昨年の9月、乳癌を告知され10月に市内の病院に入院して乳房温存手術を受け、3泊4日で退院し、病理検査の結果により11月から抗癌剤治療を始めて、昨日までの約10ヶ月間で全ての標準治療が終了しました。
リンパ節の転移があったので治療の効果が大きく副作用も大きいETC治療を受けることになった。当初の治療終了予定が6月位だったので、2ヶ月も余分に係ってしまったことになる。
告知されてからものすごくショックを受け、自宅で一人でいるときは自然と涙が溢れ出て、もうこのまま死んでしまうんじゃないかと悪い方へ悪い方へと考えてしまってすごく落ち込んでいました。
癌になるということは、自分に何かの原因があるはずだ。
癌細胞は皆が持っているけれど、何かの拍子にそれが突然いい細胞を破壊して侵していく…!
食生活だって今まで生きてきた人生だってどこかに免疫力が低下するようなことをしてきたはずだ。
考えれば考えるほど自分のことを責めてすごく否定していた毎日でした。
しかし、クヨクヨしていても何も始まらないのでとにかく抗がん剤治療を日々の生活の中でルーティンワークとして乗り切って行こうと決意した。
幸い私は仕事を失うことなく、正常な生活のままで最初の点滴であるファルモルビジン(4回)の抗癌剤治療を開始することができた。
勤務時間で色々と融通が利く会社でもあり、自分で時間管理ができたのでなんとか治療をこなすことができた。
治療当初、抗癌剤治療と言えば副作用として脱毛・吐き気・倦怠感等、色々と不安があった。一番不安だったのが、脱毛だ。
通勤しながら治療を行うということは、脱毛も皆に知れてしまう。
地毛から“かつら”への切り替えが一番不安だった。なんせ、会社の同僚には病名を言っていないし、私が3泊4日で退院したものだから、まさか癌なんてちっとも思っていない。しかし、“かつら”を被っていくと病名が一発で知れてしまう。治療で脱毛する病気として浮かんでくるのが癌ですものね。
今振り返ってみれば、この時がいろんな意味で一番気持ちが揺らいだ時期だと思う。“病名がバレる。”“私の不幸を皆はどんな目でみるんだろう~”
などと、世間の目を気にしていた。
しかし“かつら”を被っていった私に会社の同僚は『よく似合うね~!』って言ってくれた。私の病気に気を使って言葉をかけてくれたのがよくわかった。この言葉に気を良くした私は5つある“かつら”を毎日とっかえひっかえして被っていった。辛い(?)治療の中で私は皆の視線を気にすることなくお洒落を楽しむことができた。しかし、帰宅して髪の毛がどんどん抜けていくのを鏡で見ながら涙していたのを覚えている。私はず~っと泣き続けなければならないのかと不安をかかえながら生きていた。
現在、医療の進歩で抗癌剤治療も外来で行われるようになったので、精神的な心の不安を癒すケアがすごく必要だと思った。
私は独居だったので、どこにもぶつける所がなくって悶々としていた時期もあった。なんで私の気持ちをわかってくれないの?私にもっと優しい言葉をかけて!私はこんなに悲しい気持ちになっているのにって、結構思っていた。やはり、同じ乳癌患者でないと気持ちが伝わりあうことがない。
タキソール(12回)の治療は、計画では毎週点滴することになっていたけど、白血球の減少で度々点滴を飛ばすことになった。副作用としては点滴の途中に何故だか腹痛がしたりしたけど、皮膚や爪の変色・手足のしびれでピリピリ感があったけど全体的には軽い方だった。とにかく気分転換にと旅行の計画ばかりを考えていた。
点滴最後の治療はエンドキサン(4回)。
この治療が一番きつかった。
今まで吐き気が全くなかったのが、この点滴は打ったその日に吐き気を催して食事を食べる気にはなれなかった。体重も2~3kgは減少した。空腹でも食べられないと言うことを始めて経験した。
6月中旬からは放射線治療(30回)が始まった。
会社が9時からだったので無理を言って治療予約時間を8時40分にして頂いた。実際治療の開始は8時20分頃からだったので、何とか勤務前に治療を終えることができた。しかし、この時期は梅雨のムシムシした湿気の中から夏の暑い時期だったので汗を掻き洋服がビッチャンコになりながら、通ったものです。
振り返ってみると抗癌剤治療が辛いと思ったことは余りありませんでした。これで体の中の悪い細胞を叩き出すんだって思ったら辛くないってね!
今こうやって元気に過ごしていられるのは、家族や友人の支え、メールでの励ましがあったから頑張って来れました。
本当に感謝します。
母にも迷惑をかけた。たまたま私の所に泊まりに来ていた時脱毛が始まり、一緒に居合わせて私がワンワン泣いているのに何も出来ずにいたことを悔やんでいた。
実家に帰った母に姉が電話をしたら、母は何も出来ない自分に対して泣いていたと聞いた時、私は何てことをしたんだろう!本来ならば私が母の面倒を見なくてはいけないのに…。皆、苦しくて悲しんでいるんだ。母も姉も私も…。私と一緒になって戦ってくれているんだ。私は家族の愛を強く感じた。多分一人だったら途方にくれて自暴自棄になって自分を追い込んでいたかも知れない。
今は手術で腫瘍切除し抗癌剤治療による完治で3ヵ月毎の経過観察に入っているけれど、再発転移の不安は拭い去れない。しかし、常に病気の事ばかりを考えているとそれこそ精神的に参ってしまう。これからの人生、どーなるかわからない。
私はこの病気になったことで人生を深く考えることが出来た。
健康でいることがすごく有り難いと思った。
これからは何事も後悔しないようにしたい。
あの時、何でしなかったんだろう~!と思わないように。
とにかく楽しい事をどんどん計画して悔いのない人生を過ごして行きたい
リンパ節の転移があったので治療の効果が大きく副作用も大きいETC治療を受けることになった。当初の治療終了予定が6月位だったので、2ヶ月も余分に係ってしまったことになる。
告知されてからものすごくショックを受け、自宅で一人でいるときは自然と涙が溢れ出て、もうこのまま死んでしまうんじゃないかと悪い方へ悪い方へと考えてしまってすごく落ち込んでいました。
癌になるということは、自分に何かの原因があるはずだ。
癌細胞は皆が持っているけれど、何かの拍子にそれが突然いい細胞を破壊して侵していく…!
食生活だって今まで生きてきた人生だってどこかに免疫力が低下するようなことをしてきたはずだ。
考えれば考えるほど自分のことを責めてすごく否定していた毎日でした。
しかし、クヨクヨしていても何も始まらないのでとにかく抗がん剤治療を日々の生活の中でルーティンワークとして乗り切って行こうと決意した。
幸い私は仕事を失うことなく、正常な生活のままで最初の点滴であるファルモルビジン(4回)の抗癌剤治療を開始することができた。
勤務時間で色々と融通が利く会社でもあり、自分で時間管理ができたのでなんとか治療をこなすことができた。
治療当初、抗癌剤治療と言えば副作用として脱毛・吐き気・倦怠感等、色々と不安があった。一番不安だったのが、脱毛だ。
通勤しながら治療を行うということは、脱毛も皆に知れてしまう。
地毛から“かつら”への切り替えが一番不安だった。なんせ、会社の同僚には病名を言っていないし、私が3泊4日で退院したものだから、まさか癌なんてちっとも思っていない。しかし、“かつら”を被っていくと病名が一発で知れてしまう。治療で脱毛する病気として浮かんでくるのが癌ですものね。
今振り返ってみれば、この時がいろんな意味で一番気持ちが揺らいだ時期だと思う。“病名がバレる。”“私の不幸を皆はどんな目でみるんだろう~”
などと、世間の目を気にしていた。
しかし“かつら”を被っていった私に会社の同僚は『よく似合うね~!』って言ってくれた。私の病気に気を使って言葉をかけてくれたのがよくわかった。この言葉に気を良くした私は5つある“かつら”を毎日とっかえひっかえして被っていった。辛い(?)治療の中で私は皆の視線を気にすることなくお洒落を楽しむことができた。しかし、帰宅して髪の毛がどんどん抜けていくのを鏡で見ながら涙していたのを覚えている。私はず~っと泣き続けなければならないのかと不安をかかえながら生きていた。
現在、医療の進歩で抗癌剤治療も外来で行われるようになったので、精神的な心の不安を癒すケアがすごく必要だと思った。
私は独居だったので、どこにもぶつける所がなくって悶々としていた時期もあった。なんで私の気持ちをわかってくれないの?私にもっと優しい言葉をかけて!私はこんなに悲しい気持ちになっているのにって、結構思っていた。やはり、同じ乳癌患者でないと気持ちが伝わりあうことがない。
タキソール(12回)の治療は、計画では毎週点滴することになっていたけど、白血球の減少で度々点滴を飛ばすことになった。副作用としては点滴の途中に何故だか腹痛がしたりしたけど、皮膚や爪の変色・手足のしびれでピリピリ感があったけど全体的には軽い方だった。とにかく気分転換にと旅行の計画ばかりを考えていた。
点滴最後の治療はエンドキサン(4回)。
この治療が一番きつかった。
今まで吐き気が全くなかったのが、この点滴は打ったその日に吐き気を催して食事を食べる気にはなれなかった。体重も2~3kgは減少した。空腹でも食べられないと言うことを始めて経験した。
6月中旬からは放射線治療(30回)が始まった。
会社が9時からだったので無理を言って治療予約時間を8時40分にして頂いた。実際治療の開始は8時20分頃からだったので、何とか勤務前に治療を終えることができた。しかし、この時期は梅雨のムシムシした湿気の中から夏の暑い時期だったので汗を掻き洋服がビッチャンコになりながら、通ったものです。
振り返ってみると抗癌剤治療が辛いと思ったことは余りありませんでした。これで体の中の悪い細胞を叩き出すんだって思ったら辛くないってね!
今こうやって元気に過ごしていられるのは、家族や友人の支え、メールでの励ましがあったから頑張って来れました。
本当に感謝します。
母にも迷惑をかけた。たまたま私の所に泊まりに来ていた時脱毛が始まり、一緒に居合わせて私がワンワン泣いているのに何も出来ずにいたことを悔やんでいた。
実家に帰った母に姉が電話をしたら、母は何も出来ない自分に対して泣いていたと聞いた時、私は何てことをしたんだろう!本来ならば私が母の面倒を見なくてはいけないのに…。皆、苦しくて悲しんでいるんだ。母も姉も私も…。私と一緒になって戦ってくれているんだ。私は家族の愛を強く感じた。多分一人だったら途方にくれて自暴自棄になって自分を追い込んでいたかも知れない。
今は手術で腫瘍切除し抗癌剤治療による完治で3ヵ月毎の経過観察に入っているけれど、再発転移の不安は拭い去れない。しかし、常に病気の事ばかりを考えているとそれこそ精神的に参ってしまう。これからの人生、どーなるかわからない。
私はこの病気になったことで人生を深く考えることが出来た。
健康でいることがすごく有り難いと思った。
これからは何事も後悔しないようにしたい。
あの時、何でしなかったんだろう~!と思わないように。
とにかく楽しい事をどんどん計画して悔いのない人生を過ごして行きたい