もじもじ猫日記

好きなこといっぱいと、ありふれない日常

「川っぺりムコリッタ」

2022-09-30 23:17:16 | 映画
2022.9.27

ムコリッタとは仏教用語で、時間の単位を表すそう。
1昼夜は30牟呼栗多、「しばらく」「少しの間」「瞬時」の意味を持つそうです。
仏教の数字の単位は大きいものは聞いたことがあったけれど
(たとえば「那由多」。極めて大きな数量という意味)
小さい単位を気にしたことはなかったな。

荻上監督は「生と死の間にある時間を、ムコリッタという仏教の時間の単位に当てはめてみた。」そうだ

山田は出所してきたばかりで帰る場所がない。
そういう人を受け入れているらしい塩辛工場で働くこととなり
社長の紹介で古い平屋のアパートにも住めることになった。
その名が『ハイツムコリッタ』
部屋に生活用品が揃っているところから
山田の前にも山田のような人が住んだことあるのだろう。
誰が飼っているのかヤギもいるハイツムコリッタ。

丁寧にお米を研いで水加減をして、炊くご飯。
お湯をあふれさせながら入る一人だけの風呂とそのあとに飲む牛乳。
その二つだけが山田を生きさせているみたいだ。
そこに突然侵入してくる隣人、島田。
風呂に入れてくれ給湯器壊れてるんだ今入ってただろここ壁が薄いから聞こえるんだよ風呂に入れてくれ。
何者だ?
髪を短くして天パのくるくるがないだけで随分と印象の違うムロさんが
図々しく遠慮が無いのに奇妙な繊細さを持つ島田を演じている。

このアパートの住人たちは家族が欠けた人ばかりだ。
はなからいないのではなく、かつては家族がいた気配。
黒いスーツで墓石の戸別セールスをしている溝口とその子供。
(この子供、子役っぽさが全くなくて良い)
大家さんは旦那さんを病気で亡くして娘と二人暮らし。
島田がぽろりとこぼした言葉に子供の影があり
山田は縁の切れてた父親の死を役所から手紙で知らされる。
あと、
山田の出会った隣部屋に住んでいた幽霊も一人だったみたい。

孤独死した父親についての連絡がくるくだりでは
『そうそう。役所って戸籍調べて探し当ててきやがるのさ』
面倒な身内がいるので心の声が悪態になっていた、ははは。

父親の遺骨を引き取りに行ったことにより山田の心が嵐になる。
自分を捨てた父と母
その後の辛い人生と自分が犯した罪の記憶
解らない父の最後の気持ち
自分の生きている意味
そこにやってくる本当の嵐。

「ご飯ってね、ひとりで食べるより誰かと食べたほうが美味しいのよ」
山田の部屋に押しかけてご飯まで食べるようになった島田の言葉は
言い訳っぽくもあるが
墓石が売れてこっそりすき焼きをしていた溝口の部屋に皆が押しかけて
狭い部屋の安っぽい鍋で上等な肉を食べる様子は
確かに幸せの風景でした。

それぞれが抱えた人生の重く暗い部分となんとか付き合いながら
ちょっとだけ支えてくれる人と関わりながら
山田は風呂上りに牛乳を飲み
島田は野菜を作り
二人で塩辛とネギの味噌汁だけでご飯を食べて笑う。
ささやかなしあわせで生きて行けるのだ。


荻上監督の映画は「バーバー吉野」からずっと
現実離れしたシーンがぽこっとあるのだけれど
物語と大きく乖離しない不思議。
そしてこのお話は誰も携帯電話を持っていない。

柄本佑演じる役所の職員と工場の社長の緒形直人がいいです。
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