ、無論、金八先生でもないピエール・デュレイン(=アントニオ・バンデラス)!
彼は人間としてのマナーを体現し、彼が教えることのできる唯一のこと、ダンスを生徒たちに教えていきたいと思いますが、ダンスと言えばヒップホップという生徒たち。社交ダンスなんて冗談じゃないといったノリで。これは当然といえば当然。



なぜって、彼らは社交ダンスに興味もなければ、そもそもそんなものはリアルで見たこともないし知らないのだから。物理や化学や数学、歴史や地理や倫理社会も同じことでしょう。彼らの状態は、生徒としては「知らないものを知っていく」以前の、いわばゼロ段階。
そんな生徒たちの中に車を壊していた少年を見つけるピエール先生ですが、彼は何も言わない。
そんなピエールに疑義の念を抱き静観する少年・・・説教も小言もいい先生ぶる偽善もなし。

気になりながらも会話一つなく教室での様子、校外での様子が淡々と、けれど、緊張感を持った映像とアングルで綴られていくわけですが、この鋭い眼を向ける彼を始めとして、教室と称されるそこにいる生徒たちは一筋縄ではいきそうにない少年少女ばかり。



大人や教師の嫌なところを小さい頃からいやと言うほど見て育ってきている彼らは、家に帰れば呑んだくれて暴力を振るう父親や昼間から酒びたりでだらしない格好でソファで寝ている母親という按配で、家庭にも居場所がなかったり、働く母親に代わって家事育児で勉強どことではない生徒もいる・・・・・




家庭環境がどうでっても、呑んだくれて育児放棄して教育にも無関心という親を毎日見ていて心が傷つかない子供はいない。こうした鬱屈した思いのティーンエイジャーたちとピエールはどう向き合い心を通じさせていけるのか。

ピエールは戸惑いながらも普通に接触を図っていきます。つまり、初めて知り合った生徒たちゆえ、礼節を持って相手と向き合うという普通のことを当たり前に行っていきますが、何を語ってもチラッと目を向ける者はいい方で、ほとんどが無関心。何を言っても誰も聞かないし、皆それぞれ好き勝手なことをして時間を過ごすというポーズを崩さない。それでもピエールは礼節をもって生徒たちに語りかけ礼節を失うことなく接していきます。時にはユーモアさえ持って生徒たちに一生懸命耳を傾けてもらえるように願います。
でも、ダメ・・・

本作は、前半の多くがそうした生徒たちの様子や教室と称されるスペースでの様子が淡々と描写され流れていくので、何か起こりそうなのに何も起こらないというあまりに静かな映画でもあります。ラップががんがん流されるシーンが多かったはずなのに。
バンデラス特有のアクションだとか情熱あふれる弁舌を振るうシーンもない。けれど、カメラは少しづつ少しづつ変化を見せる生徒たちの眼差した態度を、これまた見逃さずに淡々と映し出していきます。そこがこの映画の凄いところかもしれません。

けれど、映画は動き出します。起承転結の「転」ですね。生徒たちにピエールにとって転機となる場面。薄汚れて汚い教室でピエールはダンススクールからパートナーを連れてきて、そこでいきなり音楽を流しダンスを踊り始めます。それも情熱的なタンゴ・・・・・それがいきなり始まるのです。

ここが、本作で唯一のバンデラスのダンシングシーンなので、驚きです。最初は「何始めたんだァ」といった反応だった生徒たちですが、

そのパフォーマンスの凄さに、いつしか圧倒されていきます。
無理もありません。実話なので、実際にピエールのダンスを間近に見ることができた生徒たちの驚きと衝撃も、この映画のようだったことでしょう。実在のピエール・デュレイン氏は、ソーシャルダンスの世界一と言われるイギリスのダンス大会、「ブラックプール」(映画『Shall we dance?』ですっかりお馴染みになったあの大会です)で4年連続優勝した経験がある方で、その後は名門ジュリアード音楽院で教鞭を執られ、数多くの社交ダンス教室を経営していらっしゃる、そういう超一流の人物。



本物を見るということが、いかに凄いことか!
高校生ならなおさらです。
バンデラスも本領発揮で、素敵でした。

圧倒され言葉を失って呆然としつつも、
思わず本音の言葉を先生であるピエールに向けてくる生徒たち。
これが初めての両者の向き合いかもしれませんね・・・


(感動は、どんな人間でも教えを請う立場に向ける・・・・だからこそ、高校生時代にこそ自分を忘れるほど感動するものと出会ってほしい)

この少女の表情もなかなか見ごたえがあり、実にいろいろ異なるシーンで心の機微を表情で見せてくれています。
十代の少女のあらゆる表情が、彼女を通して見ることができるのではないでしょうか。切なくなるほど素敵でした。



紆余曲折を経て教室ではやっと、ダンスのレッスンが始められるようになったものの、それでも映画では劇的なことは何も起こりません。そういう映画なのです。

ラップしか踊ったことにない彼らが、曲がりなりにも社交ダンスのステップの基本を覚えるべくトライしていきます。

けれど、いきなり上手に踊れる人間はいません。
思うように踊れず、短気を起す生徒も出てくるし、
こんなステップは退屈だと途中でやめようとする生徒たちも出てくる。そこがとてもリアル・・・



高校生くらいになると、反発や反抗も半端ではない。
自分たちで始めたことながら、
感動は、次に繋がる何かがないと残念ながら長続きもしない。
何かに疑問や不信感を持った途端、
いつだって元の木阿弥に戻ってしまう。

彼らは何に納得できないものを感じているのか・・・・

時に、途中でラップに踊りを変えながらも、生徒たちは段々とピエールの言うステップの基本を身に着け始め、この辺りから映画は段々とピエールが情熱的になっていくと同時に、生徒たちの取り組む姿勢も真剣な様相を帯びていくのですが、対立もまた生まれる。それは、それだけ熱心になってきたからこそなのですが、いつものようにレッスンしようとしたピエールに、
生徒たちはなぜラップのステップで踊ってはいけないのか。
そして思いがけない感想を口にします。



ラップのリズムとソーシャルダンスのステップって、
基本のリズムは同じなんだという彼らの何気ない台詞・・・・・
ここでピエールは、教えるということは学ぶということでもあるということに気づくのですね。



こうして生徒たちの自在な感性を尊重しながら、
ピエールは、ソーシャルダンスの基本を踏まえながら、
音楽に載せて新たなダンスに挑戦していきます。



が、生徒と向き合うとき、人間としてきっちり対応しなければいけない局面では、真剣そのものです。バンデラスの眼力がものをいうときで、そこはさすがにバンデラスの魅力でした。

さて、このアントニオ・バンデラス演じるピエールと生徒たちの関係は、この後どう展開されていくのか。
後編で見ていきたいと思います。

 

★本作の感想は、映画の内容に重点を置きたいと思いましたので、あえてキャストの名前はバンデラス以外不問にし、役名も不問にしました。


 


アメリカ史上初の黒人大統領

2008年11月05日 | ★ご挨拶&その他

オバマ候補の勝利宣言のスピーチを聞いて過ごした今日の午後、
その演説の見事さに改めて感心し、世界の政治リーダーたるものを目指す政治家の要件というものに思いを馳せました。

今般の選挙ほど注目されたアメリカ大統領選挙は、近年なかったのではないかと思うほど、オバマの登場は世界の関心を集めました。そのため、政策や政治手腕をテーマにした討論以外に、アメリカの負の歴史である「人種の壁」が取り上げられ、メディアでは「初の黒人大統領の誕生か」といったことも頻繁に取り上げられていたので、その「初の黒人大統領」という歴史的な重みを前に、今後の世界を展望することになった今日、「黒人大統領」というものを映画の視点で取り上げてみたいと思います。

アメリカはご承知のように映画の国。つまりは、映画産業と国家が他では考えられないくらい結びついている国なので、時代が求めるものを映画の中で先取りする側面も大きい。
はたして、「黒人大統領」は、そういう意味で「初」なのか。
オバマ候補の登場に合わせたかのように、先年日本でも大ヒットを飛ばしたジェットコースタードラマ『24』では、
こちらのデイビッド・パーマー 大統領が登場。
アフリカ系アメリカ人として、彼こそが初のアメリカ大統領です。



アメリカ人好みの、高潔で公平な精神を体現し、かつ自身と国家の危機に直面した折には勇気を示し、実に威厳のある堂々たる大統領でした。



演じたのは、デニス・ヘイスバート。

何だか、ホントに大統領の風格十分で、ぼんぼんでどこか自信の無さそうなブッシュ・ジュニアよりずっと大統領らしく思われたほど。
このドラマに多くのアメリカ国民が夢中になった時点で、大統領選出に当ってすでに黒人か白人かという人種の壁はなくなっていたのだろうと思います。
デニス・へイスバートがハーバード大学の法学部を卒業していたならば、恐らく相当リアルな大統領候補イメージが蔓延しただろうとなァと。

その彼を上回る奥深さと老獪さを演じてみせた黒人大統領のイメージで、観客の先入観を打破していたのが、こちら。
モーガン・フリーマン大統領と言ってもいいかも。



『ディープ インパクト』でのトム・ベック大統領よりも、『トータルフィアーズ』という映画での彼の方が、ずっと貫禄がありました。



聞けば、大統領にしたい映画俳優という人気アンケートで、モーガン・フリーマンは、第二位だとか。もし、彼がプリンストン大学で学位を取った後にハーバード大学法学部卒業のネットワークの中にいる姿をイメージすると、それが現実でもさぞかし似合っているだろうなァ・・・、そんなイメージですもんね。

そして、こうした黒人大統領たちが現れるまでには、やはりその先鞭となった大統領が存在しました。

超人気シリーズとなった『スター・ウォーズ』でダース・ベイダーの声優となり、その声ですっかり観客を魅了した彼もまた、『今そこにある危機』や『パトリオット ゲーム』などで政治の舞台に登場すると非情に場を重厚にする存在として活躍。

このジェームズ・アール・ジョーンズこそ、『星の王子NYへ行く』の国王になったものの、以前は『リア王』であり、『ザ・マン/大統領の椅子』ではアメリカの大統領でもあったわけですよね。
大統領から国王への転身という変わったコースではありますが、アメリカの黒人大統領としては、彼こそが「初」かもしれません。

けれど、ジェームズ・アール・ジョーンズが映画の中で黒人大統領になった1970年代という時代のアメリカは、実際にホワイトハウスに黒人を送ることなど夢想だにしなかっただろうと思います。

その夢想が現実に近づくには、
モーガン・フリーマンの登場を待たねばならなかったのであり、そして忘れてならないのは、こちら。



彼のある種の暗さが鷹揚さをなくしてしまっているので、陽気なアメリカ人気質からすると、ちょっと原理主義的な硬派のイメージが強いのが大統領としては難アリ。
それでも、間違いなく黒人大統領候補の一人、そんなイメージは否定できないデンゼル・ワシントンです。

こんなふうにスーツ姿でびしっと決めて笑顔を見せると、彼こそが、アメリカ史上初の黒人大統領かと思えてくるから不思議です。

上質のダークスーツと上質の白シャツ。
締めているネクタイも似ているせいか、



どっちが本物か分からなくなるくらいです。

オバマ選対は、さぞかし、こうしたデンゼル・ワシントンを始めとした人気黒人スター俳優のばっちり決めたときのファッションを研究したことでしょう。何といっても、信頼と人気を呼び込む象徴のような正統派ファッションです。

もっとも、白人の大統領にもお笑い系が存在したように、
こうした黒人大統領も映画ではしっかり登場していました。

クリス・ロックは、ある意味、黒人大統領の登場が現実味を増したときに必要な、ガス抜きの役割を果たしたといえるかもしれませんね。

ということで、

アメリカ史上初の黒人大統領となったオバマは、来春、第44代アメリカ大統領として就任します。



ちょっとだけ、個人的な意見を述べさせていただくなら、アメリカが民主党政権になったときには、ろくなことがない・・・・と日本人の一人としては愛国&憂国の情から、世界とそれ以上に日本の今後が案じられてなりません。

  


草稿中のブログ(2)

2008年10月30日 | ★ご挨拶&その他

後半はまめにアップするようになったように思いますが、それでも投稿のままになっている日記、つまり「草稿中」のものがありました。思わず、唸ってしまいました。観た映画の一部なのに、それでもメモすらアップしていないんですものね。
若隠居の身で忙しい!?

公開 10月の映画鑑賞(後半ー4)メモ
公開 「ママが泣いた日」(原題「 The Upside Of Anger 」)
公開 「海神」(へシン)
草稿 「センター オブ ジ アース」
公開 10月の映画鑑賞(後半--- 3)
公開 「悲愁」
公開 「ランボー 怒りの脱出」
公開 「女帝 エンペラー」
公開 「あじさいの歌」
公開 10月の映画鑑賞 (後半---2)
公開 10月の映画鑑賞 (後半----1)
公開 「アライヴァル ファイナルコンタクト」(原題「Alien Hunter」) 公開 「ザ・リング 2」
草稿 「ワイルド・レンジ」
草稿 「巨人と青年」
公開 10月の映画鑑賞 (前半)
公開 マルチェロ・マストロヤンニ
公開 「マルチェロ・マストロヤンニ 甘い追憶」

草稿 「レッスン」(原題 『Take The Lead』)

公開 「War Dance」
公開 追悼 緒方拳
公開 「消えたフェルメールを探して」
公開 ジョン・マルコヴィッチの「ジキル博士とハイド氏」
公開 映画「君の名は」
公開 9月の映画鑑賞(4)
公開 「パーフェクトゲーム/究極の選択」--- (後編)
公開 追悼 ポール・ニューマン
公開 「パーフェクト ゲーム/究極の選択」--- (前編)
公開 「フェロン」(後編) --- スティーヴン・ドーフ迫真の演技
公開 「フェロン」(前編)--- ヴァル・キルマーの迫力
公開 「ノエル 星の降る夜の奇跡」
公開 「ナンバー23」
公開 「ミッドナイト イーグル」
公開 9月の映画鑑賞 (3)感想編
公開 9月の映画鑑賞 (3)
公開 9月の映画鑑賞 (2)

公開 「トロピック・サンダー/史上最低の作戦」
公開 「ワイルド チェイス」
公開 「パーフェクト ストレンジャー」
公開 「マッチスティック メン」
公開 9月の映画鑑賞 (1)
公開 9月を迎えて

公開 「インタビュー ウィズ バンパイア」を見直してびっくり!
公開 「キャデラック 俺たちの1000マイル」(「Coupe de Ville」)
公開8月後半の映画鑑賞メモ(4)
公開 「バンディダス」
公開 「二ムの島」(邦題「幸せの1ページ」)
公開 「アダプテーション」
公開 「項羽と劉邦 その愛と興亡」
公開 8月下旬の映画鑑賞メモ (2)
公開 「ブラックメール」
公開 8月下旬の映画鑑賞メモ (1)
公開 「ハムナプトラ 3/ 呪われた皇帝の秘宝」
公開 「8 Mile」 公開 8月上旬の映画三昧
公開 まだ夏休みなれど、ブログ再開
公開 夏休みのため更新をお休み
公開 「DOOMSDAY」
公開 「ダーク・ナイト」(「The dark knight」)
公開 「バグ」 公開 「Wanted」
公開 「クライマーズ・ハイ」と新聞(報道)
公開 7月後半の映画鑑賞---(2)
公開 「アクロス ザ ユニヴァース」
公開 「リアル鬼ごっこ」
公開 「City of Men」--- (2)
公開 「シティ オブ メン」---(1)
公開 「コレラの時代の愛」
公開 「偽れる盛装」(邦画)
公開 「タイトロープ」 公開
7月後半の映画鑑賞(1)

公開 ショーン・コネリーのSF「リーグ オブ レジェンド 時空を超えた戦い」
公開 「Pathfinder」---(2)
公開 「Pathfinder」---(1)
草稿 「Undead」
公開 7月前半の映画リスト---- (2)
草稿 「ジャケット」
公開 「ブラックサイト」---- 追記
公開 ☆7月前半の映画リスト---(1)
公開 「ガタカ」

公開 今年も残り半分
公開 「影なき狙撃者」(「The Manchurian Candedate」)
公開 「Children of Men」(邦題「トゥモロー・ワールド」)---(2)
公開 「Chirdren on Men」(「トゥモロー・ワールド」)---(1)

草稿 「フリーダ」
草稿 「カリフォルニア トレジャー」(「キング オブ カリフォルニア」)
公開 「ブラックサイト」(「Untraceable」)
公開 デニス・へイスバート
公開 ☆6月下旬の映画三昧リスト

公開 「SS」(邦画)
公開 「The Happening」
公開 「西の魔女が死んだ」
公開 「木と市長と文化会館/または七つの偶然」
公開 「ランダム ハーツ」----(2)
公開 「ランダム ハーツ」---(1)
公開 「Mother of tears」
草稿 「The Eyes」
草稿 「One missed call」

これらの中にはすでに画像を貼り付けているものも、
結構ありましたし、(--;)
PCの画像の整理も終わっていますので、(^^;)
夜長の秋ゆえ、これからコツコツと書き上げて
皆様にご紹介していけたらと思います。
m(__)m

 


草稿中のブログ(1)

2008年10月30日 | ★ご挨拶&その他

今日で10月も終わりですね。
管理画面を眺めていたら「草稿中」と表示された日記が目に付いたので、書き終えてしまおうと思い何気についでに他にないかと過去の分も眺めてみたところ、驚愕してしまいました。
ちりも積もれば山となる、ではないけれど、何かの都合や事情で中断したまま後で書こうと思い、そのままになっているものやタイトルだけ書いてその後失念して「草稿」のままになっているブログが、こんなにもあったのかと。

今年も後残すところ2ヶ月。
このままでは、年を越せないんじゃないかしらと。
そこで、まずは整理するためにここに、
以下管理画面を貼り付けてみました。


公開「項羽と劉邦 その愛と興亡」2008-08-22
公開8月下旬の映画鑑賞メモ (2)2008-08-22
公開「ブラックメール」2008-08-21
公開8月下旬の映画鑑賞メモ (1)2008-08-21
公開「ハムナプトラ 3/ 呪われた皇帝の秘宝」
公開「8 Mile」2008-08-16
公開8月上旬の映画三昧2008-08-15
公開夏休みのため更新をお休み
公開「ダーク・ナイト」(「The dark knight」)
公開「バグ」2008-07-23
公開「Wanted」
公開「クライマーズ・ハイ」と新聞(報道)
公開7月後半の映画鑑賞---(2)
公開「アクロス ザ ユニヴァース」
公開「リアル鬼ごっこ」
公開「City of Men」--- (2)
公開「シティ オブ メン」---(1)2008-07-18
公開「コレラの時代の愛」
公開「偽れる盛装」(邦画)
公開「タイトロープ」
公開7月後半の映画鑑賞(1)2
公開ショーン・コネリーのSF「リーグ オブ レジェンド 時空を超えた戦い」
公開「Pathfinder」---(2)
公開「Pathfinder」---(1)
草稿「Undead」
公開7月前半の映画リスト---- (2)
草稿「ジャケット」
公開「ブラックサイト」
公開☆7月前半の映画リスト---(1)
公開「ガタカ」
公開今年も残り半分
公開「影なき狙撃者」(「The Manchurian Candedate」)
公開「Children of Men」(邦題「トゥモロー・ワールド」)---(2)
公開「Chirdren on Men」(「トゥモロー・ワールド」)---(1)
草稿「フリーダ」2008-07-03
草稿「カリフォルニア トレジャー」
公開「ブラックサイト」(「Untraceable」)
公開デニス・へイスバート
公開☆6月下旬の映画三昧リスト
公開「SS」(邦画)
公開「The Happening」
公開「西の魔女が死んだ」
公開「木と市長と文化会館/または七つの偶然」
公開「ランダム ハーツ」----(2)
公開「ランダム ハーツ」---(1)
公開「Mother of tears」
草稿「The Eyes」
草稿「One missed call」
草稿「Don’t say a word」
公開「非情の罠」(「Killer’s Kiss」)
公開「ホワット ライズ ビニーズ」(「What lies Beneath」)
公開「ストリート キング」
草稿「ヒート」(「Heat」)
公開「愛と精霊の家」(「The House of The Spirits」)後編
公開「愛と精霊の家」(「The House of The Spirits」)前編
公開☆6月前半の映画三昧リスト
草稿「愛と精霊の家」(「The House of The Spirits」)
草稿「奇跡のシンフォニー」
草稿「クリープ ショー 3」(「Creepshow」)2008-06-10
草稿「ダーウィン アワード」2008-06-10
公開あおもり映画祭2008-06-08
公開「美しすぎる母」(「Savage grace」)
公開「ストリート サヴァイヴァル」(邦題「サイレント ヒート」)
公開「姿三四郎」(1965年制作)
公開アメリカ「ユニヴァーサルスタジオ」の火災
草稿「ウルフバウン」ド2008-06-03
公開★5月の映画三昧リストまとめ2008-05-31
公開「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」
公開「ラスベガスをぶっつぶせ」2008-05-30
公開「バースディ ガール」2008-05-29
公開☆5月後半の映画三昧リスト2008-05-29
草稿「カットスロート・アイランド&ロングキス グッドナイト」
草稿「クリムト」2008-05-28
草稿「チャイナ シンドローム」
草稿「黒水仙」2008-05-28
草稿「ザ・コントラクター」
公開「世界最速のインディアン」
公開「アイ ノー フー キルド ミー」2008-05-27
公開「ウェイスト・ディープ」2008-05-27
公開「つぐない」(「Atonement」)2008-05-24
公開「88ミニッツ」2008-05-23
公開「Dead or  Alive」2008-05-22
公開「O侯爵夫人」
公開「ドラゴン・キングダム」
公開「大阪の女」
公開「プリンセスとウォリアー」
公開☆5月前半の映画三昧リスト
草稿「日曜はだめよ」
草稿「昼顔」2008-05
草稿「Unknown」
草稿「真実のマレーネ・ディートリッヒ」
公開「フォー・エヴァー・フレンズ」
公開「太陽を盗んだ男」
公開「1300万ドルの女」
公開「激闘鍵屋の辻」
公開「松川裁判」
公開「キャプテン・ウルフ」(ザ・パシフィアー)
草稿「父の詫び状 」
公開『Mi:3』と『ボーン・アルテイメイタム』の違い
公開「ゴーストハウス」(「ザ・メッセンジャーズ」)
公開「フラクチャー」
公開「悪魔の呼ぶ海へ」
公開「キャッチ ミー イフ ユー キャン」
公開「誘拐犯」
公開「ジュリア」
公開「女帝キャサリン」
公開「レッド サイレン」
公開「トランスポーター 2」

公開☆4月後半の映画三昧---感想編
公開☆4月後半の映画三昧リスト
公開☆4月前半の映画三昧リスト
草稿「ルーヴルの怪人」
草稿「リーサル エージェント」
草稿「NEXT」
草稿「もがりの森」
草稿「バッテリー」
草稿「モンスターアイランド」
草稿「イントゥ ザ サン」
草稿「狼の血族」
草稿「スカーフェイス」
草稿「幕末」
草稿「敵は本能寺にあり」
草稿「ファンタスティック フォー」
草稿「魔法にかけられたエラ」
草稿「エレクトラ」
草稿「DOOM」
草稿「Dogville ドッグウィル」
草稿「Diamond of Paradise」
草稿「Cry Of the Winged Serpent」
草稿「The Hunt」
草稿「Casualities of War」
草稿「Below」
草稿「アドレナリン」
草稿「アクセル Final Contract」
草稿「Assault 」
草稿「Blood Work」
草稿「Battle of Frontline」
草稿「セブンセカンズ」
草稿「スケルトン キー」
草稿「シルバーホーク」
草稿「サランドラ 2」
草稿「ザ・シューター」(The Shooter)
草稿「ザ・インターネット 2」
草稿「恋空」
草稿2008年3月下旬の映画三昧
草稿「真珠の耳飾の少女」
草稿「汚れなき悪戯」
公開2008年3月後半の映画三昧リスト(3)
公開2008年3月後半の映画三昧リスト(2)
公開2008年3月後半の映画三昧リスト(1)

草稿「セッション 9」
公開「ライラの冒険 黄金の羅針盤」
草稿「フェート」2008-03-24
草稿「映画音楽についての愚考」
草稿「フィラデルフィア」
草稿「稲妻」
草稿「スィニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」
草稿「乱」2008-03-24
草稿「30デイズ オブ ナイト」
草稿「口避け女」
草稿「もう一人いる」
草稿「ザ・コントラクター」
草稿「レッド ウォール」
草稿「デイ ウォッチ」
草稿「ザ・ミラー2」
草稿「かごめかごめ」
草稿「エイリアンVSプレデター」
草稿「黒水仙」
草稿「テニスの王子様」(アニメ)
草稿「チャイナ シンドローム」
草稿「クリムト」
草稿「ロングキス グッドナイト」
草稿「アメリカン ギャングスター」
草稿「エリザベス」
草稿「バルボーザ」
草稿「639番目の人」
草稿訃報----市川崑監督2008-03-24
草稿「ラスト ワルツ」
草稿映画と政治--S.スピルバーグの場合
草稿「プロミス」2008-03-24
草稿「ラスト ショー」
草稿「ロック ユー2008-03-24
草稿「ホリディ」
草稿「フォー ウェディング」
草稿「トリスティ・シャンディの生涯と意見」
草稿「眠狂四郎勝負」
草稿「恋はデジャブ」
草稿「パイレーツ オブ カリビアン デッドマンズチェスト」
草稿「ビリー・ザ・キッド 21歳の生涯」
草稿「タブロイド」
草稿「黒船(バーバリアンと芸者)」
草稿「フライト 93」
草稿「闇打つ心臓」

草稿「ギア」
草稿「スネークフライト」
草稿「シティ オブ ゴッド」
草稿「ビューティフル マインド」
草稿「トラ!トラ!トラ!」
草稿「恋愛小説家」
草稿「ファイト クラブ」
草稿「コールドマウンテン」
草稿「ディパーティッド」
草稿「善き人のためのアリア」
草稿「羊たちの沈黙」(また新たな発見)
草稿「ダンス ウィズ ウルブス」
草稿マリアンヌ・フェイスフル
草稿「やわらかい手」
草稿「ペイ チェック」
草稿「ハウス オブ 9」
草稿「ハリー・ポッターと不死鳥騎士団」
草稿「ホーリーマン」
草稿「チェックメイト」
草稿「フィクサー」
草稿「タイムライン」2008-03-24 
草稿「HITMAN」
草稿「神の左手 悪魔の右手」
草稿「狗神」
草稿「ランボー 4」
公開☆2008年3月前半の映画三昧リスト(3)
公開☆2008年3月前半の映画三昧リスト(2)
公開☆2008年3月前半の映画三昧リスト(1)
公開☆2008年2月後半の映画三昧リスト
公開☆2008年2月前半の映画三昧リスト
公開☆2008年1月後半の映画三昧リスト
公開「ディ ウォッチ」
草稿「レッド ウォール」B級映画の面白さ
公開☆2008年1月前半の映画三昧リスト
公開「田舎司祭の日記(後半)」
公開「田舎司祭の日記(前半)」

と、すでに年頭からどど-んと草稿中のままの備忘録。
タイトルを眺めて呆れ果てました。とっくにブログにアップしているものとばかり思っていたものがほとんどだからです。けれど、「下書き」の状態にして忘れていたり、テキストは書いても画像がそのとき未整理だったためにアップしなかったり、というのが大半ですが、中にはメモだけの映画もあったり。
だめですね~

 


9月を迎えて

2008年09月03日 | ★ご挨拶&その他

このところの天候に嫌な感じを抱いています。
まるで梅雨に戻ったかのような高湿度の雨天か曇天・・・・

テラスの花も狂いだして、
夏に咲き終わったはずの紫陽花の剪定した枝から、
何と若葉がどんどん茂ってきていて、
この分だと去年同様に
晴天になったら再び紫陽花が咲きそうな予感です。

何と言っても、
春に終わった山吹が黄色い花を咲かせ始めているのです。
同じ季節が一年の中で二度巡っているような、
奇妙な感じといえばいいでしょうか。

そんな奇妙な感慨のうちに、
とうとう8月も終わってしまい、9月になりました。
外はいまなお日中ミンミンゼミが鳴いてまさに盛夏の音・・・・
なのに、陽が沈むといきなり秋の虫の大合唱です。

異変は、何も政界や角界に起こっているのではなく、
毎日のように殺人だの何だのと事件が報道されるいま、
すでに社会全体が異変に対する感性を摩滅させているせいで、
気づかないだけなのかもしれませんね・・・・
自然界の異変、それも大きな異変に対して、わたくしたちはすっかり鈍感になっているのでしょう。

そのうち、映画で描かれたようなパニック映画の事変が、
地下火山や海底火山の噴出だの、
大地震だの、
大洪水だの、
氷河期の急激な到来だの
隕石の落下だので、
都市が壊滅するというような大事変が、
いかにそれらが非科学的であろうと、
すでにこれだけ世界全体が異常気象に見舞われているのだから、科学も何もあったものではないので、そうした科学では説明できない自然界の大変動が現実のものとなって、いずれ私たちを襲うかもしれない・・・・・そういうことを期待してはいませんが、あるかもしれないという心積もりだけはしておこうという気持ちになりつつあります。

まあ、そうした日がやってくるまで、
わたくしは映画を愉しみたいと思っていますけれど。

8月に観た映画・・・・
ブログを頼りに振り返ってみましたが、
記載してある映画は37本でした。

もっと観たような気もするのですが・・・・、
失念してしまった映画は、
今回は縁がなかったのでしょう。

今月は、どれだけ映画が観られるかしら。
映画を楽しめるような時間が持てるかどうか不明ですが、
観終えた映画で感動したもの、
気になったもの、
ネットで検索してもあまりヒットしないようなものは、
積極的にアップしていきたいと思っていますので、
これからもどうぞお越しいただければ幸いです。

                       月光院璋子

 

 


「8 Mile」

2008年08月16日 | ★ご挨拶&その他

---最初に観たときの衝撃と感動から比べれば、今回は衝撃が随分薄まっているようにも感じたけれど、ラストの313でのラップの勝ち抜き戦、日本のヤワな「詩のボクシング」とは比べるべくもない息詰まるような「ラップボクシング」は、今回も圧巻だと感じました。バニー・ラビットとパパ・ドッグののラップ対決。

まさにビートを刻むラップにおける詩情のほとばしり、瞬間に凝縮させ得る生というもの、そうせざるを得ない生き方、生きている証を得るべくラップに情熱を注ぎ込んでいく若者たちの輝きと暗さ、人生の光と影・・・・

見終えた後、今回も切なさが残りましたね。ヒップホップクラブに集う313という仲間たちのラストの姿とジミーの姿が二重写しになって切なかったです。

この映画は2003年制作なので、もう5年になるのだなあと。
近年の1年は本当に早い・・・・

8マイルというのは当時何のことかと思ったものですが、道路の名前で、デトロイトの貧困層が住み暮らすブロックを他から隔てる道路の名称。そんなストリートがあるのかどうか知らないけれど、この映画の音楽を担当しているエミネム自身がB.ラビットこと主人公のジミー役で出演していて、彼の自伝みたいなものだと語っているので、そうなんだろうなと。彼のプロフィールを読むと、殆どこの映画のジミーに重なる。

白人ラッパーというのは、確かに当初は珍しい異端児的扱いだったように思うけれど、地方の都市部の貧困層の若者は、ぶらぶらして犯罪に関わるか、そうでなければ軍隊に入るしかないらしく、マイケル・ムーア監督の弁を借りれば、そうした貧困層の若者はアメリカの軍需産業の繁栄のために未来永劫必要不可欠な若者たちであり、アメリカが志願兵制度である以上軍隊に入るしかない若者を輩出し続けるためにも貧困層を生み出す社会構造は変えられないようにできている。それがアメリカだということになるけれど・・・

エミネムの歌詞を辞書片手に読むまでもなく、そうした若者たちの置かれた状況はこのままでいいのかと他国ながら案じられてくる

この画像は、映画製作当時のものだが、目がトロンとしているのは、場違いなところにいる自身への思考停止のせいなのか、あるいは薬物のせいなのか・・・・・

映画「8Mile」の
監督は、サスペンスがお得意のカーティス・ハンソン。この監督はキム・ベイジンガーがタイプなのかもしれない。映画「LAコンフィデンシャル」のときのキム・ベイジンガーもそうだったけれど、男たちを虜にする輝くばかりの美貌と容姿を持っていながら、生まれと育ちが教養ある階層とは無縁の貧困層であるがゆえに、犯罪や貧困と縁が切れない状態に追い込まれ、結局は社会の底辺で生きるしかないというような女性像に愛着があるのかもしれないという想像をしたくなる。
なぜなら、モンロー同様にアメリカ東部のアッパークラスには入れないけれども、ハリウッドでなら成功できるかもしれないというタイプは、男性の何かを刺激するようで、そういったタイプの女性はいわば、掃き溜めにハスの花的存在で男たちには安心なのかもしれない。彼女たちはいつだって貧困と隣り合わせ。ゆえに堕ちれば絶望的な将来しかなくなる。



キム・ベイジンガーは、そうした意味である種幽閉された状態に置かれた美女像、堕ちた立場に置かれてそこから出て行けない女性像として男たちにとって理想的な女優なのかもしれない。イーストアッパークラス系列の女性では気重で、メリル・ストリープ系列では間違いなく出て行かれてしまうし・・・(苦笑)
退廃的な陰のある姿も男性たちにはたまらないのかなあとも思うけれど、いまや貧困家庭の母親役が回ってくる年齢になったのはさみしい。この映画でもトレーラー暮らしの貧困家庭の母親役として登場。教養がないがゆえにスキャンダラスな暮らしをし、貧しいがゆえに子育て放任の母親ながら・・・・、そんな母親に愛を求めればこそ憎まずにはいられない母と息子の関係。

そんな母親像、息子にとって心理的な葛藤が永遠に続く母親像としても、キム・ベイジンガーは理想かも。少なくとも良妻賢母タイプの苦労知らずのお譲ちゃんママや過保護な鬼母ママよりは、ずっといい。愛憎と血の関係を強烈に感じさせる存在だもの。

カーティス・ハンソン監督が、もしそういう意味で彼女を選んだのだとしたら、そのセンスには脱帽ですね。

 

 


まだ夏休みなれど、ブログ再開

2008年08月12日 | ★ご挨拶&その他

まだ月半ばにはならないので、今月上旬の映画鑑賞リストのアップにはちょっと早いけれど、新聞の切れ端やメモノートの余白に書き散らしているだけだと、メモをなくしたりして観た映画を失念してしまいそうです。

やっぱりここのブログにアップするのが一番ですね。
ということで、

ホントはまだまだ夏休みを満喫したいところですが、
そういうわけでブログ再開です。

アップした画像は、映画『CASSHERN』から。
劇画的な、あまりに劇画的な映像に、
眼を見開いてしまいました。
内容はともかく面白い映像構成でした!
そのうちブログでも取り上げたいなあと。 

 


夏休みのため更新をお休み

2008年07月27日 | ★ご挨拶&その他

明日から1週間、夏休みの小旅行に出かけるため、その前に一つ、と思い「Doomsday」をアップいたしました。
明日以降は、当分ここの映画ブログの更新はありません。

戻りましたら、またゆっくり、
楽しみながら更新していきたいと思います。


 

                         月光院璋子

追記:
冒頭にご紹介の映画はこの秋に公開される『グーグーだって猫である』の予告です。お楽しみいただければ幸いです。                      

 


「コレラの時代の愛」

2008年07月18日 | ★ご挨拶&その他

ハビエル・バルデムの映画は「海を飛ぶ夢」以来だ。今度がガルシア・マルケス原作の「コレラの時代の愛」になるとは、当時思ってもいなかった。あれから3年・・・・


(フロンティーノ・アリザを演じたハビエル・バルデム)

ご存知の方も多かろうけれど、「海を飛ぶ夢」は、ラモン・サンペドロという事故で半身不随となった男性の尊厳死という実話を元にした映画で、アレハンドロ・アメナーバル監督がハビエル・バルデムという俳優を得て制作した現代スペインの名作映画。
以来、ハビエル・バルデムの演技の魅力にファンになってしまった私だが、そのハビエル・バルデムがマイケル・ニューウェル監督と組んだ映画がこれである。ガルシア・マルケスの至宝の純愛文学「コレラの時代の愛」・・・・それだけで唸らされてしまう。


(フェルミーナを10臺から0代まで演じたジョバンナ・メッツォジョルノ)


(天性の詩人たる才能をもっているフロンティーノはフェルミナに宛てて生涯手紙を書き続ける・・・・)

マイケル・ニューウェル監督という監督は、ハリー・ポッターをお子様向けの映画から脱却させた監督だと記憶していたけれど、本来こうしたガルシア・マルケス的な怖い作品が好きなのかも知れない。

「男は待ち続けた。熱病のような一目ぼれから、片時も忘れることなく、たった一人の女性を。男は待ち続けた。51年と9ヶ月と4日」という映画のキャッチコピーは、純愛流行の今日においては、さぞやロマンティックに響くことだろうが、それは実に狂気と紙一重の世界の物語だということは想像してみればわかる。ストーカーと紙一重であり、数分間想像をめぐらすだけで、きっと「信じられない!」と口にするに違いない人生だから。


(影ながらずっとフェルミナの人生を見続けストーカーと化している彼・・・・)


(結婚生活の中に求めていたものはあったのか・・・・)

けれど、多くの人が求めて止まない純愛も至高の愛も、その真実は心の平和とは対極の「不毛な論議」や「怒りの多さ」や「自己中心的な独りよがり」や「傲慢さ」や「悲しさ」「寂しさ」、そして「諦め」に満ちているところに人を導くものらしい。人をそうした果てしない孤独と諦念に導くのは、恋愛への幻想と性愛という肉体の法悦と、そして永遠に続くと勘違いしてしまう情熱への期待感ゆえの幸福感なのかもしれない。けれど、その幸福感は短命なゆえに、いっそう人は永遠に憧れる・・・・


(性の初体験を唐突にさせられてしまったとき、思わず相手の女性を目で追うフロンティーノ)

(が、その後、フェルミーナに誓った純潔を失った衝撃で吐いてしまう)

その永遠を51年もかけて信じ、相手の気持ちや選択を尊重しつつ決して諦めずに希求する精神というのは、相手を得ることができない限り永遠の飢えと孤独と隣り合わせの狂気と相性がいい。だから少しでも気を抜けば、狂気に呑み込まれてしまう。それは、人生を台無しにするかもしれないリスキーな情念かもしれない。


(誠実に日記をつけていく彼、この622人目とは・・・日本でも1000人斬りという言葉があるけれど)

ファンタジーとホラーが結婚するとこういう文芸大作映画になるという好例かと思えなくもないけれども、そういう映画になったのもハビエル・バルデムという俳優の見事な資質と熱演、そしてフェルミーナを演じていたジョバンナ・メッツォジョルノという女優の硬質な魅力の賜物だろう。


(夫亡き直後の愛の告白に激怒したフェルミナながら、フロンティーノからの手紙に心の耳を傾けていく・・・)

彼女を愛することが自分の運命だと確信して生きてきた主人公フロンティーナ。その相手の女性フェルミーナの夫が死んだ葬儀の日に老齢となって腰の曲がったフロンティーナが、参列者が帰った後でも一人残り、彼女をまっすぐに見据えておずおずと口にする愛の告白、それが「51年と9ヶ月と4日」という台詞・・・・、そのプロポーズの怖さは、まさに普通の感覚からすれば異常だと感じるに違いないその怖さではなく、まっすぐに愛だけを求めて生きてきたことへの怖さだ。彼の姿に怖さを感じるのは、永遠の愛を求めながらいかに愛から遠いところにいるかということだろうか。

「あなたは神を信じる?」
「いや、だが恐れる・・・」

夫が死んだ後、屋敷への訪問を受け入れるフェルミナ。70歳を過ぎてやっと二人で語り合うひとときのこの会話は、「あなたとの間には記憶しか共有しているものがないの」「あなたの愛はすべて幻想なの」というフェルミナの言葉以上に恐ろしい。

そう感じた私は、マルケスが生み、ハビエル・バルデムがなり切って演じたこのフロンティーノ・アリーサという主人公に涙する。



ラストのこの「コレラ」の旗、なかなか・・・・でした。

書いておきたい出演者は多々ありますが、ここでは3人だけ取り上げておきます。フロンティーナの母親を演じていた女優と、

伯父のドン・レオを演じていた俳優、良かったですね。フェルミーナの夫は、何とB級映画専門かと思っていたベンジャミン・ブラットが演じています。



この映画は、原作は忘れて映画としてご覧になってもらいたいと思います。何といっても、ハビエル・バルデムの好々爺ぶり、老紳士ぶり、男っ気には目を見張らされましたから。



印象深かった台詞やシーンもブログで取り上げてみたいと思います。


 

 

★ご参考までに・・・・http://kore-ai.gyao.jp/