四条大宮ジャーナル

この度の東北太平洋沖地震にて被災された方々へ
お見舞い申し上げます

森繁久彌と満州

2009-11-12 18:30:04 | 京都
森繁久彌は私の高校の校歌を作った方だ。

活躍した作品について等は割愛するが、今回
追悼の記事を読んでいて、自ら志願して満州へ行った
ことが書いてあった。

あの頃の満州には軍関係者以外にも、満鉄の職員
或いは狭い日本を離れて土地を開拓する、といった
開拓事業団(占領横領した土地だが、知らない一般人が多かった)
たちが住んでいた。

手元にある満州映画協会(満映)理事長・甘粕正彦の資料によると
その当時、NHKのアナウンサーとして満州へ渡っている
森繁は甘粕と会って話もしているのである。

この甘粕正彦については、色々意見が分かれるところだが
(陸軍元憲兵、東条英機らと交遊有)
満州を舞台とした「兵隊やくざ」シリーズは満映のノウハウが
生かされているし(成田三樹夫の陰湿な憲兵役は最高だ)、
満映は戦後の中国映画の骨子を作ったとも言われている。

森繁久彌の話に戻るが、今回に関しては大往生のせいか
悲しみ一色、という感じでもなく、津川雅彦曰くは
「助平」やったらしい、朝日新聞のコラムまでも
「助平」と書いている。よっぽどやなー
芸人も政治家もイロで失脚するような時代ではなかった。
「英雄色を好む」が堂々まかり通る時代やったんやろう。


そういう話をすれば、昭和全史を知ってる人がいなくなるのは
歳とはいえ、感慨深いものがある。
隣組や満州からインターネットの時代までの振幅は凄い。


今後50年先にこれ以上の変化があるなら
例えば、新大阪ー東京が30分で移動していたり
水で走る車が出来ていたりなのだろうが
何れも今あるハードにプラスαしたシロモノで
ゆるやかな変化であろう。
ウインドウズ40くらいになってるのか?

不謹慎を覚悟で言えば、良い時代を過ごしたのではないか
生き延びた人たちにはそう思う。
「社長シリーズ」や「サラリーマンは気楽な稼業」の
方々が鬼籍になると、そう感じる。
私のなき父親も満州へ渡ったからなお思う。

まだ何が飛び出してくるか解からない
オリジナルが溢れていた時代だった、
Buildの状態が続いた。

今はScrapを考える時代になった。
リストラもある意味Scrapなのかも知れない。


Scrap&Buildは歴史の繰り返し。
過去は「景気が悪くなってきたので戦争するか」
という発想で有事に至ることもあったが
今はそうはいかない。

そういう部分では民主党が政権を取ったのは
遅まきながら昭和の終焉かもしれない。
民主党の中身実力云々よりも「変わりたい」という
切望がそうなった結果ですが・・・

吉田茂はなに思う