日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

晩秋の大地を行く 2016 - 和がや

2016-09-27 19:58:01 | 居酒屋
厳しい宿泊事情の中、呑み屋街まで徒歩圏内のライダーハウスが現れるという僥倖により、最北の呑み屋街で一杯やれる機会が訪れました。しかし、呑み屋街といっても稚内のそれはごくささやかで、十分ほどもあれば一周できてしまいます。その呑み屋街の中から選んだのは「和がや」です。
稚内には教祖の推奨店もあれば、「酒場放浪記」に登場した店もありますが、こちらはそのどれでもなく、活動仲間が以前訪ねて好意的に評していた店です。呑み屋街をざっと一周した限り、ズバリこれだと思える店も見当たらない中、この店だけは玄関が開け放たれて、中の様子をうかがうことができました。九時までに宿へ戻らなければならない関係上、店選びの段階でこれ以上時間を使うわけにも行かず、また呑み屋街の規模を考えても、時間をかければかけるほどよい店が見つかるという状況でもありません。そこで、玄関からのぞいた店内の様子と、活動仲間の評価も踏まえ、悪くはなかろうと判断して乗り込んだ次第です。

まっすぐ延びたカウンターが六席分、それに半個室の座敷が三つあり、手拭いを首に巻いた店主が厨房に立って、女将らしきおばちゃんともう一人のおばちゃんが接客をこなしていました。フライヤー、焼き網、コンロ、蒸し器などの什器が並ぶ広々した機能的な厨房が気持ちよく、店主は華麗な手さばきで忙しそうに注文を仕上げています。
上記の通り、「悪くはなかろう」との判断であり、ズバリここだと直感したわけではありません。よって荒削りな部分が散見されるのは事実です。店内の造りは全体的に安普請で、少なくともしみじみ鑑賞したくなるほどのカウンターではありません。正面中央の黒板に平目、鰰、舞茸と書かれたおすすめの黒板がある以外は、大きなメニューブックをいちいち開かなければならないところも野暮に感じられます。
もっとも、それらは教祖が推す錚々たる名居酒屋と比較するからこそ感じることです。北海道の居酒屋といえば豪勢な海鮮、あるいは炉端焼などを想像しがちなところ、高価な刺身や干物をあまり置かず、てらいのない居酒屋の品々を豊富に取り揃えたところは、「酒場放浪記」が好みそうな御常連御用達の市井の酒場とでもいうべき趣があります。暑がりの自分がおしぼりでしきりに汗を拭っているのを見て、新しいおしぼりを差し出してくれるといった気遣いもありがたく感じられました。

小太りの店主は稚内出身で、家庭の事情で札幌から稚内に戻り、ここを開いて六年になるそうで、一度でも見た相手の顔を覚えているのが特技といいます。一泊千円のライダーハウスが使える以上、稚内に泊まるなら次も世話になる可能性は高いでしょう。そうなったときには再びここで一杯やるのもよさそうです。

和がや
稚内市大黒2-8-2
0162-22-6005
1730PM-2145PM(LO)
日曜及び第三月曜定休

ヱビス
白隠正宗
お通し(豚しゃぶ)
ひらめ
たこ天ぷら
牛すじスープ煮
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晩秋の大地を行く 2016 - みどり湯

2016-09-27 19:38:54 | 北海道
稚内に着きました。出発からの走行距離は大台を超えて1040kmとなり、今日は上陸以来最長となる約210kmを走ったことになります。相変わらず駅の数は大して稼げませんが、駅間が延びたのと、稚内までまとめて走ったことにより走行距離が延びました。日が暮れても気温は思ったほど下がらず19.5度、生暖かい風も吹いて、これから一雨来そうな気配が漂っています。

読者の方は、今日の稚内の宿泊事情が厳しいと申し上げたのを覚えていらっしゃるかもしれません。昨夜の時点ですら事実上1室しか空きがなかった以上、今更飛び込めるところなどあるはずもなく、一万円超などという法外な値段を付けたドーミーインが空いているだけです。しかし幸いにも、朝方少しだけ触れたライダーハウスに泊まれることになり、それが稚内まで行くことにした理由でもありました。その「みどり湯」に着き一風呂浴びたところです。
その名の通り銭湯併設のライダーハウスです。萱野、興部、計呂地など、かつての駅にできたライダーハウスには何度も世話になってきたのに対し、それとは無関係な純然たるライダーハウスはいまだ経験がありませんでした。勝手が分からないままともかく乗り込み、千円のライダーハウスと二千円のゲストハウスの違いをたずねると、寝袋を持ち込むか布団を借りるかだけの違いで、ベッドで寝られるのはどちらも同じだという返答が。その結果必然的にライダーハウスを選びました。

九月の下旬ということもありライダーは少なく、先客は滋賀から来たという原付のお姉さんのみ。寝室は三室ある中のどこを使ってもよいとのことであり、今夜の状況からして当然貸切となります。
しかも秀逸なのは、これまで走ってきた道道から一本入った稚内の市街地にあり、コンビニと南稚内駅が徒歩圏内にあることです。これにより駅前で呑むことも可能になりました。雨風をしのぐことができ、設営と撤収も不要になって千円ならば、ただ同然といってもよい料金ですが、それに加えて銭湯併設、さらには歩いて呑み屋にも行けてしまうとは、僥倖以外の何物でもありません。まさに捨てる神あれば拾う神ありでした。
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晩秋の大地を行く 2016 - 道道106号線

2016-09-27 18:15:24 | 北海道
読者の方は、今朝の時点で稚内まで行くかどうか決めかねていたのを覚えていらっしゃるかもしれません。しかし、先ほどは稚内まで走ると事もなげに申しました。雄信内で終わることが確定的となった時点で、既に腹は決まっていたのです。それは、雄信内から西へ向かえば天塩市街に出られ、道道106号線を全区間走破できるからに他なりません。
天塩から稚内まで、日本海沿岸の原野を直線主体で貫く、信号も交通量も皆無の快走路は、旅人なら知らない者はいない道の一つです。暮れていく日本海を横目にその道を走れるかと思ったとき、これをむざむざ逃す手はないと思い至りました。
前回走ったときは目の覚めるような青空が広がる快晴でした。それに比べれば、曇り空が暮れていく今日の眺めは遠く及びません。しかし、遮るものが何もない空の広さは道内でも屈指です。稚内まで走る間に暗くなるのは致し方ありませんが、短い間とはいえこの空を拝めるだけでも、この道を走る価値はあるというものでしょう。日本海から轟々と吹く風とともに、記憶に刻んでおきたい一幕です。
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晩秋の大地を行く 2016 - 雄信内駅

2016-09-27 17:13:37 | 北海道
一旦問寒別に戻ってから40号線に合流してしばし西進、再び道道に入って雄信内駅にやってきました。三角形のファサードが印象的な北海道らしい木造駅舎が残り、天塩中川と並んで本日是非とも再訪したかった駅の一つです。
八年ぶりに再訪した駅舎は何一つ変わることなく健在でした。廃屋が一軒あるだけの駅前にもかかわらず、大きな駅舎が残っているのは、交換設備があって保線の係員が定期的に出入りしているからでしょう。昔ながらの木造駅舎と、駅というより信号場のような佇まいは、留萌本線の峠下を彷彿とさせます。
惜しまれるのは中川を出てから西の空に雲が出始め、撮影にはあいにくの条件となってしまったことです。前回訪ねたときは稚内方面から南下していった結果、この駅を完璧な条件で記録した一方、天塩中川が中途半端に終わってしまったのに対し、今回は奇しくも逆の結果となりました。とはいえ、驚異的な高感度性能を誇るEOS-1D Xだけに、感度を上げてもそこそこの画が撮れるのが幸いではあります。
既に五時を回って光量はますます弱まっており、これ以上欲張っても仕方がありません。肝心要の二駅を曲がりなりにも記録して、本日の目的は一応果たしました。あとは稚内方面へまっすぐ走ります。
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晩秋の大地を行く 2016 - 糠南駅

2016-09-27 16:25:27 | 北海道
続いて訪ねるのは秘境駅として名高い糠南駅です。沿線の駅が次々廃止される中、今なお残っていることからも分かるように、秘境というほどの秘境でもなく、周囲は開けた牧草地となっています。むしろ特筆すべきは、朝礼台のホームに接する形で造られた待合室です。国鉄時代に造られた味のある待合室もあれば、その後造られたであろうスーパーハウス同然の味気ない待合室もある中、こちらの待合室は鋼製の物置の側面に窓を二つ開けたもので、それ以外は何もかも物置そのものです。ツーリングマップルRにも「物置が駅舎」と紹介されていることからして、鉄道好き以外の間でも知る人ぞ知る駅なのでしょう。
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晩秋の大地を行く 2016 - 問寒別駅

2016-09-27 16:04:02 | 北海道
続いて訪ねるのは問寒別駅、改装された貨車駅舎と郵便局のある小さな市街の組み合わせは、昨日訪ねた智恵文駅と同様ながら、こちらにはAコープもあり、民家の数もそこそこです。生活臭のある駅としては、佐久と並ぶ今日の双璧かもしれません。
ちなみに、歌内から走ってくる途中、徒歩の旅人とすれ違いました。ただし、いわゆる「旅人」とは雰囲気が違う、おそらく同業者と思われる人物でした。実は、豊清水の駅へ向かう途中にも、まさかの歩行者に出くわして意表を突かれました。あれも十中八九かそれ以上の確率で同業者でしょう。彼等を含めると、今日は六人もの同業者に出くわしたことになります。
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晩秋の大地を行く 2016 - 歌内駅

2016-09-27 15:42:49 | 北海道
次第に日が傾いて時間が切迫してきました。さほどの空腹感もないため今日は昼抜きです。中川のセイコーマートを素通りして歌内駅を訪ねます。
塗装のひび割れが痛々しい貨車駅舎は、昨日訪ねた紋穂内と瓜二つですが、人家が皆無だったあちらに対し、国道から延びて突き当たった駅前通りにはささやかな市街が残り、かつての栄華を偲ばせます。
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晩秋の大地を行く 2016 - 天塩中川駅

2016-09-27 15:26:24 | 北海道
上り「サロベツ」の通過時刻が迫ったため、手近な踏切でこれを撮り、その後天塩中川駅に戻ってきました。ここからは機材をデジタル化する前に一度訪ねた駅が続きます。ただし、この駅に関しては日没間際の日が陰った時間となってしまい、一応押さえた程度に終わっていたため、今回是非とも再訪したかった駅の一つです。
八年ぶりに再訪して驚いたのは、木造駅舎が面目を一新していたことです。ただし、JR東日本がしばしばする、張りぼてで覆うなどの余計な改造ではありません。壁は焦茶の腰壁と漆喰風の壁に改修され、屋根は同じく焦茶に塗られて、さらには木製のサッシが新調されています。しかもこのモノトーンの駅舎に駅前の花壇と郵便ポストが彩りを添えるという演出付きです。西を向いた駅舎だけに、この時間帯は光線状態も完璧で、さらには引きも十分とれて申し分ありません。これが今日一番の会心作となりそうです。
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晩秋の大地を行く 2016 - 佐久駅

2016-09-27 14:38:48 | 北海道
音威子府を出るといよいよ平地が少なくなり、天塩川の流れに沿って、時折落石除けを交えつつうねうね進む線形になります。語弊を承知でいうなら天竜川、球磨川を上っていくような雰囲気です。平地がなくなるということは集落らしい集落がなくなるということでもあり、筬島から18kmもの距離を走って隣の佐久駅に着きました。
特急停車駅を除き、どこもささやかな待合室があるだけだったこれまでの駅と違って、こちらの駅舎は巨大な三角屋根を持つ二階建てです。中は「佐久ふるさと伝承館」なる施設を兼ねており、開拓時代の農具が展示されています。交換設備もあって、緩やかに弧を描いた構内は川湯温泉などを彷彿させ、背後の山との重なり具合も様になっています。この駅に一日わずか三往復の普通列車しか来ないと聞いてもにわかには信じられません。
立派な駅にふさわしく、駅前にもそれなりの市街があります。国道から外れた、郵便局と農業倉庫があるささやかな市街は、昨日訪ねた智恵文、恩根内と同様ですが、こちらには一見する限り廃屋がほとんどありません。駅屋根と窓回りに凝った装飾をした木造総二階の建物が駅前に鎮座し、旅館も今なお盛業中のようです。完全に無人化した駅前も見てきた中、生活臭が色濃く感じられるという点ではこの駅が一番かもしれません。
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晩秋の大地を行く 2016 - 筬島駅

2016-09-27 13:42:17 | 北海道
一時を大きく回ったところで、ようやく本題である宗谷本線の駅めぐりに戻ります。まず訪ねるのは音威子府の隣の筬島駅、貨車駅舎にトタンを張り付け改装したところは昨日訪ねた智恵文駅と同様ですが、こちらはてらいのないグレーの色合いです。
ちなみに駅前には札幌ナンバーのレンタカーが。観光客がこのような場所に来るはずもなく、十中八九、いやそれ以上の確率で同業者でしょう。これが本日四人目です。
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晩秋の大地を行く 2016 - 小頓別駅

2016-09-27 13:10:47 | 北海道
峠を越えて小頓別まで来てしまいました。これ以上深入りすると予定に差し支えるため、ここを区切りにして引き返します。
かつては歌登の簡易軌道を分けたこちらの駅、今は辛うじて「市街」らしきものが残っているだけの小さな集落ですが、国道から折れ曲がって数十mほどの道は今なお停車場線として道道に指定されており、それも400号というキリ番です。バスも国道沿いには止まらずわざわざこの停車場線に入って、突き当たりにあるロータリーを周回し、「小頓別駅」の扁額を掲げた待合室の前に止まります。駅前に残った木造総二階の旅館の建物が、かつての栄華を物語っているようです。
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晩秋の大地を行く 2016 - 三日月橋

2016-09-27 12:41:35 | 北海道
一駅で引き返すつもりが悪魔のささやきに負け、もう少し線路跡を辿ることにしました。この先の峠にあったトンネルが国道沿いから見えるとの情報があるため、とりあえずそこまで行ければと考えています。
そのトンネルに至る前に、三日月橋なる国道の橋と並行する形で、短い鉄橋が残っていました。国道から眺めると、道よりも一段高い場所を築堤とこの鉄橋で越えている様子がよく分かり、さらに国道の橋の袂からは道が斜めに分岐していて、かつてはその先に踏切があったのだろうと推察できます。
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晩秋の大地を行く 2016 - 上音威子府駅

2016-09-27 12:20:13 | 北海道
音威子府で振り出しに戻り、あとは宗谷本線をそのまま北上していくかというとさにあらず。旧天北線の上音威子府駅を訪ねます。
廃止後も比較的遅くまで駅舎が残っていた場所です。残念ながらその当時に訪ねることは叶わなかったものの、最近ホームが有志により保存目的で修復されたと聞き、この機会に訪ねておこうと思い立った次第です。
40号線も美深を過ぎるといよいよ淋しくなってきましたが、音威子府で分かれる275号線はなおさらで、ここまで人家らしきものは皆無に近い状況です。しかし、草の切れ間に駅名標が一瞬だけ見えました。咄嗟のこと故一度は通り過ぎ、少し走ってから引き返すと、かつての駅前に続く砂利道が分かれており、その先に未舗装の駅前が広がって、右側にホームが残っていました。咲来などと同様、駅舎から少し離れた場所にホームがあったのでしょう。
駅舎側のホームの上に、国鉄時代と同じ様式に復元された駅名標が建つだけのささやかさで、駅の由来を記した記念碑などはありません。しかし、レールさえ敷けば列車が来そうな違和感のない雰囲気はむしろ好ましいものがあります。
音威子府側の路盤はかなりの高さの草に埋もれて、相応の装備がなければたどれそうにもありません。しかし、浜頓別側の路盤は少しだけ歩いて辿ることができます。自分が初めて北海道に渡った頃は、国鉄末期に廃止された路線が五年、十年ほど経った頃で、既に駅舎の多くは姿を消したものの、路盤についてはかなりの区間で歩ける状態でした。当時は車の免許も持たなかったため、目星をつけたバス停で降り、そこから延々歩くという酔狂なことをしていたものです。その後二十年の時が流れ、残った路盤も背丈以上の草に埋もれたり、切り崩されて農地に同化したりで、歩いて辿ることは年々困難になりつつあります。そのような中、久々にかつての線路を自分の足で辿り、若かりし頃を懐かしく思い出した次第です。
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晩秋の大地を行く 2016 - 常盤軒

2016-09-27 11:15:32 | B級グルメ
音威子府に戻ったところで実質的な振り出しとなりますが、この時点で既に11時です。しかし、よかったこともないわけではありません。朝食に駅そばをいただけることになったからです。
今や新幹線停車駅にすら駅そばのないところがある中、音威子府の駅そばは今なお健在です。折しも下りのスーパー宗谷が到着し、下車客の大半がそばをすすっていることからしても、根強い人気が窺われます。高齢の店主と女将が二人で営む店だけに、路線と同様いつまでも安泰というわけではありませんが、少しでも長く続いてほしいと願わずにはいられません。
ちなみに、スーパー宗谷から降りてきた同業者が一名、乗っていった同業者も一名おり、さらには函館ナンバーのレンタカーで来ている同業者の姿も。早くも昨日出会った同業者の数に並びました。この先何人と出くわすことになるのでしょうか。

常盤軒
音威子府駅構内
1000AM-1530PM
水曜定休
天ぷらそば470円
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晩秋の大地を行く 2016 - 咲来再訪

2016-09-27 10:14:11 | 北海道
ご丁寧にも咲来を再訪します。昨日立ち寄ったとき、かつて農協だった木造総二階のただならぬ建物があるのが分かり、それを順光の状況で見てみたかった次第です。
再訪して気付いたのは、駅前にある元の公民館らしき建物がライダーハウスになっていることです。残念ながら今季の営業は21日で終わったそうですが、昨日訪ねた日進の駅前にもライダーハウスがあり、塩狩にも旅人宿があると聞いています。今後の展開次第では、どこかに泊まってみるのもよさそうです。
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