歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

愛情がなくなると第6感は働かない

2020-02-26 | その他

以前の会社で社長をしていた。ほんの3年ほどだけだった。

新事務所に引っ越すとメールがやってきて、私物処理のために神保町まで出かけた。

天気予報は外れてばかりいたので傘は持たなかった。

テレビの天気予報士の服のセンスがあまりに悪いので信用していない。

天気の所為ではないけれど、彼に会うのは避けたかった。

先月、別れ際の言葉が胸に引っかかっていて返答しなくてはならない。

どう返事をすれば縁を切ることができるだろうか?

噓をつくのは苦手だし、ましてや喧嘩をする気力もない。

しかし、不思議なもので愛がなくなると想像力は低下してしまうらしい。

鶏の頭脳のように三歩で記憶は遠のくのだ。そして、僕の想像も働かなくなり、

準備していた返答の言葉も永島茂雄の初打席のように豪快に空振りとなった。

まだまだ、未練たらしい言葉を吐かれることを想像していたことが恥ずかしいくらいの気分だ。

 

やっとこ、肩の荷が下りた。

今夜はぐっすり眠れそうだ。

 

 


懐かしさはどこまでも続けられるのだろうか

2020-02-21 | その他
一年ぶりだろうか?彼らと飲むのは・・・
そんなことを考えながら日比谷から人形町までの道を歩いた。
晴海通りを東銀座へ向かい、昭和通りまで出て、日本橋の方向へ歩いた。
昭和通りはあまり好きではないので裏道を歩いた。十数年前とは風景が変わっていて、ドギマギしてしまった。
迷い犬のような気分で永代通りまでたどり着いてスマホの地図を見た。
小雨が降りだして、少し寒かったけれどかまわずに歩いた。
人形町の交差点についたのは午後の6時15分。
約束の時間には十分すぎるな・・・と思いながら僕が指定した店を探しながら路地を歩き回った。5分も経たぬうちに店が見つかってしまった。

彼らに会うのが嫌ではなかった。でも、なんだか気まずかった。
一年という時の流れは人との関係を見直す僕なりの考をまとめる時間だった。
彼らの事、忘れていたわけではない。ただ、恋人の事を思い浮かべるようには思えなかった。
なんとなく、会話が弾みそうになかった。
仮面を被って対峙するにはそれなりの忍耐が必要だと思っていたようだ。
会話が弾むときは決まって自分の話をし続ける僕がいた。
そう、人の話を間延びしたスローバラードのリズムで聞いていられたのに、
最近は8ビートのリズムでしか刻めなくなってしまっていて、相手のリズムにかぶせてしまう自分に気が付いてしまったんだ。
早く言えば、心に2ビートの余裕がなくなってしまったようだ。
間抜けな人の話すことでさえ曖昧な返答ができていた。
会話の決着を早くつけすぎてしまっていたんだろう。

リズムが必要なのだ。会話にだって、なにしたって心地よいリズムってものが・・・必要なのだ。
人類に言葉が生み出される前からコミュニケーションできていたわけだし、ほんとは言葉なんぞ必要ないのかもしれない。
人間関係で大切なことは、たぶんそう言うことなんだろう。
太鼓があれば意思の疎通は充分できていたはずだし、おおざっぱなことの方が人は分かり合えるのかもしれない。






マイナス2C゜の痛みを知っていれば猫の微笑みを見ることができる。

2020-02-07 | 映画
確かに異常な気候なのだと思う。
暖かい日差しと鉛の重さを感じる曇り空を切り返す日々。
太陽のやさしさを思い知るには格好な気候だというしかない。
朝からBLUSのレコードなんか聴いてどうするのだ。落ち込む気分な時には心底落ち込むに限る。
でないと明るい気分の良さを感じなくなってしまうからだ。
「アイリッシュマン」を昨日、観た。
ここの所、2週間ばかりは3日にあげづ映画館へ通っている。
朝、目覚めて映画COMにアクセスして、観る映画を物色。解説は読まない。読むとろくでもない感性が働き下らない映画を観てしまう。
ろくでもない感性は僕の自由を不自由さに変えてしまう。
それは、何処にも行けそうにないと感じてしまう渡り鳥みたいだ。
アメリカという国の歴史を知りたいわけでもないし、特にダークサイドのアメリカの成り立ちを知りたいわけでもない。
マーチン・スコセッシとデ・ニーロの組み合わせが気に入っている訳でもない。
ただ、基本はアメリカが好きなんだ。
シンプルな思考は男らしく見えてしまう。が、大胆な行動をしたあとで気分の高揚と裏腹に自分の行動を悔やみ嘆いてしまう。
この世にこれほど哀しい男はいない。これほど悔やんでいる奴はいない・・・・。
そんな映画ばかりを作っている。しかし、そんな映画を作るアメリカが好きなのだ。

この映画もご多分に漏れず、第二次世界大戦を戦い抜いた者の残りの人生を描いている。
戦争は人間の善良な部分を押し殺し邪悪さを優先させる。
戦いが終わったあとの人生などまるでないかのようだ。しかし、余生はあり続ける。
人を殺したあとの人生がどれだけ悲惨で孤独であり続けるのかを教えてくれる映画だった。
表の社会も裏の社会も同じ。
生き延びるため方法は殺してしまうこと。
銃器は簡単に手に入る社会だから、問題を解決するには単純すぎる方法を誰しもが選択してしまうのだろう。
そして、殺すことの理由は?聞かれれば・・・「家族のため・・・」と即答する。
しかし、この映画は少し違っていた。
「何から守ろうとしたの・・・」
娘から切り返されたフランクは答えが見つからない・・・・。

いつもの常套手段で主人公の死ぬ間際の回想で始まる映画。
年寄りの戯言に耳を貸す勇気すらないアメリカに明日はないのかもしれない。

それは、被害者意識の塊となっている大統領を見れば判る。

建国以来、大いなる勘違いのトンネルを抜ければ、暖かい日差しが待っていることを知っているのだろうか。

眠りに落ちる瞬間に幸福感が訪れるのは、もう死んでもいいということなのだろう。

2020-02-01 | その他
梅雨のような1月が終わった。
朝、7時30分。ベッドから起き上がる。
何もすることがない1日の始まりは15歳になる前の子供のように美しく逞しい。
しばらくの間こんな朝を迎えたことはなかった。
不安という電車は時間どおりにやってきて、その電車に乗り込むことに躊躇はなかった。
いずれにしても自らが選んだ暮らしぶりだったし、他人にせがまれていやいや繰り返した日々ではなかった。
でも、ポケットに詰め込んだままの札束が邪魔だった。

クロスロードはどんな場所にもあって、迷いなくいきたい方向とは逆の方向を選択してきた。
どうしてなのかはいまだにわからない。
ただ、迷う前に体が自らの意思に反して動き始めるのだった。

もう、あれから8年の時が流れた。
僕は相変わらず、誰かのためなのだと自分に言い聞かせて、
この道を歩いてきた。でも、時々はムカついたりしながらも、
周りの人間の微笑みに忠実に正確に
ベテランのタクシー運転手のように柔和な声で返事をしてきた。
だから、許してもらえるのではないかと、綿菓子のように考えている。

自分の気持ちに正直に、誰も気が付かぬ本物の自分らしく
今持っているエネルギーを使い果たそうとしている。

勇気は使わないと消失してしまうのだから・・・・