はなしのひろば

興味のある話題、健康、積極的に投稿します。

青い目をしたお人形は

2019年06月29日 12時30分24秒 | Weblog
1927年(昭和2年)異国情緒の薫る横浜にアメリカから送られた一万二千体の友情の人形は青い目をしていた。その時歓迎式典で歌われたのが童謡「青い目の人形」。野口雨情、の作詞には童謡に国や民族を超えた普遍的な愛情を込めたいとの意があったという。
 この日米交流のきっかけは大正12年の関東大震災でアメリカが被災地支援をしてくれたことからのことという。
人々の友情を深めたいという願いも空しく、太平洋戦争が勃発し、戦況が悪化すると敵国の人形としてほとんどが焼かれたという。
それでも、物置や天井裏に隠された人形がわかっているだけで二百体以上あったという。みつかれば非国民として大変なことになるところ、それでも人形を守った人々の思いが偲ばれます。



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何時か来た丘母さんと

2019年06月08日 11時11分04秒 | Weblog
やさしいメロディー当時珍しかった8分の6拍子の「みかんの花咲く丘」。敗戦後わずか一年後に書かれた。加藤省吾の作詞である。三番の今は亡き母と丘を登って伊東の海を眺めた情景が描かれている。何故か寂しげな曲調。加藤は10歳の時父親が事業に失敗し一家は離散消息の知れなかった母親に再会したのは10年後のこと。慕ってやまない母への思いは戦争で母親と離ればなれになった子供がたくさんいた時代、加藤は彼らの母親への思いも歌に込めたといわれている。


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