標記タイトルの特別展に行ってきました。
松本市のホームページを見ますと、
松本市は、昭和61(1986)年に「平和都市」を宣言し、以後、平和祈念式典をはじめとした多彩な平和事業に取り組んできました。松本市立博物館では、松本市平和都市宣言30周年記念事業として、博物館が開館以来110年間にわたって収集してきた戦争関係資料と、松本市の平和への取り組みを紹介します。
また、重要文化財旧開智学校校舎・窪田空穂記念館・松本市歴史の里では、戦争と平和を考える特別展示を実施します。
会期:平成28年8月6日(土曜日)から9月25日(日曜日)まで
とあります。
限られた時間の中で足早に見て歩きましたが、2つの展示を紹介させていただきます。
※使用した写真は全て松本市立博物館の担当者より、撮影及びblog等での使用についてご了承をいただいております。
◎『暮らしの手帳』の第96号
NHKの朝の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」のモデルとなった、『暮しの手帖』および出版元である暮しの手帖社の創業者大橋鎭子さんと花森安治さんの『暮らしの手帳』の第96号が展示されていました。
◎第29師団の歩兵第50連隊に関する展示
以下は歩兵第50連隊に関する絵葉書です。
以下水色の文字の部分は松本市広報平成28年9月号より引用させていただきました。
歩兵第五十連隊が組織されたのは、日露戦争中の明治38年(1905)のことです。
連隊とは、軍隊の戦闘単位のことで、師団・旅団に次ぐものです。
連隊は、大隊・中隊に編成されていました。
師団の定員は、平時は約1万人、戦時は2万人を超えていました。
隊は、約1700人の 定員を基本としていました。
松本町が土地や負担金を提供し、旭町に歩兵第五十 連隊の兵営が決定したのは、明治40年のことです。
これより以前に二度、松本への兵営の誘致運動を行っていましたが、どちらも実現には至りませんでした。
そこで、当時の小里頼永町長らが誘致に奔走し、政府に対して陳情などを行った結果、ついに兵営が実現したのです。
兵営の決定は、新聞をにぎわせ、翌41年に五十連隊が松本に入ったときには、市民から大きな歓迎を受けました。
松本市は「軍都」として発展していくこととなりました。
ここで厳しい教育と訓練を受けた兵隊たちは、シベリア、満州、中国、太平洋など、国内外の戦地へと赴いていきました。
現在の信州大学旭町キャンパスの敷地は、旧陸軍歩兵第五十連隊の駐屯地が置かれた場所です。
食糧などを保管した糧秣庫(赤レンガ倉庫)が、今も残っています。
※信州大学旭町キャンパス内の旧松本歩兵第五十連隊糧秣庫(きゅうまつもとほへいだいごじゅうれんたいりょうまつこ)