つれづれなるまま(小浜正子ブログ)

カリフォルニアから東京に戻り、「カリフォルニアへたれ日記」を改称しました。

混乱の中から

2011-08-13 12:37:02 | 日記
日本語のデジタル書籍を購入・読了した。紀伊国屋Bookwebで購入した古賀茂明『官僚の責任』(PHP研究所新書、2011年7月29日、¥600。紙版は¥756)。紀伊國屋書店のiPad用のアプリKinoppyで読むが、なかなか読みやすい。iPadでのデジタル書籍の扱い方にもいくらか慣れた。
古賀氏はこの間、経産省の改革派官僚として活発な発言をしている人で、別の人の本を探して見つからなかったのでこれを買ったのだが、その官僚批判等に共感し、いろいろ考えるところがあった。
震災後、一般市民の我慢強さ・勤勉さに対して、政治家のリーダーシップの欠如と官僚の不適切な仕事ぶりや無責任さが悲惨なまでに明らかになり、原発事故の処理や復興がなかなか進まない中で、大きな怒りや失望を呼んでいる。古賀氏は、個人としては優秀で当初は志もあった官僚が、現在の霞ヶ関の組織の中では国益よりも省益を重んじるようになっていく構造があるので、ドラスティックな公務員改革を断行して、速やかな復興をはかるべきだ、と説く。
この本で明らかにされている、官僚が天下り先の確保をはじめとする権益の確保・拡大を第一に仕事をする構造-東京電力と経産省の癒着の実態も出てくる-は、前任校で経験した国立大学法人化の際の文部科学省のやり方と非常に通じるものがあって、当時の(今もだが)怒りを思い出しながら、深く納得した(国立大学法人化に際して、文科省は各大学へ責任を下ろしながら監督権限を強化し、また各大学に「参与」(理事だったかしらん)を置かせて多くの天下り先を造り出した)。そして今回の原発事故と震災の処理に当たって、被災者救援や復興のために早急になすべきと思われることがあまり進んでいない一方の理由が(もう一方は政治家の的確なリーダーシップの欠如)、かなり具体的構造的に理解できた。
震災後、未曾有の悲惨さを眼にして、私も自分が何ができるか、考えた。けれど中国史の研究者にできることはあまりなかったので、せめて義捐金を必要なところに迅速に届けてくれそうな組織に送って、予定通り一ヶ月後にアメリカに来た。被災者救援や復興は、しかるべきポジションにいる人が迅速に決定し必要な措置が取られて基本的に適切に進んでいくものだと思っていた。
ところが、これまでの様子を見ていると、若干の混乱や試行錯誤は避けられないにしても、とても必要な措置が可及的速やかに取られているとは思えない。なぜかと考えるに、このような「想定外」の事態に対して、実務レベルでの「しかるべきポジション」は想定されていなかったようだ。それを補うべき臨機応変な対応は、政治のリーダーシップの欠如と、官僚の省益追求体質のために機能せず、混乱の下で、総理の首の据え換えが取りざたされる今日に至っているらしい。
これはもちろん政治と役人に大きな原因があるのだが、そうだからといって「自分は何もできない」だけでもどうしようもないようだ。「歴史教育改革」(8月8日)の記事でも書いたが、こんがらがった状況を一気に解決できる権力のある個人や組織はそう簡単に存在しない。
どうすればいいのか、まだ私にはよくわからない。むしろ何をしないか、何をスクラップして諦めるかを決めていったら、どうすればいいか見えてくるだろうか。