水俣病の現在

2006年はチッソ付属病院から水俣保健所に「奇病」発見の公式通知から50年。水俣病公式確認から50年です。

水道事業民営化

2005年08月28日 | 水資源
フィリピンのマニラ首都圏では、1997年に水道事業が民営化された。フランスの水道事業多国籍企業オンディオ社に委託された。世界銀行が水道事業への融資条件として民営化を条件としていたからである。
民営化すれば、フィリピン政府は財政支出をせずに水道の普及をはかることができ、また、水道の利用者が増加すればオンディオ社の収入が増えた。世界銀行への債務支払いには水道料金の増収分をあてる予定であった。さらに、下水道建設資金にもあてることができる計算であった。

オンディオ社の水道事業拡張計画は最初からつまづいた。スラム街に網の目のように水道管を引くコストが高かった。水道管を引いても、誰が水を買ったのかが不明であった。勝手に水道管を掘り起こして水を引く者、蛇口からホースで水を引く者も多かった。水道管がのび、水の供給量が増えても、水道料金の増収にはならなかった。水道料金メーターをつけない貧民層は料金が定額であったが、ここから多くの貧民が水を引いた。
オンディオ社の水道料金徴収率は44%から32%に下がった。水道水をただで入手できる方法を、マニラ市民は次々と考え出したのであった。

オンディオ社は水道事業立て直しのために、5000人の水道局職員を半分に減らした。民営化開始時の約束を破り、オンディオ社は、水道料金を4倍に引き上げた。しかし、これで水道料金の不払い者がさらに増加した。

オンディオ社の水道料金の4倍の値上げは、民営化の約束を破ったことになった。水道料金の不払いが増え、オンディオ社の増収にはならなかった。そのため、オンディオ社はマニラの水道事業から撤退することを決めた。民営化の結果として、マニラでは水道料金の値上げだけが残った。


先進国の多国籍企業が発展途上国の水道事業を支配することについては、次を参照。
http://blog.goo.ne.jp/morinoizumi20/e/ae067a9e3fbdc651bfc565efe8fe69b0

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