アラビア太郎
秋田県平鹿郡大森町出身の山下太郎(1989~1967年)は札幌農学校(北大)卒業後、オブラートの製造特許で元手を得、穀物やサケ取引に手を広げた。さらに満鉄の社員住宅の建設によって莫大な利益をあげて、満鉄太郎といわれた。
満鉄(南満州鉄道株式会社)は鉄道を経営して石炭・大豆などの独占輸送で利益をあげる一方、撫順炭鉱・鞍安製鉄所なども経営するコンツェルンとして、日本の財閥・官僚・政商の大きな利権になっていた。日中の中国侵略は満鉄の権益拡大が一つの目的であった。
満鉄は戦後、日本の保守政界の最大の金脈・人脈になった。山下太郎はそれを利用し、インドネシアの石油開発のための日本石油株式会社を設立した(1956年)。
スエズ戦争後、中東では民族主義運動が盛んになった。サウジアラビア王族は、米メジャー系のアラムコが安く独占していた石油開発の利権を、日本の政商山下太郎に高く売る意図で、石油利権情報を流した。山下太郎は、国内の原油需要の増大を見通し、インドネシアの石油開発を放棄し、サウジ王族の誘いに乗った。アラビア太郎といわれた。
アラビア石油
1957年、山下太郎はペルシャ湾とその周辺の油田開発のため、サウジ王族と直接交渉して、ペルシャ湾の中立地帯における開発利権を得た。それまではメジャーと産油国の利益は50%ずつの折半であったが、山下太郎は取り分を44%に引き下げた。また、石油採掘利権の期限を44年間とし、毎日300万円をサウジアラビアとクウェートに支払うことにした。サウジ側には破格の好条件であった。
しかし、アラビア石油には大きな負担であった。山下太郎は、油田開発の費用負担と輸入原油の需要先確保のため、鉄鋼・電力の各社の出資金合計35億円でアラビア石油株式会社を設立した(1958年)。満鉄時代の人脈をフルに利用して、アラビア石油の役員には経団連会長の石坂泰三をはじめ財界首脳をかつぎだした。社長は山下太郎であった。
1960年1月31日、ペルシャ湾の海底油田第1号の試掘に成功し、カフジ油田と名づけられた。さらに海底油田の開発が進められた。1970年には日本の輸入総量の10%を、アラビア石油が占めるまでになった。
アラビア石油の採掘権失効
2000年2月28日、アラビア石油がサウジアラビアから得ていた石油採掘権益は、契約期限切れで失効した。延長の条件として、サウジアラビアは国内に全長1400kmの鉱山鉄道の建設を持ち出した。
アラビア石油は、鉄道建設資金2000億円とその後の運営資金を負担できないため、サウジの条件を拒否して、採掘権が失効させたのであった。山下太郎が契約時点で、サウジ王族の言いなりの条件で、採掘権を獲得したことが問題の発端であった。2000年の契約拒否にはアラビア石油に対し、メジャーから強い圧力があった。
http://www15.ocn.ne.jp/~aoisora5/
秋田県平鹿郡大森町出身の山下太郎(1989~1967年)は札幌農学校(北大)卒業後、オブラートの製造特許で元手を得、穀物やサケ取引に手を広げた。さらに満鉄の社員住宅の建設によって莫大な利益をあげて、満鉄太郎といわれた。
満鉄(南満州鉄道株式会社)は鉄道を経営して石炭・大豆などの独占輸送で利益をあげる一方、撫順炭鉱・鞍安製鉄所なども経営するコンツェルンとして、日本の財閥・官僚・政商の大きな利権になっていた。日中の中国侵略は満鉄の権益拡大が一つの目的であった。
満鉄は戦後、日本の保守政界の最大の金脈・人脈になった。山下太郎はそれを利用し、インドネシアの石油開発のための日本石油株式会社を設立した(1956年)。
スエズ戦争後、中東では民族主義運動が盛んになった。サウジアラビア王族は、米メジャー系のアラムコが安く独占していた石油開発の利権を、日本の政商山下太郎に高く売る意図で、石油利権情報を流した。山下太郎は、国内の原油需要の増大を見通し、インドネシアの石油開発を放棄し、サウジ王族の誘いに乗った。アラビア太郎といわれた。
アラビア石油
1957年、山下太郎はペルシャ湾とその周辺の油田開発のため、サウジ王族と直接交渉して、ペルシャ湾の中立地帯における開発利権を得た。それまではメジャーと産油国の利益は50%ずつの折半であったが、山下太郎は取り分を44%に引き下げた。また、石油採掘利権の期限を44年間とし、毎日300万円をサウジアラビアとクウェートに支払うことにした。サウジ側には破格の好条件であった。
しかし、アラビア石油には大きな負担であった。山下太郎は、油田開発の費用負担と輸入原油の需要先確保のため、鉄鋼・電力の各社の出資金合計35億円でアラビア石油株式会社を設立した(1958年)。満鉄時代の人脈をフルに利用して、アラビア石油の役員には経団連会長の石坂泰三をはじめ財界首脳をかつぎだした。社長は山下太郎であった。
1960年1月31日、ペルシャ湾の海底油田第1号の試掘に成功し、カフジ油田と名づけられた。さらに海底油田の開発が進められた。1970年には日本の輸入総量の10%を、アラビア石油が占めるまでになった。
アラビア石油の採掘権失効
2000年2月28日、アラビア石油がサウジアラビアから得ていた石油採掘権益は、契約期限切れで失効した。延長の条件として、サウジアラビアは国内に全長1400kmの鉱山鉄道の建設を持ち出した。
アラビア石油は、鉄道建設資金2000億円とその後の運営資金を負担できないため、サウジの条件を拒否して、採掘権が失効させたのであった。山下太郎が契約時点で、サウジ王族の言いなりの条件で、採掘権を獲得したことが問題の発端であった。2000年の契約拒否にはアラビア石油に対し、メジャーから強い圧力があった。
http://www15.ocn.ne.jp/~aoisora5/