moving(連想記)

雑文(連想するものを記述してみた)

トリビアお受験5歳児に一休さんがいないということ・・・

2006-01-13 | エッセー(雑文)
トリビアを見ていたら、お受験5歳児の「橋を渡るべからず」という
一休さん頓知の実験があった。
しかし100名中1名もいなかったことに、ちょっと驚いた。
イリイチやフーコーじゃないが、教育・学校制度が画一的な
没個性的な「型にはめる」ことを目的としている以上当然の結果なのかもしれない。
橋と端という言葉の多義的な意味を知らなくてはならないので、
5歳児の知識にそれがあったのかどうかということもあるが・・・。
それでも、過剰にお受験のために詰め込んだ「秀才児」に一人くらい
機転の利くものがいてもいいのじゃないだろうか
シュタイナー的な教育を受けている児童では、もしかすると一休さんのように
頓知的な発想をすることができたのかもしれないかなと思ってみたが、
日本で情緒的な発達教育に取り組んでいる学校を知らないので、
将来的に日本人はやっぱり「画一的」な反応しかできない国民になり、
大国アメリカのいうなりの大多数を従えた「勝ち組」に都合のいい政治は
変わりようもないのだろうか・・・なんて危惧したりして笑ってトリビアを
見ていた。