歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

疵の疼きを感じることができるのか・・・

2014-10-29 | 映画

「まほろ駅前狂騒曲」。

犯した過ちを過ちだと気付くまでに時間がかかる。

それは、過ちであることを認めたくないからだろう。

肯定するために、小さなウソをつく。

そして重ねながら、重ねきれなくなってしまう。

そう簡単に自分なんてごまかせないし、自分の身を守る細胞は存在するし、

厄介であることだけは確かなんだ。

 

トラウマをかかえたまま、人のために役立ちたいと、そんな願いだけで便利屋を営む男。そしてその友達。

 今回は相方の男、「行天」のトラウマが中心の話。

あまりにもキマジメすぎる奴と自己中心的すぎる奴とのコンビネーションから生まれるものは・・・何か?

なんて、テーマは「真夜中のカーボーイ」「レイン・マン」など男同士の繋がりを描いた映画は腐るほど存在した。

でも、この映画は同じ男の友情物語とはちょっと違う感じなんだ。

どこが違うって?

トラウマの原因でもないし、二人の過去の繋がりのありようでもない。

僕が感じたのは、登場人物の星くんこと「高良健吾」の存在。

東京近郊の町の新興やくざ。頭脳派若親分という役で、頭の切れで伸し上がろうとするクールやくざ。

便利屋をうまく利用して立ち回る、しかも絶対にスタイルを崩さない。そんなシーンを盛り込んでいない。

彼もトラウマを抱えたひとりであることは間違いないし、だからやくざ路線に乗っかっている。

登場人物のすべてがそうなんだろう。みんながトラウマとうまくでもないけれど付き合いながら、

このふたりの便利屋の行動で生きている意味を感じたりしているんだ。

生き方なんて、そう簡単に変えられない。

・・・・・なんて、思う。

きれいごとでは生きられない。かといって、そんな言葉を理由づけにしてきたなく汚れて生きてはいけない。

そう、例えば・・・・・・・・・・・・・

ポジティブとネガティブは一対なのだろう。

一番嫌いなのは、根拠もないのにポジティブでいる奴。

本当にポジティブな奴は真剣に落ち込める奴だと思う。

FBなんかで、毎日書き込みをして、最後に「今日も一日元気で、がんばろー!」なんて書き込む無神経な奴。

そして、それに「いいね!」なんて平気でENTERする奴。

 

疵ついてないとダメ!なんて言わない。

 

でも、哀しみを知る。それは生きていく上にはとても大切なことなんだ。

改めて、そんなことを感じさせてくれた映画だったよ。

 


アメリカらしい映画だ・・・・

2014-10-25 | 映画

クリントイーストウッド。

好きな俳優。歳とってからの彼が好きだ。

どうしてかって?

そりゃあ・・・・男前だからだ。

「グラン・トリノ」「硫黄島からの手紙」「ミリオンダラーベイビー」「人生の特等席」・・・

80歳を超えてから、元気になって、ヤリたいコトを思いっきりやってる気がするんだ。

 

で、「ジャージーボーイズ」彼の最新作。

この映画は、一人で観たくなく、最もすきなひとと一緒に見たいと思っていた。

気持ちが伝わったのか、奇跡的に一緒に見ることができた。

ストーリーは大体、察しが付いていたし、なんだか安心して見られる映画だと思っていたのかもしれない。

 

でも、要所要所で・・・裏切りがあって、ふたりで顔を見合わせることのできた映画だった。

「予定調和」は基本的に好きではない。

でも、思いっきりハズされるとハラがたつ。

そんな訳だけれど、渋谷で観たんだ。

御多分に漏れず、アメリカ、1950年代の音楽業界でトップに立ったグループの話。

 

ニュージャージーの若者。野心的で無い奴の方がおかしいと思われた時代にこんなグループが存在しえたのだろうか・・・

普通はそんなはずはない!なんてリアリティに欠けてるとすべき映画なのに

そうは問屋が降ろさないのがイーストウッドの真骨頂。

 

成功と崩壊は、嫉妬心と金銭欲。

それをいかにクリアするか・・・・難問だ。

しかしこの映画はそれを見事にクリアした者たちを描いた映画なんだ。

ニュージャージーの田舎の暮らしぶりの描き方がいい。

時は1951年ごろ。

床屋の風景とクルマの存在感。

誰でもが夢を描いていたなんて嘘っぱちだけど、

いつの時代でも若者が明るい未来を描いて生きていたなんてありえない。

二十代の頃なんて絶望に打ちひしがれてわけで・・・明るい未来なんてどこにだって転がっていなかった。

芸能界デビューするためにはお金が必要。今も昔も変わんない。

このグループも同じ、金を工面するのは決まって見栄っ張りのリーダーやりたがるバカ。

そしてコヤツが全ての原因となる火種。

ここまでは見え透いた貧弱シナリオライターの書いた脚本。

 

ここからが、クリントイーストウッドの真骨頂なんだ。

今の若者は「自己主張」より「和」を選択するらしい。

チームワークだいじなんだよね。なんて言いながら逃亡するんだ。まあ、絶対に問題解決の方法の決定者にはなろうとしない。

みんなが賛成して失敗したんだから仕方ないよね・・・なんて、失敗することを恐れてなんかいやしないんだ。

いや、もう失敗することを最初から理解してやってるだけなんだろう。

 

この映画はそんな馬鹿でなまけものな若者にガツンと言っているだけの映画なんだ。

 

この歳より親父を感動させたりできる若者よでてこいって言ってる。

 

 

 


秋の空に似合う言葉が見つけられなかった・・・・

2014-10-20 | 日記

会社勤めをしていた頃、そう、営業の一部門の責任者をやっていた頃のクライアントの担当者。同じ歳。

めちゃくちゃ気があったわけでもなかったけれど、仕事だと割り切りながらも思いっきり遊び呆けたことがあった。

油が乗っていたわけではないけれど、なんだか気持ちが悪いぐらいに見通しが効いた。

そんな瞬間ってあるもんなんだ。特に深くなんぞ考えたりしなくても、ただぼぉーと思いを巡らし行動したり喋ったりすると

人が勝手に動きだし、結果もそこそこ80点ぐらいの達成感得られたりして・・・調子に乗った頃。

誰だってあるんだ。でもね、永遠に続くわけじゃないんだ。

ひょんなことで、終わりがやってくるんもんだよ。そんな絶好調なんてものは・・・・

ただ僕はそんな時が絶好調なんて感じられなかったんだ。

もともと悲観的な人間なんだ。シンパイ症なんだ。

 

そんな同胞とも呼べる人が病にかかり3年目を迎え、そろそろ終焉の時だと聞いた。

その頃の営業チームのメンバーから連絡来た。「見舞いにいきましょ!」

気は進まなかった。でもイヤとは言えなかった。

 

宇都宮まで1時間、駅からクルマで1時間。田んぼの真ん中の集落。一軒家。代々の家業はコメ作り。

そんな農家の長男が家を継ぐこともなくサラリーマンになったようだ。

しかも、農家をまとめる職業についたのだ。大出世だったんだろう。

そんな彼が60歳も過ぎて・・・・病に倒れたのだ。

 

病院を出され、自宅医療となった。

そんな家を訪ねた。

想像したほどの緊迫したムードはない。ただ、娘3人は付きっきりだ。深刻さは否応なしに伝わる。

どこかで腹が据わったのか、僕は思い出話なんかしたりして、

もう、ダメだ・・・・ていう本人を笑わせることに成功したり、目じりから涙がこぼれないように気を付けながら

次から次へと話続けてしまった。自分でも呆れるくらいだった。

 

死にゆくものへの言葉などと言うものは全く意味などない。

また、なくてもいいんだろう。

いまのこの瞬間が大切なのだから・・・・嘘で固めたってかまやしないけれど、信ぴょう性ある嘘を言わなくてはいけない。

バレバレは良くない。

何とか、ばれずに済んだ。しかし、僕はどうしてこんなにウソが上手いんだろう。

今日は改めてそう思った。

ひどい話だけれど、もう会うことはないかも・・・・なんて無意識に感じていたから、思い切ったでたらめ話ができたのかもしれない。

 

しかし、最大ののウソは「また、会いに来るから」だった。

少しも痩せてはいない病人が少しだけ微笑んだんだ。


空に向かって何を叫ぼうが、勝手でしょ・・・・・

2014-10-15 | 日記

驚愕の台風が真夜中に、気が付かぬうちに通り過ぎてしまって拍子抜けしてしまった。

朝、目覚めると窓いっぱいに青空が広がっていて、「ウソ!」と頭の中で叫んで、爪跡を探したけれど見つからなかった。

甚大な被害を被った方には申し訳なく思います。

でも、何事もなかったように朝日は昇ったのです。すいません!

 

そんなわけで僕の一日も始まって、ほんの数時間だけ仕事場で働くふりをして閑をつぶして

町のネオンが灯りはじめたかころに友人から誘われ・・・焼酎を1,2杯ひっかけて家路につく日々。

帰路の車中でメールが来ることもたまにはある。昨夜は嫌な感触でメールがやってきた。

送り主の取り乱した雰囲気が伝わってきた。

ああ、誰かが死んだんだ!直感がそう言った。

 

現役時代の取引先の担当者、僕と同じ歳。肺がん。もう・・・・やばい!もって、いいとこ、一週間かな・・・?

そんな内容メール。

即座に会いに行くとは返せなかった。

 

しかし、結局は今週の土曜日に宇都宮に行く。

でも、何を言えばいいんだろう・・・・

「ありがとう!」「まだまだ、大丈夫ですから、元気だして」・・・・・。

みんな嘘みたいだしね。

顔を見た瞬間に思ったこと感じたままを言うことに決めた。いまさらよいしょなんてする必要のない関係だもの。

 

正直に生きようって決めたわけだしね。あの時。

でも、それが結構、大変な生き方だとは思わなかった、この浅はかさ。

へたなゴルファーは当然のように条件の悪い場所へいつもいつもボールを打ち込むのだ。

そう僕は、生まれつきへぼなゴルファーなんだ。

 

しかし、身近な人間の「死」に遭遇しなくてはならぬ状況がどんどん増える。

さてさて、どう対処するか・・・そして、どう正直に生きるか・・・・。

考えても仕方ないから、その場に行ったときに考えよう。

いや、考えずに感じたままを言うか、黙り込むか、涙を流すか、叫ぶか。

自分中のもう一人の自分任せにしよう。


僕は悪童にはなれなかったけれど・・・

2014-10-11 | 映画

仕事場でくだらない仕事に決着をつけたのが午後の3時半。

財布の中身をさぐったら、3千円しかなかった。

どうしようって思ったけれど。まあ、思いついたことしようと決めた。

映画を一本見るにも、みょう~な決断を迫られる今日。

かといって、真剣に考え込んだりはしていないけどね。

そして、いつもの日比谷シャンテに行っていつものE-1の座席を購入。

「悪童日記」。

小説の噂は聞いていたけれど、そんなに関心があったわけじゃない。

でも、とてもポスターが気に入ったんだ。

 

映画の内容は、大体想像はついていた。

戦争の真っ只中で子供がいかにして生き延びるか、そして、それが成長の証となるのか。

親は、いつの日か子供を捨てなくてはならない。それは、どんな平和な時代であっても同じ。

それが自然の摂理だと思う。いつまでもべたべたと一緒に生きていくのも悪くはないけれどなんだか不都合なことばかり起こるし、

気持ちが荒んでしまう。愛情はとても理不尽な状況でしか感じられなくなると暴力に転嫁してしまったりするからね。

でも、殴ってしまったりする愛もあるってことが理解できるには相当な無駄な時間が必要になってしまう。

 

この双子の兄弟もそうだ。

たった一人だと、タブン生き抜けなかった。

痛みを克服する方法。空腹を克服する方法。暴力をふるうことをためらわぬ方法。

それを一人称で語るところにこの映画の見所があったような気がするんだ。

ただ、生きに柄えたのは彼らの容姿が美しかっただけなのかもしれない。

もしも、醜かったら・・・・少なくても3回は殺されてる。

いずれにしても見てくれは命を救うこともあるってことだ。

 

たんたんと大人の暮らしぶりの都合の良さみたいなものがあからさまに双子を苛んでいく。

そして、戦争が終わった途端に両親も変わってしまっている。

双子の成長したたくましさと、両親の魂のぬけぐわいが対照的だ。

全ては終わって、何もかもが始まった。   そして、別れの訓練が始まる。

 

それが、肉親から始まるところが厳しいところだ。

この映画と小説には多分隙がなさすぎるんだよね。

気分が良くなったりする訳はないけれど・・・・これも映画の役割なんだろう。