水俣病の現在

2006年はチッソ付属病院から水俣保健所に「奇病」発見の公式通知から50年。水俣病公式確認から50年です。

水俣病認定審査会、再開

2007年01月26日 | 水俣病
水俣病患者を医学的に認定する水俣病審査会が、2007年4月をメドに再開される。
県単位の審査会であり、熊本、鹿児島、新潟の3県にそれぞれ、医療関係者を委員とする水俣病審査会があり、1974年から患者病患者の申請により、診察認定の業務をしてきた。

1977年(昭和52年)の環境庁通知以降、水俣病審査会では水俣病患者の申請をほとんど全部棄却してきた。52年認定基準は、患者切り捨ての、政府とチッソの姿勢がそのまま反映されたものであった。
水俣病患者は司法の場において患者認定を求め、ほとんどの裁判で患者が勝訴して、水俣病審査会は有名無実の存在となった。
 
*52年基準の詳細はこちら
*認定審査会の認定棄却のグラフと説明はこちら


さらに2004年の関西水俣病認定の最高裁判決で、政府の52年基準は水俣病の実状を反映していない、として、水俣病審査会を批判した。最高裁は、水俣病の典型的症状一つだけでも水俣病と判断できる、とした。

水俣病審査会は、52年基準と04年の最高裁判決の二重基準のいずれを選ぶか判断できず、熊本、鹿児島、新潟いずれの県でも、認定審査会の委員が辞任した。審査会による水俣病の認定は中断された。
一方、患者は裁判に救済を求めるようになったものの、裁判の長期化と患者の老齢化のため、すべての患者が裁判に救済を求めることはできなった。

多くの未認定患者は各県の水俣病審査会に期待したが、認定審査会が52年基準によれば救済されることは不可能である。04年の最高裁判例を基準とすれば認定される見込みが強い。


熊本県
熊本県では3000人が認定申請をしている。熊本県知事は52年基準(政府基準)にもとづくことを確認して、認定審査会の委員を選出した。2007年4月から認定審査会を開始する予定である。52年基準による認定で棄却された患者の再申請者が大半であり、申請者の大部分は棄却されると見られる。

鹿児島県
鹿児島県の場合は、二重基準を批判する元認定委員が再任を拒否している。認定審査会の再開の見通しは立っていない。


新潟県
新潟県では阿賀野川河口の漁業者など33人が認定申請をしている。新潟県の泉田知事が、04年の最高裁判決による認定審査を許容したため、新潟水俣病認定審査会が早期に再開され、大部分が認定される見込みである。しかし環境省による圧力で最終的にはどのようになるか、分からない。

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政府(環境省)の立場
毎年50億円のカネを、加害企業チッソに代わり、認定患者の医療・生活費などにつぎ込んでいる。これ以上、水俣病認定患者が増えると、政府の財政負担は増える一方であり、認定患者を増やさない方針である。

第一の方法。
各県の認定審査会の審査を52年基準で行い、患者を水俣病と認定しない。

第二の方法。
政府の将来見通しを曖昧にしておいて、認定を引き延ばし、高齢化した患者の自然減少を待つ。

第三の方法
裁判で水俣病の認定を受ける患者をなくすため、訴訟を取り下げさせる。そのためには、訴訟取り下げを条件に、いくらかの慰謝料を広範囲に支給する。この方法は、村山政権で実施した。
再度、この一時金方式を実施し、水俣病の最終幕引きを政府自民党だけでなく、民主党も検討中である。