水俣病の現在

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ワシントンで日米安全保障条約に調印。

1960年01月19日 | 1960年
新安保条約
1951年9月8日調印の旧安保は「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」である。1960年1月19日調印の新安保の正式名称は「日本とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」である。
旧安保には、米軍が日本を防衛する義務がなく、日本で内乱があった場合には米軍の出動する条項があった。また、条約を終了させるには米側の承認が必要であった。日本に不利な片務的条約であったが、旧安保は本質的には日本の基地提供協定であった。
新安保では、片務性は多少は緩和されたものの、明らかな日米反共軍事同盟への変質であった。日本は米軍の極東戦略における前線基地として重要になった。このことはベトナム戦争において実証された。
新安保の特徴は、 
・日米軍事同盟であり、日米ともに日本の防衛責任を負う。
・極東の安全について、日米が事前にあるいは臨時に協議する。
・有効期限を10年間とし、事前通告によって一方的に条約を終了できる。
しかし、新安保にはいくつかの重大な問題があった。
・在日米軍が攻撃を受けた場合、日米にも共同防衛責任がある。
・極東の範囲が不明確であり、米軍の紛争に日本が巻き込まれる恐れがある。
・事前協議の発議は米側にある。


アメリカの危機感
ソ連は人工衛星スプートニクの打ち上げに成功(1957年)して、軍事的に優位に立っていることを示した。アメリカはソ連との平和共存政策を進めながらも、アジアへの共産主義拡大を警戒をした。朝鮮半島・台湾海峡・インドシナ半島の軍事的緊張が続き、日本への軍事的脅威は存在した。
日本が自国の安全のため、軍事的に重要な位置にあるのも事実であった。日本が、米軍の出撃基地としても、米軍の後方支援基地としても重要なのは、米軍の軍事活動が日本の安全のためだからであった。米国が日本の申し出に応じて、安保条約を改定したのは、日本の安全のためであった。


新安保条約の調印
日米安保条約は1960年1月19日にワシントンのホワイトハウスで調印された。日本からは岸信介首席全権・藤山愛一郎外相・石井光次郎自民党総務会長・朝海浩一郎中米大使・足立正日本商工会議所会頭の5全権が署名した。
米国からはハーター国務長官・マッカーサー駐日大使・パーソンズ国務次官補の3全権が署名した。アイゼンハワー大統領が署名に立ち会った。
日本は新安保を対米従属の軍事同盟強化と考えず、在日米軍や自衛隊への軍需産業の再興をねらっていた。日本側全権に、商工会議所会頭が含まれていたのは、日本が新安保をアメリカとの協力による経済発展の機会と認識していたからである。

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1960年日米安保(全文)

1960年01月19日 | 1960年
日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約


前文
日本国及びアメリカ合衆国は、両国の間に存在する平和及び友好の関係を強化し、並びに民主主義の諸原則、個人の自由及び法の支配を擁護することを希望し、また、両国の間の一層緊密な経済的協力を促進し、並びにそれぞれの国における経済的安定及び福祉の条件を助長することを希望し、国際連合憲章の目的及び原則に対する信念並びにすべての国民及びすべての政府とともに平和のうちに生きようとする願望を再確認し、両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、両国が極東における国際の平和及び安全の維持に共通の関心を有することを考慮し、相互協力及び安全保障条約を締結することを決意し、よって次のとおり協定する。


第1条
締約国は、国際連合憲章に定めるところに従い、それぞれが関係することのある国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決し、並びにそれぞれの国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むことを約束する。
締約国は、他の平和愛好国と協同して、国際の平和及び安全を維持する国際連合の任務が一層効果的に遂行されるように国際連合を強化することに努力する。


第2条
締約国は、その自由な諸制度を強化することにより、これらの制度の基礎をなす原則の理解を促進することにより、並びに安定及び福祉の条件を助長することによって、平和的かつ友好的な国際関係の一層の発展に貢献する。
締約国は、その国際経済政策におけるくい違いを除くことに努め、また、同盟国の経済的協力を促進する。


第3条
締約国は、個別的に及び相互に協力して、継続的かつ効果的な自助及び相互援助により、武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として、維持発展させる。


第4条
締約国は、この条約の実施に関して随時協議し、また、日本国の安全又は極東における国際の平和及び安全に対する脅威が生じたときはいつでも、いずれか一方の締約国の要請により協議する。


第5条
各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続きに従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する。 
前記の武力攻撃及びその結果として執ったすべての措置は、国際連合憲章第51条の規定に従って直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執ったときは、終止しなければならない。


第6条
日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍、及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。
前記の施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は、1952年2月28日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第3条に基づく行政協定(改正を含む)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。


第7条
この条約は、国際連合憲章に基づく締約国の権利及び義務又は国際の平和及び安全を維持する国際連合の責任に対しては、どのような影響を及ぼすものではなく、また、及ぼすものと解釈してはならない。


第8条
この条約は、日本国及びアメリカ合衆国により各自の憲法上の手続きに従って批准されなければならない。この条約は、両国が東京で批准書を交換した日に効力を生じる。


第9条
1951年9月8日にサン・ワシントン市で署名された日本国とアメリカ合衆国の間の安全保障条約は、この条約の効力発生の時に効力を失う。


第10条
この条約は、日本区域における国際の平和及び安全の維持のため十分な定めをする国際連合の措置が効力を生じたと日本国政府及びアメリカ合衆国政府が認める時まで効力を有する。
もっとも、この条約が10年間効力を存続した後は、いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行われた後1年で終了する。


以上の証拠として、下名の全権委員は、この条約に署名した。
1960年1月19日にワシントンで、ひとしく正文である日本語及び英語により本書2通を作成した。

日本国のために
  岸信介
  藤山愛一郎
  石井光次郎
  足立 正
  朝海浩一郎

アメリカ合衆国のために
  クリスチャン・A・ハーター
  ダグラス・マッカーサー2世
  J・グレイアム・パースンズ 

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