はなしのひろば

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記憶を持たない民族に未来はあるのかということ

2021年02月23日 21時31分27秒 | Weblog
誰にどの民族に向けられた言葉であろうか。政治の世界で繰り返される事実を曲げ批判を躱し政権維持を計る手法に記憶を消し去り忘れてもらうというのがあるがそれを指しているか。

ならば、身近なところで繰り返されているではないか。国民は為政者に歩調を合わせて忘却になれてしまう。現状維持でよい、二流三流の世界ではあるのだが。

否、もっと大きな歴史に刻まれるようなこと。それは国民は忘れるはずはない。民族の歴史として記憶に刻まれるからである。敗戦の記憶。語り継がれる。

ところが、国の指導者が記憶に蓋をするようなこと。社会主義?には似て非なるが目的のために敢えて蓋をするような。民族第一主義的な中華思想。全力集中などと言い他で捨て駒を出す様な(一人は万人の為になっていない)。コロナの原因は国外にあると国を挙げて忘却。コロナ克服の優位性を誇示するような。すでにこの国では孔子を捨てその原動力には武力が政権を生むかの如き毛沢東主義の信奉がある(イデオロギー的価値は失われるとみられるが)。

ただ、良識ある国民で民族であるならば自らに向けられた教訓としてこれを噛み締めなければならないところだろう。


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