日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

晩秋の大地を行く 2016 - 独酌三四郎

2016-09-30 21:20:19 | 居酒屋
投宿して荷物を置き、すぐさま出たいのはやまやまながら、潮風に吹かれ続けて眼鏡も曇るほどの飛沫を浴びています。風呂に入ってさっぱりしてから「独酌三四郎」にやってきました。
前回は金曜に重なったこともあり、あわや満席で振られるかという状況に直面し、その後も終始慌ただしい店内でした。そして今回も巡り巡って金曜です。ただ、宿が前回よりも格段に空いていることからして、店も空いてはいないかという漠然とした期待がありました。果たして店先に乗り込むと、少し開け放った窓の向こうにがら空きのカウンターが見えます。よしと思って乗り込むと、女将からは箸のない位置に座るようにとのお達しが。要するに箸のある場所は予約席ということです。手前側のカウンターのやや右寄り、女将と店主の定位置の中程に着席してよくよく見ると、自分の左に箸が三膳、右に一膳あって、右端には先客の御仁がいるため、自分を入れて六席分が埋まったことになります。詰めればさらにもう一人座れるとはいえ、現時点では一応の満席です。余裕綽々かと思いきや、何だかんだで今回も紙一重でした。

先客は前回訪ねたときに隣り合わせた、「先生」と呼ばれている御方でした。ただし、その前に同席した医療関係の先生と違い、作家か芸術家かと思わせるような風貌です。聞けばお花の先生だそうです。極度の人嫌いにもかかわらず、比較的気兼ねなく話しかけられるのがこのカウンターの不思議なところでもあります。
しばしの時間を置いて、左隣の予約客がやってきました。しかし三名だったはずが四名になるとの話により、こちらは先生のすぐ隣に移動。先生が席を立つともう一人の同行者が現れ、今度は右端に移動しました。さらにもう一人の御常連が現れたため席を詰め、手前のカウンターはこれで完全に満席です。奥のカウンターにも後から来た常連客が通されて、徐々にお客が引けていく小上がりとは対照的な賑わいとなってきました。

実は、この時点でラストオーダーとされる10時を回っていました。それにもかかわらず通されるということは、相当顔が利く御常連ということに他ならず、一見と思しきお客は皆断られていました。一見客で混み合うのが常態化してしまった昨今、今日のようにお客が早く帰りそうな日を見計らって常連たちが電話を入れ、遅い時間に集まってくるということのようです。
本来の看板まであと30分ほどとなったとき、思わぬ人物が現れました。前回訪ねたときに自分の目の前で席を立った、シルクハットの老紳士です。自分がここで席を立てば、手前側のカウンターが一つは空きます。前回席を譲ってもらった以上、今回は自分が譲る番でしょう。残った酒と肴をいただいて支払いを済ませ、御常連で賑わう店内を後にしました。

独酌三四郎
旭川市2条通5丁目左7号
0166-22-6751
1700PM-2200PM(LO)
日祝日定休


麒麟山二合
お通し(酢大豆)
〆さんま
落葉おろし
友人手造りどうふ
柳の舞
コメント

晩秋の大地を行く 2016 - 帰還

2016-09-30 20:56:49 | 北海道
小平まで国道232号線を南下、そこから幌糠までの道道で留萌市街を短絡し、あとは深川留萌道を飛ばすかというところ、並行する国道233号線が交通量皆無のためそのまま走り、深川から12号線を経由して旭川に戻りました。
本日の走行距離は280km以上、もちろん上陸以来最高であり、平均的な走行距離の二日分を走ったことになります。やればできるものだというのが実感です。日がな一日潮風に吹かれ続けて、窓が曇るほどの飛沫を浴びてしまいました。直ちに洗車したいのはやまやまながら、今は時間がありません。給油だけ済ませてから旭川市街に入りました。ただし長期間放置したくはないため、車を置いて帰る前に、どこかで洗車ができればよいのですが。

沿岸部で20度近かった気温は、内陸に入るとたちまち下がって10度を切り、現在13度となっています。あれほど吹いていた風は嘘のように止み、穏やかな星空が広がっています。
天候の変化もさることながら、車窓の変化が印象的でした。牧草地が広がる平坦な道が、歌越からは海岸段丘を上下する起伏のある道に変わり、苫前からは留萌市街の明かりを遠望しつつ海岸を行く道に変わりました。しかしそれ以上に印象的だったのは、内陸に入って峠を降りた後です。明かりがまばらに散らばる石狩平野が広がると、帰ってきたという実感が一気に押し寄せてきました。以前も似たような経験をしたことがあります。荒涼とした最果ての地を旅して戻ると、一見ありふれた光景にも無性に懐かしさを覚えるということでしょう。長旅はいよいよ最終盤にさしかかりました。
コメント

晩秋の大地を行く 2016 - 暴風

2016-09-30 17:31:48 | 北海道
残念ながら歌越を出たところで日没時間切れとなりました。海沿いの平坦な国道が海岸段丘を急勾配で上下する線形に変わる一方、かつての鉄道はそこをトンネルと橋梁で貫いており、見応えのある遺構が残る区間だっただけに惜しまれます。建設の年代が新しいこともあるのか、車窓から見ても分かる遺構が思いの外多かったという印象です。次に道北を旅するときには、往路か復路のいずれかをこの経路にしたいものです。

羽幌線の遺構めぐりはこれにて打ち止め、夕景が絵になる場所を探し求めて、本日は初山別の道の駅にやってきました。道の駅とはいっても国道からは1kmほど離れており、ツーリングマップルRには「みさき台公園」との記載があります。温泉とキャンプ場併設の公園が道の駅に認定されたというのが実態のようです。知名度は必ずしも高くはないものの、眼下に茫々たる日本海が広がり、ここまで走ってきた絶壁のような海岸段丘が北へ向かって延々続くという景観の雄大さは、霧多布にも引けを取りません。岬の突端にキャンプ場があるところも似ています。晴れて視界がよければ彼方に利尻島も見えるそうで、それなら昨日来てみたかったと仮想せずにはいられません。
もっとも、今日は低い空に雲が出ており、夕景としては今一つです。利尻島がどこにあるかも分かりません。しかしそれ以上の問題は風です。もともと風が強いところへ、高台の岬の突端という地形もあり、立っているのが辛いほどの暴風が吹き付けてきます。テントを張ろうとしていたキャンパーも、あまりの強風に断念したようです。たしかに今夜はバンガローに逃げ込む以外の手はないでしょう。
留萌でキャンプを張るという選択肢はこの時点で消滅し、本日は旭川に宿泊するということで結論が出ました。まだ先は長いものの、自動車専用道路を経由できる区間もあり、時間的には余裕があります。今夜も九時過ぎの空きそうな時間を見計らい、「独酌三四郎」の暖簾をくぐる予定です。
コメント

晩秋の大地を行く 2016 - 歌越駅

2016-09-30 16:48:04 | 北海道
線路跡は背丈以上の藪となって続き、車窓からでも容易に確認できます。コンクリート橋から少し走ると、今度は国道からその藪に向かって延びる短い道がカーナビに表示されました。これが歌越駅の跡なのは間違いありません。しかし、駅前の道だけが残って駅の痕跡がないという状況は丸松と同様です。砂利道の突き当たりにあったはずの駅は跡形もなく、道はその先にある牧場まで貫かれていました。
コメント

晩秋の大地を行く 2016 - 旭橋

2016-09-30 16:32:59 | 北海道
予想通り、カーナビに表示されていた細い道はかつての線路でした。並行する国道を進み、旭橋なる橋にさしかかろうとしたとき、立派なコンクリート橋が姿を現しました。橋脚が六本もあり、全長は先ほどのコンクリート橋の倍から三倍はあるでしょうか。しかも橋の上には砕石が残り、留萌方には築堤が続いています。これだけの物件が残っているのは白糠線、美幸線など数えるほどしかありません。その橋梁が西日を浴びた光線状態も完璧で、これが本日最大の収穫となりそうです。
コメント

晩秋の大地を行く 2016 - 富士見橋

2016-09-30 15:42:55 | 北海道
遠別から築別までの間は戦後に開通した区間です。特に初山別までの間は最も遅い昭和33年の開通であり、その分構造物も近代的になってきます。遠別の町を出ると、富士見橋と名付けられた国道の橋に並行するコンクリート橋が現れました。しかも、幌延方には未舗装の道となった路盤が視界の彼方まで続いています。橋を渡った留萌方は草に埋もれているものの、カーナビによるとその2kmほど先でここと同じ間隔を保ったまま国道に並行する道が復活しており、そこから4kmほど続いています。これもかつての線路跡である可能性が濃厚です。かつてはこうして線路の跡が砂利道となり、延々歩いてたどれることが多かったものですが、現代まで残っているのは貴重です。
コメント

晩秋の大地を行く 2016 - 遠別駅

2016-09-30 15:19:31 | 北海道
道内にある国鉄の廃止路線の中でも、駅跡の痕跡がとりわけ希薄といわれる羽幌線ですが、その評はある程度まで正しかったようです。遠別でも誰もが分かるような痕跡を見つけることはできませんでした。
国道から折れた停車場線の突き当たりは何もない空間になっており、そこから左に折れるとかつての駅の構内が幅の広い道路となっていました。右側にバスの発着場が、左側には四棟並んだ農業倉庫があって、ここに駅があったことは一応特定できます。しかし記念碑も資料室の類もないのは天塩と同じで、街灯に取り付けられた「遠別停車場線」の文字がしいていうなら最も分かりやすい痕跡です。駅跡の道自体、バスが駅前で転回せずに通り抜けができるようにするためのものでしょう。過ぎた時代を懐かしむより、利便性、合理性を追求するのが沿線自治体の方針なのかもしれません。
コメント

晩秋の大地を行く 2016 - 丸松駅

2016-09-30 14:59:37 | 北海道
再びカーナビを頼りに丸松駅の跡地を訪ねます。国道から短い道が分岐していることからしても、廃業した商店があることからしても、ここがかつての駅だったのは間違いありません。しかし、駅舎と線路の位置まで特定できた更岸駅と違い、正確な位置関係が判然としません。国道に並行する形で、線路跡を転用したらしきサイクリングロードのようなものが留萌方へ延びてはいるものの、これが線路とするならば、商店の前を線路が通っていたことになり辻褄が合いません。ならば裏手を通っていたのかというと、こちらはこちらでそれらしき痕跡が見当たりません。さらに怪しいのは、サイクリングロードらしきものがほんの数百m続いただけで藪に呑まれて途切れることです。幅からしても明らかに国道の旧道などではありません。謎の多い丸松駅跡です。
コメント

晩秋の大地を行く 2016 - 更岸駅

2016-09-30 14:28:53 | 北海道
カーナビがまたもや威力を発揮。国道から折れ曲がる短い道に気配を感じてハンドルを切ると、緩い坂道が駅前らしき空間へと続いていました。その坂道の右側に、完全に崩れ落ちた廃屋があることからしても、ここが更岸駅の跡地なのは明らかです。
よく見れば駅舎の基礎が残っており、少し離れた場所には枕木が積み上げられていました。この枕木は廃止から30年近くにわたって風雪に耐えてきたことになります。留萌方の路盤は藪に埋もれているものの、樹木の切れ目で線路のあった場所は特定でき、幌延方には砕石の道床が残っています。
コメント

晩秋の大地を行く 2016 - 更岸跨線橋

2016-09-30 14:02:12 | 北海道
深い藪に埋もれたり農地に戻ったりして、北海道の旧国鉄路線の踏査が年々困難になりつつある中、今もほぼ当時の姿で残るのが国道の跨線橋です。天塩を出て232号線をしばらく走ると、更岸跨線橋なる今となっては無意味な立体交差が現れました。昭和52年11月の竣工ということは、この跨線橋が本来の役割を果たしたのは10年足らずだったことになります。留萌方の線路跡は直線状に続く草むらで判別できますが、幌延方の線路跡は砂利置き場の敷地に飲み込まれていました。
コメント

晩秋の大地を行く 2016 - あげいん

2016-09-30 13:36:16 | B級グルメ
今回の道中でセイコーマートの出番が少ない理由として、昼はこれぞという店がある場合だけ入り、その他の場合は抜いてしまうことを挙げました。今日もセイコーマートには寄らず、かつての駅前でお昼をいただきます。
駅前に飲食店が三軒あると先ほど申しました。その中から選んだのは、最も駅に近い「あげいん」なる喫茶店です。喫茶店とはいっても、カレー、スパゲティ、オムライスなどのいわゆる食事メニューが充実しており、看板にも「お食事」とあります。他の二軒のうち一軒はそば屋、もう一軒は昔ながらの駅前食堂然とした店で、中でも新そばの張り紙を掲げたそば屋には食指が動きかけました。それでも喫茶を選んだのは、出されるもの云々よりもこの店でいただくことに意義があったからに他なりません。
というのは、ここの店先にかつての駅名標が立てられていたのです。それもただ立てられているのではなく、色とりどりの鉢植えに囲まれていました。駅の跡地が無惨にも貫かれ、鉄道の存在が忘却の彼方へ消え去ろうとしている感さえある中、唯一誰もが分かるものを残してくれたこの店に対する、せめてもの感謝を示したかった次第です。
カレーのうまそうな匂いにつられて注文したのはカツカレー900円也。かなりの待ち時間を経て運ばれてきたのは、長方形の大皿に飯を敷き詰め、その上に厚切りのカツを乗せて全面にカレーをかけた物量感のある一品でした。流れるオールディーズが古びた店内にはお誂え向きです。

あげいん
天塩郡天塩町新開通6丁目
01632-2-2525
1000AM-2100PM
コメント

晩秋の大地を行く 2016 - 天塩駅

2016-09-30 13:08:19 | 北海道
カーナビに頼る頻度は年々少なくなっています。そのような中、北海道の旅ではカーナビが今なお役立つ場面が少なくありません。ある程度の市街にある駅の場合、国道から分岐してかつての駅へ至る道が、今なお道道に指定されているため、カーナビを見れば駅の位置が容易に特定できてしまうわけです。天塩でもそのようにして旧羽幌線の駅跡にやってきました。
かつての駅前通りには農協、Aコープに加えて道銀もあり、さらには三軒ほどの飲食店が盛業中です。このことからも、かつてはここが沿線でも有数の町であったことが分かります。そのような駅の跡地というと、バスターミナルに建て替えられ、そこにささやかながらも記念碑や資料室が置かれ、場合によっては車両、動輪、信号機なども展示されるのが相場で、今回の道中で訪ねた中では下川がそうでした。ところがここでは少々残念な現実に直面しました。
本来ならば駅前に突き当たって終わる駅前通りが、駅の敷地を貫く形でそのまま延長されていて、裏側に建設された国道のバイパスに直結されていたのです。もちろん、それ自体は交通の便をよくするための一つの選択であり、必ずしも落胆するようなことではありません。残念なのは、ここに駅があったことを示す記念碑の一つもなく、敷地を転用して造られた道の駅にもそれらしきものが見当たらないことです。不自然に広がった敷地に農業倉庫などを見れば、駅の跡地なのは一目瞭然とはいえ、一般の旅人にそれが分かるのでしょうか。代替バスも駅前には入らず、少し離れた国道の旧道沿いにある停留所に発着しており、その待合室にも鉄道の存在を伝えるものは何もありませんでした。
出だしは空振り気味に終わりましたが、この後は旧羽幌線の沿線をたどりつつ留萌を目指します。もちろん、しらみつぶしにたどれば一日では到底終わらないため、先人による踏査結果も参考にしつつ、主要な駅の跡地と遺構を訪ねていくことになります。それでも留萌にはたどり着かずに日が暮れるでしょう。寒さこそ和らいだものの、この強風では依然としてキャンプは厳しく、旭川泊に傾いているのが現状ですが、日中吹いていた風が夜になって止むのはよくあることです。日が暮れたときの状況次第で最終的に判断します。
コメント

晩秋の大地を行く 2016 - 別れの挨拶

2016-09-30 11:44:41 | 北海道
道道106号線を走破し天塩市街に入りました。鏡沼海浜公園から利尻島を遠望します。
昨日訪ねたときは山頂まで一点の曇りもなかった利尻富士ですが、今日は雲に覆われ裾野も霞んでいます。ツーリングマップルRによると、この先初山別あたりまでは利尻島が見えるようですが、晴れればという条件付きであり、今日の視界ではどこまで見えるかが何ともいえません。ここでひとまず別れの挨拶をしておきます。

台風でやられた十勝、北見を見舞いがてら旅するつもりでいたはずが、いきなり旭川まで走ってしまったことにより、流れ上そのまま北上して稚内にたどり着きました。今回は道内の滞在時間の大半を道北に費やしたわけです。しかし、過去に何度も旅している道央、道東、オホーツクと違い、道北を車で旅する機会は非常に少なく、音威子府、浜頓別より北についてはこれが実に八年ぶりでした。稚内に三泊したのを初めとして、長年の借りを取り返すかのごとく存分に滞在できたことについては満足しています。
ただし、宗谷岬には今回立ち寄っておらず、西の道道106号線と並ぶ東の横綱であるエサヌカ線も走っていません。利尻島にも一度は行ってみたいものです。それを含め、次に戻ってこられる機会を楽しみにしています。またいつの日にか…
コメント

晩秋の大地を行く 2016 - 記念撮影

2016-09-30 10:49:18 | 北海道
10日以上の長旅にもなると、旅の最高潮といえる場所で記念撮影しておきたくなるのが人情です。そのような場所を探し求めて選んだのが、高台から利尻島を一望する道道106号線の駐車帯です。昨日は時間が押しており、三脚を立てる手間を惜しんでそのまま立ち去りましたが、こうして再訪する機会を得られたのは幸いでした。
コメント

晩秋の大地を行く 2016 - 波風

2016-09-30 09:53:55 | 北海道
続いては西稚内漁港を再訪します。風が強いことについては先ほど申しましたが、これは波が立っているということに他ならず、そのせいか海の色も濁って見えます。荒れ狂う冬の海とは比べようがないとしても、穏やかだった昨日の海とは全く違う眺めです。流れるような薄雲も絵になっています。
道内でも屈指の名車窓だけに、窓を開けて走りたいのはやまやまながら、いかんせん風が強すぎ、途中で窓を閉めました。太公望の数も今日は少な目で、岸壁には昨日までなかったと思われるかなりの巨木が流れ着いています。北海道の自然の厳しさを垣間見る光景です。
コメント