四条大宮ジャーナル

この度の東北太平洋沖地震にて被災された方々へ
お見舞い申し上げます

こんなお店をしてみたい

2011-05-02 12:28:47 | 仕事
私が子供やった頃(昭和40年代)は
エアコンも各家庭にあったりなかったり
店屋のレジ?ゴムを引っ掛けたザル
味噌屋は樽の味噌を量り売り
魚屋は虫除けの線香を焚いてハエとり紙ぶらさげて、
木舟に入れて刺身を売る
客はいつも一緒の顔ぶれ、お母ちゃんばっかし
ガキはおもちゃ屋か本屋で粘って
店のババアに「買わんかったら早よいんで!」
(いんで、いね・・・河内弁で帰れですな)

散髪屋に行けばFMや有線なぞ流れず
いつもかかってるのは「ポップ対歌謡曲」
や「ジャムジャムリクエスト」これが眠くなるのよ
聴いてると。だから今でもキャンディーズや
浅丘めぐみ、南沙織あたりを聴くと
「散髪屋」を思い出すのだ・・・

さて、レコード(CD出るはるか前」でも買いに行くか
ソノシートで買って貰った「ゲゲゲの鬼太郎」や「ウルトラマン」
親父は「軍歌大全集」を持ってたな、おかげで「海ゆかば」や
「燃ゆる大空」なぞ今でも歌える。

ウチ帰ったらテーブルの蚊帳の中にザルに入った冷や飯が。
匂いかいだらまだイケルので、インスタントラーメン作って
一緒に食べた。

なぜその頃の事を思い出したか、というと
当時って貧乏に関わらず「価格破壊」がなかった。
競争原理も「1人勝ち」ではなく共存共栄の
ノホホンとした空気があったように思う。

いつからか、「人のしない商売」
セルフで安く、長時間営業、一件で
全ての品が揃うetc・・・
(これを先んじて行ったのはダイエーの中内功)
をしてから、ノホホン小売店は淘汰され
店とオカンのコミュニケーションは皆無となり
本屋のババアも消えてしまった。

今回の焼肉屋が起こした食中毒事件は
「わしらが勝つんや!」という思いの究極でしょう。
いつから「勝ち」「負け」組などと言う言葉が出たのが
知らんが(この言葉大嫌い)、それによって
人々は余裕を失い、仕事を失ってきた。
本来は「共に克つ」ことが大前提なのだ。
他人を蹴落として自分の幸せを感じるなら
人心が崩壊している時代と言わざるを得ない。

東日本大震災で感じた喪失感は
戦後すぐの時期からの復興を目指した時の
エネルギーを必要とするかもしれない。
今回、「非人情」「人情」の線引きがとても
判りやすかった、差別的な動きがね。
そんな中を見ていて、私が必要に感じているのは
「進まない急がない」水は低いところへ必ず流れる
進んでなくても勝手に進んでしまってるのが現代
慌てなくてもいいから、呑気な時代(商売)を思い出して
地に足のついた時代を取り戻したいものです。

近々、思うところあって商いするときは
ザルのつり銭入れで、うるさいババアも兼任して
オカンとやりとりするような、そんな「色」で
やりますので、宜しくお願いいたします。