歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

寒さが和らぐかに見せて寒さが襲ってくる・・・

2017-02-24 | その他

日に日に柔らかな陽射しが降り注ぐのが恋しくてたまらない。

そんな冬も終わるかな?

そんな思いを裏切るような今朝だった。

いつものように仕事場に向かう車中は長閑で、

幼い娘を小脇に抱えた若い母親はスマホ眺めてかつての友人とのコミュニケーションに忙しいのだろうか。

おじさんたちは、車窓を眺めてちょい微笑んでるように見えたりする。

 

僕は僕で本を読みながら瞼が重くなっていくのを感じながら

浅い眠りにに落ちていく。

いつものように頭痛の前触れ。

 

死ぬなら午前中がいい。

暮らしが始まる時間帯のほうが気にされることがないからね。

一日の終わりだと、もう一仕事・・・いや、単純に眠れないじゃないか・・・

そんなことを思われるのがイヤなだけだ。

 

生きていた証を残したい!

なんだか本気でそんなコトを思っているんだろうか?

「このままでは死にきれない!」なんて言う輩がいたとして、僕は・・・

「足跡を残したらお終いだよ。追っかけられるのはうんざりだ!」

そんなことを応えてしまいそうだ。

 

寂しさを紛らわすための他人。

誰もが欲しがるし、それが当たり前なんだ。

 

しかし、消え去るのがいい。

誰の記憶にも残らずに静かに幕が下りるのがいい。

カーテンコーを期待するなどどこかしゃらくさいのだ。

一分一秒を十二分に楽しんだんだ。それでいいのだ。

瞬間瞬間にしか感じられないあの高揚した気分を追い求めて

今を生きていたい。

 


明日は今日よりはましな日々だと錯覚していたいのだよ・・・・

2017-02-16 | その他

最終検査を一週間前に終えた。

2泊3日もかかった。

半年ぶりのこの病院の同室であの時の混乱が脳裏をよぎった。

恐怖ではなくて無常観。

自分の力が及ぶ範囲などたかが知れているのだ。

そんな無力感に苛まれた3週間。

信じられなくなるくらいの無力感は無能力な自分を認めなくては生き延びる方法はない。

自ら逝く力すら奪われてしまったら、もうどうしょうもないのだ。

医者の思いのままだし、ある種の研究材料。

少し、被害者意識が強すぎるかもしれない。

 

ほんとはそんなコト、思ってないし、いじけてもいない。

ちょっと、自分自身を憐れんで見せているだけなんだ。

 

もともと、モチベーションが高い人間ではないし、

風任せに生きているから、何処に行きつこうと構わない。

 

行きついた先で目いっぱい後悔するだろうし、恥ずかしげもなく人を責めたりしてヒンシュクを買うことは間違いない。

 

それでも、まだ、もう少しだけこの世を楽しみたい。

3日間の病院生活でそう思ったんだ。

自分の足で歩けるうちはね。

まだ、100万分の1も楽しんでいない。

悲観に暮れて、情けなさを売り物に他人の同情と憐れみを糧になどできはしないのだから。

 

本気で楽しむことを考え歩き始めていることに気が付き始めた。

 

好きな事を好きだと言い。好きなところに行き、好きだと叫びながら逝くのだ。

それが自分らしさなのだから。

 

みんな同じだとは言わない。

でも、何処かで本気で共鳴できるものがあればとても嬉しい。

 

そんな人やモノや場所を探し求めようと思うよ。

 

見つけられればラッキーなんだから・・・・

探すんだよ。


複雑なことよりも分かりやすいってことがどれだけ素敵なことなのか・・・・

2017-02-15 | 映画

そう、たしかに人の心は日々変化するし、猫の眼のように色を変える。

複雑であることが、難解であることが、崇高な精神だなんて勘違いしていた時期もあるわけで、

それはそれで、その年齢に適合した感性だっかもしれない。

 

幼いころにオヤジがよく僕を映画館に連れていた。

決まって、西部劇だった。

勧善懲悪。予定調和の権化だったけれど面白かった。

悪人は悪人らしく、善人は善人らしい顔つきといでたちだったし

ストーリーも顔つきもどんでん返しなどなかった。

 

久しぶりに西部劇を見たくなって「マグ二フィセント・セブン」を観に行った。

黒澤明の「七人の侍」・「荒野の七人」のリメイク。 

 

筋立てはほぼ同じだったけれど、主人公が金にもならない頼まれごとを引き受けたか?

黒澤明の「七人の侍」での設定より少しだけ掘り下げられていた。

掘り下げるというか、単純に「復讐劇」だというだけだった。

そのほか、登場人物でおもしろかったのは、「イ・ビョンホン」の役設定だった。

中国人がこのころアメリカで生きていくのは大変だったらしく、生き抜くためには一芸に秀でてなくてはならないし

マネージャーも必要だったんだろ。そのマネージャー役の設定が面白い。

元南軍の狙撃兵。イーサン・ホークが適役。腕利きの狙撃手だった。それがトラウマ。その後の人生をダメにしている初老の男。

そんな悲しい男の気持ちを良く分かっていて付き合い続けるイ・ビョンホンが愛おしかったりした。

全編、セリフはワンフレーズで完了してしまうし、くどくど説明するセリフはない。

つまり、言い訳がないのだ。

その変わりといっては何だが、「率直」で「ウソ」のないセリフだということなんだろう。

 

「愛しているよ」と言えば・・・・「そう。私もよ」

そんなセリフの繰り返し。

へたな駆け引きや打算や信頼を試すことはほぼないのだ。

 

七人の間では友情などないのだ。

それぞれがそれぞれの思いのなかで敵を殺していく。

殺せば殺すほどに自分の傷口は広がっていく。なのに殺していく。

殺さないと、殺されるからだ。

実に単純でわかりやすい。

人間はそんなものなのだ。

人を殺す力を持っているし、その力を抑制する力も持っている。

死に場所を探すほかなくなるんだろう。

 

自己犠牲は自己満足。

 

 

 

 

 


戦争が始まる時と終わる時。いつだって深い傷が残るのに・・・・どうして?

2017-02-08 | 映画

どうにもこうにもいつもの顔ぶれと顔を突き合わせて仕事をする気になれない。

そんな時はあるもので、僕は迷わずサボることにしている。

こんな1日を特別に大切にしたい思っている。

ギターの練習をするわけでも、ブルースハープの練習をするわけでもなく。

ただ成り行きにまかせたままに町の中をうろつく。

そして、映画館の扉を開ける。

今回観たのは・・・・・2015年にドイツで作られた映画だった。

「アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男」

ドイツが第二次世界大戦後いかにして国家を立て直してきたか?

この主人公「フリッツ・バウアー」の行動は大いに役立つ行動だった。

理想の国家とはいったいなにか?

反省とはなにか?報復とは、復興とはなにか・・・・

彼の行動(映画のなかでの話だけれど)には揺るぎがないように思えた。

どうしてかって?

 

それは、映画の冒頭シーンが彼の死ぬシーンから始まったからだ。

浴室で溺れるシーン。世間は自殺にしたかったようだ。しかし、本人はマスコミや周辺の検事局員の

戯言などに耳を貸さず、言い訳などせず職務に向かう。

検事局の職員の大半はナチスの残党だらけ。そんな設定になっている。

 

途方もない環境のなかで、戦犯アイヒマンを追い続ける。

 

映画の後半で、主人公の彼が何故必要にアイヒマンを追うのか、語るシーンがある。

でも、それがホントのところなのかはわからない。

偏執は普遍へと結びつくこともたまにはあるだろう。

 

第二次世界大戦後のドイツは「反省」の行動がすべてだったのだろう。

言葉で言い表せない所業をやってのけたからだ。

映画の冒頭にアイヒマンがインタビューを受けているシーンが出てくる。

「ユダヤ人を抹殺できなかったからいまの世界は最悪である」はっきりと断言するのだ。

インタビューに応じ、録音にも応じたと言い切る彼の信念は悪魔に似ている。

自分の考えに、行動に、歪みはなく・・・・ユダヤ人をこの世からなくせば、世界は心地良いものとなるらしい・・・・

現実の世界に自分の考えを無理やりはめ込んだり、恫喝で自らの主張を押し通そうとはしない。

人の命を奪うこと、そしてその命令を出すことに躊躇いはない。しかし、自らの手は汚したくない。さらに血は見たくない。

だから「ガス室」なのだ。部下の生産性が落ちぬように開発したらしい。

説得の余地はない。

このような人が居るのだ。(居たのだ)

 

この種の人間に立ち向かう姿を克明記した映画ではない。この映画は。

あくまで、主人公の内相的観点から物語は進み、淡々と描かれ、華々しい盛り上がりを見せずに

THE END のロゴ画面に現れる。

 

僕は今の日本に置き換えてみたりもしたけれど・・・やめた。

いまの国の代表選手たちには誇りがないからだ。

 

この映画の半ばで主人公フリッツ・バウアーが若者たちの質問に答えるトーク番組に出演するシーンがある。

そして、若い女性が質問する。

「ドイツ人の誇りとはなんでしょう?」

 

誰もが絶句・・・・そんな中、フリッツ・バウアーはタメライと含羞を持って、しっかりと答える。

隣のひとの力になれることはあるのかないのか・・・あるとすればどう行動するか・・・・そして行動するのだ。

要約すればそんなことなんだろう。

 

立派な憲法や法律などは個人のプライドにはならないんだ。

 

とても地味な映画だったよ。

 

 

 

 

 

 

 

 


夜空のむこうに明日は待っているのか…。

2017-02-01 | その他
この歌を聴くたびに思うことがある。

「あの頃の未来には僕らは立っているのかな」

決して立っていないことを思い知らされてばかりいるからね。

なにも信ずることもなく生きてきてしまったからなのか、それとも信じてきたからなのか。それは誰にもわかりはしない。

別れの言葉を吐くこともなくただ遠のくことばかりで決別してきた僕はケジメを知らないんだ。

涙など見たくはない。

でも、大切な人の涙ばかりを求めてしまっていた。そんな気がしてならない。

人に依存されることで自分の存在を確認していたんだろう。

哀しみはカタチにはならないしね。

喜ぶ姿はいつしか嫉妬に変換されて、自分の憐れさばかりが胸に拡がってしまう。

さてさて、これからはどうやって生きていこう?

そんなことに気付かなければ、愛など知らなければ…。