水俣病の現在

2006年はチッソ付属病院から水俣保健所に「奇病」発見の公式通知から50年。水俣病公式確認から50年です。

盤若谷と揖斐川。

2005年11月29日 | 水資源
盤若谷(はんにゃたに)
白黒写真(1954年撮影)のハシゴのような河川は、岐阜・三重県境を流れる盤若谷である。養老山地山麓と濃尾平野の傾斜地に扇状地をつくっている。
「盤若川」ではなく「盤若谷」と言うのは、ふだん、水が表面を流れないからである。流水のほとんどが地下水となり、扇端の揖斐川中で湧き出る。
写真の手前は、右から左に流れる揖斐川である。盤若谷は扇状地をつくり、扇端の湧水は揖斐川の中に流れ込んでいる。
まっすぐに石段のようになっている部分が、盤若谷の人工的流路である。その周辺斜面が、盤若谷扇状地の扇央部分である。
人工的直線流路が建設される前、盤若谷は扇央では伏流し、水は地表面を流れないが、しかし、大雨の時には流路を変えながら扇央一体に洪水を起こす危険な川であった。盤若谷の洪水で運ばれる砂礫が揖斐川の川底を上げて、濃尾平野に洪水を起こす危険があった。
江戸時代から何度も改修を続け、明治24年に来日した治水専門家デレーケ(オランダ)が、石積みの堰をつくった。これが現在の直線階段状の流路である。
一般に扇状地では扇端で湧き水が見られ、扇端集落が立地する。しかし、盤若谷扇状地には扇端集落がない。扇端の湧水地帯は、揖斐川の川底にあるためである。
揖斐川に沿う小集落は、湧水地帯に立地した扇端集落ではない。揖斐川に沿う街道筋にできた街村である。




現在の盤若谷
盤若谷にデレーケが築いた石積みの堰は、現在も残っている。ふだんは生活排水がわずかに流れ込んでいるだけである。年1、2回の大雨の時には地表面を水が流れるが、堰によって流速がおさえられ、下流への砂礫運搬が減る。盤若谷流域の洪水の危険性が少なくなったし、揖斐川への砂礫の流出を防ぐことができた。
高さ1mの堰が階段のように何段も並び、盤若谷の流速を減らしている。もし、左右岸の堤防が破れても大きな被害にはならない。流速が低下し、養老山脈からの巨岩が流れることがなくなったからである。盤若谷が、下流域に大被害をもたらす水害がなくなった。
盤若谷の最下部は、ドレーケの改修事業以前に、洪水が砂礫を堆積したため、天井川になった。近鉄養老線のトンネルの上を、盤若谷が流れている。


盤若谷の扇頂



盤若谷の扇央


盤若谷の扇端(天井川)
盤若谷の扇端は揖斐川につながる。そこを近鉄養老線が通る。扇端は砂礫の堆積と堤防建設のため、天井川になっていて、周囲より高い。大雨になると、トンネルの上を、左から右に、盤若谷を洪水が流れ、揖斐川に合流する。




アマゾン川が「断流」。

2005年11月04日 | 水資源
ブラジル内陸のアクレ州とアマゾナス州では、2005年7月から干ばつが続いて、アマゾン川を流れる水がなくなった。淡水魚の多くは死んでしまった。多くの集落はアマゾン川の舟輸送に頼っているが、その輸送手段が断たれて20万人が孤立し、ヘリコプターによる物資輸送が続いている。

北大西洋の海面水温が上昇したため、熱帯にスコールをもたらす熱帯収束帯(ITCZ)が北に片寄ったことが原因と考えられる。これまでよりも熱赤道が北にかたよったため、大型ハリケーンのカトリーナやウィルマがアメリカ合衆国に大きな被害を与えた。今年一年限りの現象ではなく、今後も頻繁に起こる可能性がある。



アマゾンの干ばつの直接原因がITCZの北上であったにしても、その根本原因がアマゾンの大規模な森林破壊にあると考えられる。
熱帯雨林が、アマゾンに十分な湿度と降雨量をもたらしてきた。しかし、熱帯雨林が失われると降水量も減り、さらに熱帯雨林が減る。この悪循環は30%の森林破壊によって始まると考えられている。アマゾンに干ばつをもたらすエルニーニョ、森林火災、気候変動もあり、現在のペースで森林破壊が進むことは危険である。

ただし、アマゾン川の渇水はこれまでもしばしばくりかえされ、驚くほどの異常気象ではない、とする楽観論もある。これまでは干ばつ被害者の声がブラジル政府まで届かなかったから、干ばつがくりかえされたことを知らなかっただけ、という見方もある。