水俣病の現在

2006年はチッソ付属病院から水俣保健所に「奇病」発見の公式通知から50年。水俣病公式確認から50年です。

政府の、水俣病患者放置政策は、人権侵害

2007年02月23日 | 水俣病
政府は1977年(昭和52年)水俣病認定基準をタテに、水俣病の公式認定を実質的に拒否している。最高裁は2004年に、この認定基準は水俣病を反映していないとして、政府の姿勢を批判した。しかし、それでも政府(環境省)は患者の高齢化による自然減少を待つ姿勢を崩していない。
九州弁護士連合会はこのような政府の姿勢は、人権侵害にあたるとして、熊本県・政府(環境省)、チッソ(加害企業)に、警告書を提出した。
政府と熊本県知事は、この警告書を黙殺し、水俣病患者の自然消滅を待つため、調査・調査の時間稼ぎをしている。
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九州弁護士会連合会は2007年2月23日、水俣病未認定患者の救済を放置しているのは人権侵害に当たるとして、熊本県に対応を求める警告書を提出した。23日の午後には原因企業チッソと環境省に、26日には鹿児島県にも警告書を提出する予定である。
警告書は、被害者救済の新基準策定や、認定業務の再開を求めている。
熊本県の認定審査会は2004年10月の関西訴訟最高裁判決で患者側の勝訴が確定して以降、委員の再任拒否で休止状態である。熊本県知事は1月、現行政府認定基準(55年基準)を維持したまま審査会を再開する方針を明らかにしているが、これでは患者の大半は、認定を棄却される。
九弁連理事の三角恒弁護士は2月23日、熊本県庁の水俣病対策課を訪れ、谷崎淳一課長に「警告書に従い、未認定患者を救済するシステムの構築に努めてほしい」と警告書を手渡した。
谷崎課長は「最高裁判決後、できるだけ努力をしてきたが、今後とも国やチッソと協力しながら問題解決を進めたい」と述べたが、このことは、水俣病の認定基準は変更しないということであり、水俣病患者に対しては冷酷な姿勢である。
(西日本新聞。2007.2.23)

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政府は2004年の最高裁判決さえも無視している。弁護士グループが、政府の非人間的姿勢に怒りの声をあげても、政府の姿勢は変わらないであろう。水俣病の認定を受けない限り、水俣病患者は、救済されない。
この水俣病患者切り捨ての昭和55年基準を作成した時の環境庁長官は、現在東京都知事の石原慎太郎である。石原慎太郎が東京都知事として、国政へも影響力を保持しているうちは、環境省は口先ではうまいことを言っても、患者の救済に動くことはない。


茂道で1954年には水俣病発生の兆候

2007年02月22日 | 水俣病
水俣市茂道は小さな漁業集落だが、ここでネコ、ネズミの異常が報じられた。昭和29年8月1日、最初の水俣病報道である。
なお、現在の茂道集落については、こちらを参照
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茂道は120戸の漁村だが、不思議なことに6月初めごろから急にネコ猫が狂い死し始めた。ではネコテンカンといった。
100匹以上のネコが全滅し、ネズミが急増した。ネズミは大威張りで中を荒らし回り、被害は増大した。あわてたの人々は、各方面からネコをもらってきたが、これまた気が狂ったようにキリキリ舞して死んでしまうので、ついに水俣市へ泣きついてきた。

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水俣病公式確認に至る2年前の記事である。これが「水俣病の兆候」を初めて伝える報道だった。
水俣市にネズミ駆除を申し込んだ漁師は、当時33歳だった石本寅重さん。地区を代表しての行動だった。
実は、この記事が出る以前から、水俣湾周辺の漁村部では生き物の異常な行動が目につくようになっていた。タチウオやチヌなどの魚がプカプカと浮き、海辺に暮らす鳥たちは飛べなくなった。異変は、やがて人間に及ぶ。
第一通報者の石本さんは、その後、魚が売れなくなったことで漁師の仕事をあきらめ、チッソによる漁業補償の一環として同社に雇用された。退社後は夫婦ともに患者として認定され、2004年に83歳で亡くなった。
「被害多発地域の中で社員になるという形でチッソ側についたわけだから、漁協も除名になり、白い目で見られた」と遺族。しかし、石本さんは、チッソ入りの決断を後悔するそぶりは全く見せなかったという。
(熊本日日新聞。2007.2.16)

水俣病不知火患者会認定訴訟

2007年02月05日 | 水俣病
水俣湾沿岸の水俣病被害者1万人のうち、3千人は、昭和52年の政府認定基準通知前に、水俣病と公式認定され、チッソから金銭的補償を受けることができた。
不知火海沿岸2万人の水俣病患者は、52年基準の認定審査となって、ほとんど全部の患者が、認定を棄却された。このため、不知火海沿岸の水俣病患者は、チッソと、チッソの不法行為を放置した熊本県・政府の行政責任を追及、国家賠償訴訟に踏み切った。
熊本地裁で始まった裁判では、国(被告)側は、水俣病を立証できない不知火海の患者は、国家賠償を請求できないと主張した。
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水俣病不知火患者会の未認定患者1,150人が、国と県、原因企業のチッソの3者に1人あたり850万円の損害賠償を求めている訴訟の口頭弁論が、2007年2月2日、熊本地裁で開かれた。
水俣病患者会側は、第1陣原告50人が水俣病であることは、診断基準を統一して作成した「共通診断書」の提出などで立証されたと主張した。これに対して、県・国側は「診断書では不十分」と反論した。
熊本地裁亀川裁判長は
「被告は診断書では不十分というが、何が足りないのか具体的に反論してはどうか」
と指摘した。次回4月27日の弁論で、県・国(被告)側が、50人の各原告について、より詳しく主張する見込みとなった。
(毎日新聞 2007.2.3)

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熊本県・政府側は被告である。裁判で負けると、賠償金の支払いに応じなくてはならない。さらに、裁判が水俣病患者としての認定まで踏み込んで判断すると、一時金・年金・医療費の負担まで加わってしまう。
チッソには金銭的支払い能力がないため、熊本県・政府の支払いが増加する。このため、裁判の引き延ばしを図り、高齢者の水俣病患者の自然死を待つ手段を選んでいる。