歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

大人になんかなりたくない・・・そんな気持ちも分からなくはない。

2016-05-30 | 映画

中学生のころ僕はウソをつかなかっただろうか゛・・・・

たぶんいい加減なことを、適当なことを、罪の意識もなく、相手の気持ちなど考えずに、言っていたと思う。

そして、僕の言葉が原因で友達が死ぬなんてこともなかった。

非現実は次の角を曲がったところで待ち受けている。

そんな可能性は“無い”とは言えない。

 

宮部みゆき原作の映画「ソロモンの偽証」を観た。

ちょうどテレビのなんたらシネマて言う番組で放映されていたものを2週にわたって録画した。

映画館で見るべき映画でない様に思っていたから・・・・

 

軽く見てた。

 

少々重かった。でも、いい映画であることは間違いない。

中学生が学校内で起きた事件を自分たちのチカラで裁判の形式でホントのことを知ろうとする物語。

まずはこの設定に驚いた。

あまりにもリアリティに欠けている。

予告編を見るだけだったからそう思えた。

でも、学校も裁判を開かせるしかないような事柄が用意され、

その理由があまりにもリアルすぎたから、すんなりと物語に入って行けた。

生徒役のほとんどをオーディションで選出したからなのか

生徒たちの動きやセリフが不思議な緊迫を観る者に与えていたし

脇役たちのキャストも困り果てたオトナ感がにじみ出たりしてた。

 

ストーリーはシンプル。

生徒の校内自殺。それとも他殺か・・・・?

事件に仕立てられた感を薄々感じながらも主人公の女の子は

自殺した子から言われたキョーレツな一言の呪縛から逃れられない。

「君は偽善者だ・・・」

 

ちょっと違った方向からこの映画は進行していく。

パターン化された映画であれば、自殺した子供の周辺背景をつぶさに見せつけて

彼を自殺に追い込んだものはなんだったのか・・・・そんな描き方が定石なわけだけれど、

違った。

 

あまりにも可愛げのない少年の仕掛けた罠にみんなが振り回される。

「みんなが罪の意識に囲われるだろう。

生きている意味なんてないんだ。

だって、みんな嘘つきだし偽善者なんだし

そんなコトも理解もできないで仲良く暮らしているなんて信じられない。

僕の苦しみ哀しみを解るヤツなんていない。

だから、解らしてやる!」

 これは僕の想像。

 

しかし、中学生たちはそんな仕掛けられた罠にひっかかりはしなかった。

 

「私は偽善者じゃない!」

 

 

そんな言葉を知らしめるために全力を尽くそうとする。

しかし、認めざるを得ない。

なぜなら、彼が指摘した行動をとった現実は変えられないからだ・・・

現実はいつだって正しい。 

裁判に参加する中学生を含めて親も警察官もマスコミも

現実に向き合わなくてはならなくなる。

自分自身と対決しなくてはならなくなる。

対決してもなを生きることを選ばなくてはならなくなる。

それが、生きることの意味なのだろう。

「意味」は与えられるものではないし、授かるものでもない。

自分で作り上げるものなのだ。

 

罪を犯せば・・・

みんなは懺悔し、赦しを乞うことで救われようとする。

罰を受ければすべて楽になる。死ねばすべて忘れられる。

救われたい・・・・つまり楽になりたい。

どんなに辛くても背負いながら生き続けることを選ばない限り

生きる意味など見つけられない。

そんなことを言いたかった・・・・そんな気分にさせられた。

 

 

混沌した状況や、難解な問題にはできるだけ関わりたくない。

メンドクサイからね・・・・。

だから、誰かに考えて欲しい・・・・文句は決して言わないから言われた通りにするから・・・・

そんな思いは…犬に食わせなくてはならなくなってる。

それが、今なんだ。

 

 


雨降りにふさぎ込んだって仕方ないでしょ・・・・

2016-05-27 | 日記

もう、5月も終わるし、いきなり夏がやって来るんじゃないかと怯えている。

別に雨がウットシ~わけじゃない。

しいて言えば好きな方だ。

外に出ないで家に居ることの理由になるからね・・・・。

 

しかし、昔の人は・・・特に江戸時代の社会のシステムはうまく作られていると思う。

江戸時代が好きで、時間を戻せるのだったらこの時代なんて・・・間違っても思わない。

むしろ大嫌いだ。

狡猾に仕組まれた密告を最優先事項とした社会がいいなんて思わないよ。

 

でも、僕が言いたいのは「隠居」なんだ。

ネットで調べたわけじゃないし、そのことについて掘り下げ研究したわけじゃない。

ただ言葉の響きとか・・・・が、

それは、年取ったら自然のうちに水のように流れる生き方もあるんだ。

そんな言葉のような気がするからだ。

 

「隠れて居す」

仕事だってやればできる。女とだってやればできる。

人によって異なるのかもしれない。

でも、やればできる。

 

しかし、敢えてやらない。

できるけれど、敢えてやらない。

後任人に手渡す。

自分の場所を譲る・・・・「公」の世界も「私」の世界でも・・・・

自分を亡くしてしまうときがやがて来るのだ。

そんな認識をココロの片隅に焼き付けながら

いままでとは違う日々を送る。

 

とても静かでつつましい・・・・・・そんな日々。

 

 

しかし、そんなぁ~ことは僕にはとてもムリだ・・・・

でも、憧れる。

 


リテラシーばかりじゃ・・・つまんなくないのかい?

2016-05-21 | 日記

なんだか、平坦な文章ばかり。

読みやすさと、分かりやすさばかりが・・・大きな顔をしてる。

「難解そう~!」それだけで × 。

 

人の心の中、複雑で、嘘も平気でつくし、ごまかしてばかりだけれど、

発した言葉の裏側に本気があったりするもの。

 

率直な言葉の中にだけ真実があるわけではない。

夢うつつ。

夢か現実かよくわからない。

そんな中から、見つけ出すホントを僕は真実だと感じてる。

 

誰もが僕の問いかけに望む答えを返してくれるはずはない。

それでも問つづけたい。

望む答えではなくて、ホントのコトをだ。

 

何を言っているのか、何が言いたいのか・・・・・

いつだって、どんなシーンにだって

そんな「?」がないのは

つまらん人生になりそうな気がするのだ。

 

 


そうだよ、結局は面倒なだけなんだ・・・・

2016-05-20 | 日記

もう、そろそろ春が終わって夏の前にウットシイ梅雨が始まって

雨降りを楽しむ頃になると、

大嫌いな夏なんだ。

 

シャツ1枚で家を出て、夜になって家までのダラダラとした坂を登るころ

ちょっとヒャア!

そんな感じがとても好きなんだ。

 

やっぱり、「汗」が嫌いなんだ。

頬を流れる汗。

べとっとした感じが、僕を不愉快にさせるんだ。

シャツのベトつき感や、肌に粘りつく汗をぬぐうのが面倒なだけかもしれない。

 

ベッドの白いシーツが眩しい朝がいいんだ。

 

でも、僕は汗ッかき。

人の汗、自分の汗ほど嫌いじゃない。

どうしてなんだろう?

それは自分のモノじゃないからだ。

自分のことか好きじゃないからなんだろう。

 

そんなわけで、いつからかベッドシーツが白から黒に変わった。

洗濯するのが面倒だからなんだ。

だからと言って不潔でいられるほど神経は太くはなく、

シーツに皺が寄ってるだけでもイラッとしたりする。

 

何故か寂しくなったりすると

どんな時間帯であろうとベッドで横たわっていたいと思う。

まるで金縛りにあったように、身動きができない。

そんな不自由な状態な時にこそ幸せになってたりするんだ。

 

だれも共感しないだろう。そんなことを選択する。

そんなことを思うときに充実感をえるように

あらゆる事柄から遠のいていこうとしている。

しかし、落ちていく感覚などはない。

 

 

 

 

 


時間はたっぷりある…なんて思わないことだ。

2016-05-09 | 日記
時の流れはあなたの思うほど
ゆっくり、なんて流れないんだ。

瞬く間なんだ。

間違いに気付く時には遅すぎるんだ。

反射神経を磨かない限りヤバいことから

逃れられないしね

身体が勝手に危機を避けられるように

感覚を訓練することだ。

緊張したら、もうそれだけで

お終いなんだ。

とは言うものの行いがたし。

だから瞳を閉じて心耳に頼ろう。


明けな土曜日の夜だってあることを

どこかこころの片隅に置いておこう。