つれづれなるまま(小浜正子ブログ)

カリフォルニアから東京に戻り、「カリフォルニアへたれ日記」を改称しました。

歴史教育改革

2011-08-08 10:54:49 | 日記
日本学術会議史学委員会等による「新しい高校地理・歴史教育の創造-グローバル化に対応した時空間認識の育成」(2011年8月3日)を読んだ。
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-21-t130-2.pdf
大学生の歴史(地理についてはよくわからないので、ごめんなさい)の基礎学力の低下はかねてより大学歴史教員の問題とするところで、それは歴史的視野に立った判断力の不足や他国との相互理解の不足を招き、21世紀のグローバル化の進む世界で日本人が生きる上での大きな問題となっている。必修のはずの世界史が多くの高校で未履修だったことが発覚してもうかなり経つが、問題はむしろ深化している。大学の入試問題と、高校歴史教科書と、高校歴史の授業内容とが、三巴(みつどもえ)状態で縛りあって、それぞれあまりよい状態でなく、高校生にとって歴史(とくに世界史)が魅力的でなくなっていることは、ようやく大学歴史教員の間の共通認識となってきている。
この報告書は、こうした状態を改善する方法を提言すべく、学術会議が3年がかりでまとめたものだ。報告書作成に当たった先生方は、おおむね学識深く誠実で尊敬すべき現在の歴史学界のトップの方たちである。にもかかわらず、率直に言って、この報告書の内容は、いまだ方向性をはっきりと打ち出せておらず、高校歴史教育改善のための有効で具体的な提案とは言い難いと感じた。新科目「歴史基礎」の創設を提言するが、その理念もわかりづらいし、高校の教育体系の中にそれを位置づけることは、提言を書いたメンバーの手に余るようだ。率直に言って、こんがらがった現状の中で、きわめて限られた権限しか持たない学術会議の限界が見えている。
私はこの報告書の作成にかかわっていないが学術会議史学委員会の末席に連なっているので、半ば自己批判としてこの文章を書いている。学術会議の委員会に出ると錚々たる東大の高名な先生方が勢揃いしておられて、このメンバーで「えいっ」と決めれば歴史教育の改革ができないわけはないだろう、と思うのだが、現実はそんなに簡単ではない。ある尊敬する先生は「私は東大の中で何の権力もないので(現状を変える力はない)」とおっしゃる。それはたぶん本当だろう。
でも、ここでできないということは、日本のどこでもできないということだ。
こんがらがった(しかも教科の利権とかが絡み付いた)現状の中で、どこか一つで問題を解決・改善できないのが現実。まずはその状況を確認し、次に、ではどうすればよいかを考えよう。
おそらく、新しいあるべき歴史教育を実現するために、それぞれの分野で努力すべきことがあり、またバランスをもった他分野との連携の仕方を考える必要がある。遠くない将来の歴史教育のスクラップ&ビルドの中で、私のなすべきは何だろうか。