水俣病の現在

2006年はチッソ付属病院から水俣保健所に「奇病」発見の公式通知から50年。水俣病公式確認から50年です。

百間排水口(水俣湾)

2006年08月11日 | 水俣病
現在、チッソ水俣工場からは、水俣病原因物質メチル水銀は排出されていない。家庭からの生活排水の方が、百間水路を汚している。その百間水路の排水は、水俣湾の干満に合わせ、百間ポンプ場で行われている。



百間ポンプ場から水俣湾に流れる百間水路である。もっと広い水路であったが、左側が埋め立てられて、水俣湾のわずかな残り部分が残っている。
1958年まではメチル水銀を含むヘドロが流れていて、水俣湾岸に水俣病患者が発症する原因となった。
現在は干潮時には無害無毒化されたチッソの排水と、水俣市民の生活汚水が流れる。満潮時には海水が逆流する。水路の幅は埋め立てにより半減した。写真水路の左側が埋め立てられて竹林になった。




竹林公園は水俣湾の最奥部の埋立地につくられた。国内150種、海外160種の竹を植えている。竹林公園の外側を水路と化した水俣湾が、百間水路の水を運んでいく。
竹林公園には適度に無人休憩所があり、ゆっくり散策できる。
さて、内外310種のタケノコを誰が食べるのだろうか。竹林公園とエコパークの間には土産物屋と食堂があるが、半官半民の店は「武士の商法」丸出しで、当然、開店休業状態である。世界のタケノコ料理の冷凍パックを売ったり、世界のタケノコ料理を食べさせたりするような工夫をすれば、少しは儲けが増えると思うが。





水俣湾の埋立残り部分の海水が満潮時にポンプ場まで到達し、百間排水口からの排水を運ぶ。その出口である。かつての水俣漁港の一部、埋立の残り部分である。



かつての水俣港はほとんど消滅し、2、3の船舶の休息場の趣である。不知火海を縦横に走るフェリーや、海外からの貨物船は、南の月浦につくられた新しい水俣港に移った。
プール状態の旧水俣港は、荷役施設も補給設備もない。百間排水路のために、わずかに残された海水面である。
魚がよく釣れる。もちろんメチル水銀の汚染もない。



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1 コメント

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Unknown (hydrochloquin)
2021-07-08 17:16:45
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