チッソは水俣市南部の百間排水口(水俣湾)からの工場排水が、水俣湾の汚染の原因になるため、百間排水路へのメチル水銀など工場廃液の排出を中止した。
代わりに北の水俣川河口低地を産業廃棄物で埋め立て、メチル水銀を含む排水を埋立地の八幡プールで沈澱処理し、水俣川河口(不知火海)に排水した(1958~1968年)。
1958年までは、水俣湾を漁場とする月浦、湯堂、茂道などの漁民が高濃度のメチル水銀に汚染された魚介類を大量に漁獲し、家族ともども毎日食べて水俣病にかかってしまった。水俣湾の魚介類を、ほぼ毎日食べる人数は漁民家族を含め、2000人~3000人であった。そのほとんどが水俣病罹患者である。
1958年に新たに八幡プールから水俣川河口(不知火海)に沈殿処理した排水が流され、その中に高濃度のメチル水銀が大量に含まれていた。広い不知火海の魚介類がたちまちメチル水銀に汚染した。
不知火沿岸漁民に水俣病が大量発生するようになった。メチル汚染魚介類を長年食べていたのではないから、症状は比較的軽いが、患者数が2万人とも5万人ともいわれた。水俣病の症状は、他の老人病との区別が難しく、水俣病の認定審査を通りにくく、不知火海沿岸漁民が集団で、裁判による認定に持ち込むケースが多くなった。
チッソは不知火海全域への被害の拡大に驚き、1968年、アセトアルデヒドの生産を中止、工場内の水銀の使用を一切やめた。しかし、すでに被害は水俣湾から不知火海全体に広がっていた。排水路を変更したチッソの大きな過失は明らかであった。
監督の立場にあった熊本県、厚生省の行政責任もあった。
八幡プールに貯えられる工場排水(沈澱処理後、水俣川河口に放流)。メチル水銀は1958~68年まで放出し、水俣病を拡大した。現在は八幡プールは一応は安全な産業廃棄物で埋め立てられている、安定型埋立地である。
現在の水俣川河口。河口の向こうは御所浦島。水俣川河口に排出されたメチル水銀が、漂着する地点にある島である。御所浦島では1400人が水俣病患者としての認定申請をしているが、正式に認定されたのは50人である。全員を認定すると、経済的にチッソ、熊本県、環境省が苦しい立場に追いやられることを配慮して、認定基準を厳しく設定している。
河口の左側が八幡プールである。チッソからの廃棄物で現在も不知火海側が埋め立てが進められている。その埋立地の一部を、水俣市が買い上げゴミ焼却工場を建設した。
代わりに北の水俣川河口低地を産業廃棄物で埋め立て、メチル水銀を含む排水を埋立地の八幡プールで沈澱処理し、水俣川河口(不知火海)に排水した(1958~1968年)。
1958年までは、水俣湾を漁場とする月浦、湯堂、茂道などの漁民が高濃度のメチル水銀に汚染された魚介類を大量に漁獲し、家族ともども毎日食べて水俣病にかかってしまった。水俣湾の魚介類を、ほぼ毎日食べる人数は漁民家族を含め、2000人~3000人であった。そのほとんどが水俣病罹患者である。
1958年に新たに八幡プールから水俣川河口(不知火海)に沈殿処理した排水が流され、その中に高濃度のメチル水銀が大量に含まれていた。広い不知火海の魚介類がたちまちメチル水銀に汚染した。
不知火沿岸漁民に水俣病が大量発生するようになった。メチル汚染魚介類を長年食べていたのではないから、症状は比較的軽いが、患者数が2万人とも5万人ともいわれた。水俣病の症状は、他の老人病との区別が難しく、水俣病の認定審査を通りにくく、不知火海沿岸漁民が集団で、裁判による認定に持ち込むケースが多くなった。
チッソは不知火海全域への被害の拡大に驚き、1968年、アセトアルデヒドの生産を中止、工場内の水銀の使用を一切やめた。しかし、すでに被害は水俣湾から不知火海全体に広がっていた。排水路を変更したチッソの大きな過失は明らかであった。
監督の立場にあった熊本県、厚生省の行政責任もあった。
八幡プールに貯えられる工場排水(沈澱処理後、水俣川河口に放流)。メチル水銀は1958~68年まで放出し、水俣病を拡大した。現在は八幡プールは一応は安全な産業廃棄物で埋め立てられている、安定型埋立地である。
現在の水俣川河口。河口の向こうは御所浦島。水俣川河口に排出されたメチル水銀が、漂着する地点にある島である。御所浦島では1400人が水俣病患者としての認定申請をしているが、正式に認定されたのは50人である。全員を認定すると、経済的にチッソ、熊本県、環境省が苦しい立場に追いやられることを配慮して、認定基準を厳しく設定している。
河口の左側が八幡プールである。チッソからの廃棄物で現在も不知火海側が埋め立てが進められている。その埋立地の一部を、水俣市が買い上げゴミ焼却工場を建設した。
http://cialisbnb.com/# cheap generic cialis