歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

どこかなにかが食違っているんだ・・・・

2015-10-30 | 日記

どうも、しっくりこない。

自分のやってることと想い描いていることがピッタリと来ない。

濡れたパンツを履いているみたいで、

別に下半身がシックリ来ないわけではないが・・・・。

 

現実に流されている。

 

誰かに迎合していた方がスムーズ。

解っているがそうできないことで苛立つ。

誤解を解く、そんな気持ちなどサラサラないから、

余計に相手は苛立つ。

特に、迎合しておいて、途中で方針変更。

 

いいではないか。朝令暮改。

 

しかし、それがたび重なり人生の終焉を迎える。

80%ほど後悔するのだ。

 

信じることの選択肢以外にもいくらでも道はあるはずなのに

考えることを選ばずに過ごすことの見返りは重い。

 

無邪気さが無神経さの評価に代わるとき。

人は何を思うのか?

爛れたような感触がいつまでも心と体に染み付いてしまえば

もう、取り戻せないのだ。

 

 

あまりにも多くのウソを重ねたツケはいずれ精算しなくてはならないんだからね。

 

今夜も大きな月が東の空に、所在なげに浮かぶんだ。

時には僕を責めたりもするし、慰めたりもする。

 

ミスター・スティーブンスンのように

日暮れに涙を流せるのだろうか?

それが、心配なんだ。

 

そんなこんなでも、僕は生きていくのだろう。

大きくてとても、小さなウソをつきながら、

明日も明後日も明々後日も・・・・・。

 

今夜も、月が嗤うだろう。


ホテルで過ごす日々は・・・・

2015-10-19 | 旅行

非日常が心を柔らかくする。

決まりきった直線の日々はカラダを硬直させてしまう。

神戸の定宿。

このホテルの客担当の動きは、なごませてくれる。

僕の客としての扱い方にだ。

 

そう、例えばチェックインの時、すでに2回目ぐらいの宿泊のとき、

フロントへ近づく僕に対して、アクションは起こさない。

いきなり荷物を持とうとやって来る客室担当。

僕としては嫌な気分になる・・・・。

そんな大荷物でもないのに・・・・。これ見よがしに、サービス満点でしょ!なんて声だかに叫んでいるようだ。

大切なものが入っているバッグを誰が他人に委ねたりするものか。

そんな客の気持ちなど想像できぬのだ。

 

彼女は違う。

カウンターに近づく僕をジッと観察している。

声を掛けるタイミングを見極める。

必要がないと判断したらじっと待っている。

 

部屋に案内する時も無駄口はない。

天気の話も、宿泊人数の話も・・・・尋ねれば、最小限の答えは返ってくる。

やがて、部屋の入り口に立ちカードキーを差し込む。

説明はない。2度目だからだ。

常連客だと判断した彼女の態度に僕はどことなく優越感を覚える。

部屋に入る。

 

前回の部屋と変わっていれば説明はするかもしれない。

今回はない。

 

日本旅館のように夕食時間の確認などはない。

当たり前。ここはホテルなのだから・・・・。

 

そう、僕はできるだけ構われたくない。

しかし、少しだけ寂しい気分も味わいたいのだ。

 

彼女の働くホテルが気に入っている。

軽やかに動き回り、周囲を観察しつくし、邪魔にならぬように、自分のサービスが相手に負担にならぬように

気配りをする。

 

そうなんだ。

最高のホスピタリティは客に負担を掛けぬ気配りを言うのだろう。

 


人の想いは全て理解されるわけでははない・・・・・

2015-10-16 | 映画

それを信念と呼んだりする。

 

第二次世界大戦に突入したイギリス軍情報部の暗号解読班を描いた映画「イミテーション・ゲーム」。

第二次世界大戦に参戦したイギリス軍。

ナチスの綿密に計画された戦いぶりに負けっぱなしの状況を打破すべく

ナチの暗号指令を解読する若き数学者の悲劇。

 

簡単に書くとそうなる。

 

シニカルな言動は人を侮辱したりもする。

見下す態度は反感以外の何物も生まない。

しかし、シニカルさは必要。

なぜか?

ひとはいつだって優越性を誇示することで自分の存在を証明しようとするからだ。

それは、認められていない・・・そんなことから来る不安がそうさせている。

それを、時には「生き方が不器用」だと呼んだりするんだ。

 

この若き天才もそうなんだろう。

異質な人間。

社会と協調できずに自分を孤立させることでしか自らの存在を維持できない。

優しい言葉をかけられれば協調が生まれる。

にも関わらずそれを拒否してしまう。

自らを失わないためにはそうするしかない。

 

ひとは誰しも誰かに褒められたい。感謝されたいし、尊敬もされたい。

そんな人間がたどり着くところは・・・・いったいどこなんだろうか?

そんな思いで映画を観つづけた。

 

結論は見てのお楽しみ。

 

世界を救おうが、戦争を終わらせようが、偉業をなしえようが・・・・

自分自身がシアワセと感じられなければ・・・・

 

その人生にどんな意味があると言うのだろう?

 

 

 


旅をするのは癒されたいからじゃない・・・・・

2015-10-05 | 旅行

最近は、好きな女に告白する時に、

「愛してる」とは言わないらしい。

「愛させてほしい」と言うらしい。

 

なんだか、つまらない。

人を好きになるにも誰かの所為にしてしまわないといけないらしい。

片思いなんてもってのほか・・・らしい。

 

そんな気分での最中に読んだのが、

カズオ・イシグロの「日の名残り」。

「私を離さないで」以来の一冊。

 

ひどく落ち込む訳ではないけれど、

どこかで僕を呼んでる声が聞こえるんだ。

この人の小説を読むとね・・・・。

私を離さないで・・・を読み終えた後もそうだった。

私を離さないで!

そんな声が聞こえた。

存在を無視されることが最も怖い。にも関わらずにどんどん人から離れて行こうとする僕。

寂しさ、哀しさも、知っていながら、なをも離れていくココロ。

距離が大切。

冗談じゃない!意味、わかんない?

誰もが距離を縮めるために話をし抱き合い、罵り合ったりもしているというのに。

僕は・・・・抗い続ける。

 

それは、ホントの寂しさや大切さを知りたいだけなのかもしれない。

全てが終わらないと感じたりできない・・・って思ったからなんだ。

 

この二つの物語も回想で書かれている。

20%の肯定と80%の後悔。

比率など役には立たない。

 

過ぎ去った“時”は取り戻せないからだ。

償いもできない。

背負っていくしかないわけで、その辛さを持ちこたえられるかが

優しさになれば・・・それに越したことはない。

 

老いてもなを、“今”はある。

明日はない。

だから、考えてはいけない。

「感じる」のだよ。