四条大宮ジャーナル

この度の東北太平洋沖地震にて被災された方々へ
お見舞い申し上げます

水ぬるむ春

2011-05-05 11:42:11 | 京都


昨日は京都(岡崎)動物園~嵐山へ。
オニギリを久々につくる、具は鮭、おかか、梅
海苔はもちろん!星さんとこの海苔

連休1日だけなので欲張って岡崎と嵐山へ行く。
次男、動物園は二度目でお目当てはキリンと象とワニ。
ところが昨日の京都は、どこもメチャ混みでウチから
動物園まで普段なら30分で行くとこが1時間ちょいかかり
さらに、動物園の入園券買うのに並ぶ。
並ぶの∞嫌いな私にとって苦行この上ない。

なんとか園に入ってぞろぞろキリン、猿、象、熊、ライオン
は虫類館(ヘビ、ワニ、カメetc・・・)をぐるり廻る。
人が多いところでいつも見かける痛い客
押しのけて見やすいところへ割り込む子供と
その親のファッションというか風体が良く似てる。
いかにも、という親子なんやよね。
動物から見たら人間動物園だよ。

席が空いたのでオニギリを食べる。

オニギリむさぼる次男
この30秒後、オニギリを落っことした。お約束。

動物園を出た後、岡崎公園~平安神宮をぶらぶら散歩
博物館前で京大生が原発反対の署名をしていたが
ご時世だ、いつも署名運動に見向きもしない人たちが
こぞって署名をしていた、往来で署名の人だかりを
初めて見た。

昨日はとにかく子供をとことん遊ばせて、ウチ帰って
バタンキューさせる作戦やったので、お出かけはこれで
終わらない、ここから嵐山へ向かう。

阪急桂駅では新型電車「京とれいん」に乗れた。

旧7000系(2ドア車両)を改造し、うっすら照明に
木目調の座席、紅葉色のシート、車両の前面には無料の観光地図と
別料金取っても乗る価値有りといった作り。
いや~これは特急料金とってる近鉄よりええですわ
今回は嵐山までしか乗れないのが残念でございます。


嵐山へはボートに乗りに行く、岩田山の猿を見に行くのもいいが
子供がもう少し大きくなってからかな?サルに襲われたらかなん(笑)。



ここも貸しボート、待ち。
今年の京都は自粛の影響で人が少ない、と言うのは
ことGWに関しては、あてはまらなかった。
私はここのボートが大好きで、というのは
いつも結構空いているということと、桜や紅葉の時季に
川面から眺めるのは絶景なのであるが、保津川下りの
でっかい舟には注意しなければならないことと
ボートにこぎ慣れてない、カップルとかに近寄らないように
目配せしながら漕ぐ。

次男は初ボートで「手ぇ、川につけてみ」と言うと嬉しそうに
つけていた、落ちるなよ。
ボート乗ってて思うに、カップルで彼女に漕がしている男が多い
彼女が漕ぎたがってるのか、彼氏が漕げないのか不明だが
余りに漕ぐのが不得手なボートにはインストラクター?
というか、説教オヤジのボートが近づいてきて怒り口調で
漕ぎ方を指導するのだが、わざわざカネ払ってまで説教されたくないが
漕ぐ側も全く漕ぎ方知らん人も居る訳で、やたら周囲のボートに
ガンガン当てられては、おっさんも「見るに見かねる」のだろう。

ボートを降りて阪急嵐山駅に向かって歩いてると、保津峡下りの
舟がトラックに三艘積まれて亀岡方面に向かって行った。
保津峡は下るのであって、上れんもんね。
因みに船頭さんはJRで亀岡駅まで帰ります。


岡崎~嵐山と次男連れまわして、ウチ帰って風呂入れたら
疲れて爆睡するんかと思ったら、ますます元気で
アンパンマン見て、更にアイスエイジ見せろと言うて。
気がついたら、お父ちゃんのほうが先に寝ていた・・・
体力、二歳半に負けますわ・・・
結局、たまの休みも疲れが倍増ですわね。
また行こな~~

こんなお店をしてみたい

2011-05-02 12:28:47 | 仕事
私が子供やった頃(昭和40年代)は
エアコンも各家庭にあったりなかったり
店屋のレジ?ゴムを引っ掛けたザル
味噌屋は樽の味噌を量り売り
魚屋は虫除けの線香を焚いてハエとり紙ぶらさげて、
木舟に入れて刺身を売る
客はいつも一緒の顔ぶれ、お母ちゃんばっかし
ガキはおもちゃ屋か本屋で粘って
店のババアに「買わんかったら早よいんで!」
(いんで、いね・・・河内弁で帰れですな)

散髪屋に行けばFMや有線なぞ流れず
いつもかかってるのは「ポップ対歌謡曲」
や「ジャムジャムリクエスト」これが眠くなるのよ
聴いてると。だから今でもキャンディーズや
浅丘めぐみ、南沙織あたりを聴くと
「散髪屋」を思い出すのだ・・・

さて、レコード(CD出るはるか前」でも買いに行くか
ソノシートで買って貰った「ゲゲゲの鬼太郎」や「ウルトラマン」
親父は「軍歌大全集」を持ってたな、おかげで「海ゆかば」や
「燃ゆる大空」なぞ今でも歌える。

ウチ帰ったらテーブルの蚊帳の中にザルに入った冷や飯が。
匂いかいだらまだイケルので、インスタントラーメン作って
一緒に食べた。

なぜその頃の事を思い出したか、というと
当時って貧乏に関わらず「価格破壊」がなかった。
競争原理も「1人勝ち」ではなく共存共栄の
ノホホンとした空気があったように思う。

いつからか、「人のしない商売」
セルフで安く、長時間営業、一件で
全ての品が揃うetc・・・
(これを先んじて行ったのはダイエーの中内功)
をしてから、ノホホン小売店は淘汰され
店とオカンのコミュニケーションは皆無となり
本屋のババアも消えてしまった。

今回の焼肉屋が起こした食中毒事件は
「わしらが勝つんや!」という思いの究極でしょう。
いつから「勝ち」「負け」組などと言う言葉が出たのが
知らんが(この言葉大嫌い)、それによって
人々は余裕を失い、仕事を失ってきた。
本来は「共に克つ」ことが大前提なのだ。
他人を蹴落として自分の幸せを感じるなら
人心が崩壊している時代と言わざるを得ない。

東日本大震災で感じた喪失感は
戦後すぐの時期からの復興を目指した時の
エネルギーを必要とするかもしれない。
今回、「非人情」「人情」の線引きがとても
判りやすかった、差別的な動きがね。
そんな中を見ていて、私が必要に感じているのは
「進まない急がない」水は低いところへ必ず流れる
進んでなくても勝手に進んでしまってるのが現代
慌てなくてもいいから、呑気な時代(商売)を思い出して
地に足のついた時代を取り戻したいものです。

近々、思うところあって商いするときは
ザルのつり銭入れで、うるさいババアも兼任して
オカンとやりとりするような、そんな「色」で
やりますので、宜しくお願いいたします。