歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

何をしたい何がそうさせているのか

2017-01-19 | その他
定年を迎えて次の人生を歩みたいと友人が仕事場にやって来た。新しいビジネスを始めたいと言う。それなりに調べ、それなりに事業計画を練り、それなりにプレゼンをした。
問題は資金。そして人。
解決しながら進むか、諦めるか…。
決断は人まかせ。
よくあるパターン。

そんなに熱くなる必要などない。
でも、熱さは必要。
そう、人まかせでは進めない。
進まない方がいい。

計画を練るのは楽しいし、紙のうえで作り上げていると実行できた気分になる。
一緒に練り上げる仲間がいればなを楽しい。
しかし、できあがった訳じゃない。

行動するにはエネルギーがいるわけで、反対する人、批判する人、悪意をもって乗せる人。
やらないことの理屈は、恐ろしいくらいに創る人の心を納得させてしまうもの。
そんな雑音に耳を傾けぬ鈍感さが必要なんだと思う。やらないやるはニーズのあるなしで判断すればいいだけなんだ。
人が必要とするモノは、世の中にそう多くはない。自分自身が欲するもの。それが全てなんだ。
ひとと比べて少し変わってる?誰しもそう錯覚する。個性などありもしないのに。自分の過去を捏造して生きている。そうしないと後悔の気持ちに押し潰されてしまうから。しかたがないんだ。それは…。

さて、そしてそんな話しを聞いて僕はどうするのか?

お人好しの爺さまのように、手を貸すのだろ。

なぜだか友だちなんだと言い切れる奴だからだ。

またまたドツボに嵌るんだろな。

そんな予感のなかですら、身体が動き始めてる。


北へと向かう気持ちはいったいなんなんだろか…

2017-01-17 | その他
山形へ行った。

昨日までの天候は荒天。

山形新幹線の車窓からは人工的なものは

全て平坦にすべく雪が覆い尽くしてる。

美しいと思った。

赤湯温泉辺りでは、太陽は身を隠し深く暗く

妙に穏やかな気持ちになりはじめる。



特別な悩みなどはない。

思い付きで行動できる状況ではない。

ただ、止むにやまれぬ仕事があっただけなんだ。

断ることもできた。

でも、なにかが「行くよ。」

と言わせたんだろう。

それは、北だったからだ。

衝動は正直なんだろう。


心身の声に逆らわない方がいい。

脳ミソが思い付きで裁断する事など

たいしたことにはならないよ。

山形駅に着いたら正午近かった。

空と雲は優しい。そして降り積もった雪で覆われ

た山々は神々しく、

人の存在を見下ろす眼差しを感じた。

風はと言えば、唯一ちっぽけな僕の考えた答えを

惑わせるかのように吹くだけなのだ。

そう、答えなどないのだ。

風に舞わせておけばいい。

そう、なるようにしかならないんだ。


明日は明日の風が吹くならば、

僕は、今日の風をまともに受けて、

頬に感じる痛みと、痺れる指先を暖めながら

歩き出した。




自分を責めても自分を見つけられない…

2017-01-14 | その他
頬がちぎれそうな空気は嫌いじゃないよ。

うだる暑さより快適なんだ。

寒さは自分の努力でなんとかなる。

でも、暑さは努力のしょうがない。

諦めてクーラーの風に自分を晒して、お腹を壊す

ハメに陥るだけ。

自然には敵わない。

でもなんとか逆らいたい。

おまえが全てじゃないんだと。

勝とうなんて思わない。

負けたくないんだ。

ただそれだけなんだ。

ツマラナイね。

そんなことは。

寒空を見上げて、自分の愚かさを嘆いてみても

誰もかまっちゃくれないし、

優しい言葉なんて聞こえてはこないよ。

ディランは答えは風のなかにある…

いや、多分、風に舞ってるのだ。

と、言ってたんだろ。

訳詞者を責めたって仕方ない。


朝目覚めたらとても気分がよくて、頭痛もなくて

て、久し振りに爽快。

でも、それは束の間のことで、家人の叱言で全て

台なし。

とても寛容な心にはならなくて、おおらかにはな

れない。

そんな時は言ってはいけない言葉をたくさん使

い、着慣れない服を着て、向こうから歩いてくる

人を睨みつけたり、あてどなく街中を歩くのがい

い。長かった人生なんだ。そんな1日があってい

い筈だよ。


さて、ひとりぼっちでなにをしょう。

自分の家がないこと・・・そんなこと想像もしなかった・・・

2017-01-04 | 音楽

歳が開けて3日過ぎた。

別に変わることはない。

ただ、日増しに頭痛がひどくなるのではないか?

そんな不安ばかりが頭を過る。あんな経験は二度としたくはないからだ。

 

1週間ばかり家人と二人で過ごした。

面白いTV番組が存在しないことに気付いた。

仕方がないので、家人が撮り溜めた録画ばかり見た。

「クリスマスの約束2016」

「吉田拓郎SONGS」

「ボブ・ディラン~ノー・ディレクション・ホーム前・後」

 

小田和正の番組は毎度のことだから見てしまった。

しかし、もう彼に創造性はない。

同じく、吉田拓郎の「SONGS」。NHKのドキュメンタリー?番組も見た。

70歳の老人が歌っている。

ただ、歌が好きだから・・・そんな理由だけでTV局はもろ手を挙げて食いつきしゃぶり尽くそうとする。

ほぼ、番組の構成と結末が読めてしまう。

小田和正に至っては己の楽曲に魅力がないことを知り尽くしている。

だから、カバー曲を演奏している。

若かりし頃の至らなさを懺悔するかのような態度。

そんな態度が受けた。悔い改める姿を見るのは共感を呼ぶ。

某TV局のプロデューサーの手腕によるところに腹が立つ。

吉田拓郎に至ってはもうピエロというしかない。

マスコミに背を向けていた男が、しゃらりとした顔で国営放送の番組に出演する。

いったいどうなっているのだ。 この厚かましさは・・・

 

ディランはその点、大きく違っていた。

「ノーディレクションホーム」

マーティン・スコセッシに映画を撮らせた。

独白とインタビューで構成されていた。

いままでの彼の言動と行動の謎ときに収支していた。

主題となったのは、1965年のニューポートフォークフェス。

そう、あのエレキギターを持ち、バンドを引き連れて登場したあのステージ。

アメリカの人間は・・・いや、ほんの一部の人たちのことだろう・・・恐ろしく保守的だ。

お目当てのスターの変わりゆく姿に我慢がならないのだ。

歌っている内容は何ら変わりはない。スタイルが変わっただけなのだ。

しかし、激しいブーイングの嵐。

帰れ!なんてものじゃなく「裏切り者!」「ユダ!」

しかしディランはめげない。

それ以降スタイルを変えることなく立ち向かっていく。

ファンに迎合しない。

ステージ後のマスコミのインタビューにも真っ向から立ち向かっていた。

それにしても、馬鹿げた質問ばかり。新聞記者の能力のなさが際立っていた。

見ていて腹が立った。

 

これが彼が25~26歳ぐらいの時なのだろう。

あることないこと、雑誌や新聞か売れるためには読者の喜びそうなことばかりを書きまくる。

不信感ばかりが重なり合っていく。

そりゃあ、厭になるだろう・・・・記者なんて人種を信じろ!そんな言葉はむなしいだけだし

彼らに迎合しなくても生きて行ける。

そう思ったんだろう。そう、金儲けなんて関係なかった。

そう、感じた。

ファンに迎合しない。しかし、自分が作った歌を伝えることに懸命だったんだろう。

その為に守らなくてはならなかったコトは、「説明しない」ことだったんだ。

 

有り余る金を得ても、ファンに嫌われまいとする輩とは人間が違う。

72歳を超えてもなを歌い続ける歌手。

支えているファンのクゥオリティー高低度の落差は大きい。

 


しかし、何もわかっていなかったんだ・・・そんな当たり前のことに気づいて・・・

2017-01-01 | その他

新しい年が始まって、さてどうしょう・・・・

何も決めずに過ごしてきた5年間は無意味。

そんな日々でも、いつも感じていたのは、明日があるなんて思っちゃいなかったってコト。

 

くも膜下出血が重篤な病であることは知っていた。

そんな病に侵されたのは運のつきの人もいるだろう。

贅沢を言っちゃいけない。

この病に襲われたひとの1/3は確実に死ぬ。

そして1/3は寝たっきりて゜残りは後遺症に悩まされながら

違う病で死ぬ。

 

ガキの頃から稀少性の高い病と付き合ってきた。

訳の分からぬ高熱や痛みに出会ってきた僕は耐え抜くことを覚え、逃れ方を知り尽くしてしまった。

でも、それは問題の解決に至ることはない。

そう、対処療法。その場しのぎだったし、逃げおせるはずもない。

そうして、とうとう捕まったのだ。

 

死への誘惑は魅力的。

自由とはこのことだ・・・な~んて感じさせてくれる。

解放された気分に陥る。

 

 

 

しかし、自由は解放されることじゃないんだよね。

かつての職場仲間たちが、友人たちが急によそよそしくなって

「変わってしまったよね・・・あいつは」なんてことを風の便りで聞かされたりしても

それは僕じゃなくて誰かのコトのように聞き流して、だんまりを決め込むように

人のエネルギーの流れはいつだって変わって行くものなんだし

すべてを分かり合うとすることは無理なことなんだ。

だから、いま「ある」ことに夢中になれば・・・それが幸せだと思う。

明日に期待したりしているとろくなことにならないよ。

夕暮ればかりを気にしていると朝陽を見逃すことになるからね。

夜のしじまに身をひそめてばかりいると、

朝が来なかったりする。

本も読まず、音楽聴かず、ベッドで一週間も身を横たえていると

自分が無力で無能だということがヒシヒシと感じる。

鬱状態のぎりぎり。そうなってしまう。

逃れる方法はただ一つ。自分の無能さ加減を味わい認めてしまうコト。

だから、それがどうしたんだ?

無能のどこが悪い?

 

死ぬことが昔ほど怖くなくなったようだ。

深い眠りは魅力的だし、心地よいのだ。

ただ、眠ってしまうなぁ~と、実感せずに眠りにつけるようになればいい・・・

その為には身体的な苦痛が必要なんだ。

一心に痛みから逃れる方法を考えてしまうから、そして死ぬコトなど想像もできない痛みが必要なだけだ。

 

とは言うものの、

何もわかっちゃいないんだ。僕はね。

夕陽の赤い色に見とれてばかりいるからね。

ホント、何もわかっちゃいないんだ。

人生のことなんて・・・・。