moving(連想記)

雑文(連想するものを記述してみた)

よくわからないポストモダニズムの射程

2005-04-21 | エッセー(雑文)
よくわからない和製ポストモダニズムの射程。
最近になって、今更ながら、和製のポストモダニズムの本を読み始めた。
いろんな人(仏の哲学者)が勝手に社会構造を分析したのを、
さらに勝手に融合しようとしてるという印象。
う~むよくわからん。
写真のコピーが成したことで、結局カタログ商品が成立しただけで、
オリジナルなきコピーとか、いってるが、オタクであろうと、なんであろうと、
市場性が持ち込まれれば、カタログとしてのデーダベースが価値体系を規制し、
本物とそれ以降のコピーとの「差」は歴然とする。
さらに、大きな物語など終わってはいないし、小さな物語に置き換えられてはいない。
ガンダムにしろ大方のアニメは「大きな物語」のコピーであり、
それを商品と密着させたシステムが有効に働いてるだけのような気がする。

ポストモダニズム的展開が期待されるとしたなら、
たとえば、ブログの目玉商品であるトラックバックという
システムのほうが有効であるような気がする。
元々ネットが採用してるシステムが分散型ネットシステムといわれ、
中央集権的、1極集中型の弊害をさけるためのものとはいえ、
情報は個々に、点在共有可能である。
そこで、話題の共有を図れるトラックバックというシステムは
情報の「差異」
を小さな<ズレ>へ転換でき、意味の固定化を防ぎ、
異質なものにたいする理解可能な態度を、もたらすのではないだろうか。

それこそが本来の「ちいさな物語の消費」なんじゃないのかなと思ってみた。
だからといって、何が変わるのかといえば、不透明で、
よくわからんということになるが・・・。
ポストモダニズムに興味ある方は
以下参考
http://ja.free-definition.com/%E6%80%9D%E6%83%B3%E5%AE%B6%E4%B8%80%E8%A6%A7.html
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