歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

他人の評価を気にしてばかりいたって仕方ない…

2017-11-29 | その他
自己評価。自己満足。身勝手。
そんな流れの中で人は生きている。

一方、他人の評価が全て。と、言う人がいる。

どちらともいいとは、言えない。

自己評価と他人評価が一致すれば…それが理想的だからだ。

周りの人の期待に応えることばかりいると創造的なものなどできあがりはしない。自己評価を、高めること、自己満足させるために邁進する方がまだマシなのだ。しかし、そこには高い満足度指標がいる。
追い求めるものが他人の目に絵空事と映ったとしても、自分の目標を信じる。自分の力ではなく、自分自身が描く世界を信じることだ。

夢は終わった。
現実に戻すのだ。

他人の自己満足を助けるのもその一つかもしれない。しかし、あまりに小さすぎる世界に手を貸すことはない。


秋はずる賢く時の流れを欺く…。

2017-11-27 | 旅行
これで、やっと一段落。
何もかもが過ぎてしまった事にしてしまえる。
そんな思いで、新幹線に乗り込んだ。
両親の百箇日の法要。

100日過ぎなければ迷いは晴れないらしい。
僕はもう大丈夫だからそろそろ天国に行きなよ。
そう教えてやる儀式なんだそうな…
最近の坊主は理屈付けが上手い。
残された者を明日に向かわせるにはストーリーが必要らしい。
そして、生臭くお布施を要求する。
ひたすらにさりげなくだ。
優秀な住職は心理学にも精通している。
心の弱さにつけ込み、安心して故人を忘れさせる。おまけに、気持ちよく金を払わせる。

後悔する気持ちは時間が経っても湧き上がる。
身悶えしても治らない。
どうしょうもない。
打つべき対策は何もない。
ただひたすら時を重ね時計の針を見詰めるしかない。それが供養の意味なのだ。

秋の色は朱。
儚いから美しい。

静かに見詰めることの他、やるべきことなどありはしない。


東北自動車道は久しぶり。思い出したくもない…

2017-11-18 | 旅行
この、高速道路の出発地点は何処なんだろう?
そんなことを考えながら首都高速を走っていた。
久しぶりにハンドルを握った。
低速で走るのには傍迷惑なことだろう。
少し前にテレビで見た中国のロードレイジ。
下手な運転をする人に対し暴力を振るう人々。
さも、当然のように振るわれている暴力に悲しみは倍増する。寛容の気持ちはそこにはない。
そう、確かにイラつく。明らかに下手だと思われる運転には…。
運転資格を与えるのが安易すぎたのでは…と思う。しかし、それでは経済が発展しない。大衆化しなければ消費文化は育たない。

消費は文化なのか?

モノを買うことが文化であるはずがないだろう。
欲しいモノ。欲望。特に物欲なるものの虚しさはみんな感じているはず。
なのに手に入れたがる。
欲しがっている間が幸せなのだ。
恋い焦がれていればいるほど高揚している自分を忘れてしまえるからだ。
我を忘れて夢中になる。
自分を見失うことは、世間が言うほど悪くはない。迷惑は掛けるけれど。
ただ始末が悪いのはその幸せが、ある日突然終わってしまう。その時に人は全てが終わったかのように思うのだ。
別におわってなんかいないのだ。
人は連続していく日々に戸惑ながらも多くの喜びを見ながら生きていく。

思いを遂げた時、その瞬間に死ぬのが一番いい。

喜びは永遠であるはずがない。
思い出として、こころにしまっておくということがどれだけ豊かな気持ちにさせてくれるのかを誰も知ろうとしないんだ。
そんな気持ちはどこから来るんだろう。
多分、それは人が与えてくれた幸せや、喜びだからなんだろう。
自分自身で摑み取れる喜びはそう多くはないからなんだ。そして周りの人たちが喜ぶ様子を幸せと感じることと思えること。いかにも善人ぽくていい。でも、こんな意識が始末に悪い。
それは、他力本願的すぎていつの日にか破綻するからだ。

だからと言う訳ではないけれど、自分がホントに感動できるものを身に付けるのだ。

そんなことを思い浮かべながら那須塩原で東北自動車道を降りた。紅葉はもう終わりに近づいていて儚い気持ちを掻き立てただけだった。


夜の獣。あるいは夜行性動物。

2017-11-14 | 映画
誰もが誰かを頼りにする。
支えとは違う。
何もかもを受け入れてもらいたい。

そして、支えてもらえることを期待してしまう。

期待に応えて貰えないと怒りをブチまける。

男はこうあらねばならない。女もしかり…。

「ノクターナルアニマル」。

この映画もそんなことを、描いている。

そんな気がした。

回想シーンで女は男に別れを告げる。

男は女に聞く。

「愛しているか?」

「そう言うことじゃない。現実を見て!もうやっていけない。」

よくあるパターンで、野心家でない男に投げかける女のひとこと。

ロマンチストで何が悪いのだろうか?

しかし理解はできない。

支えてもらってばかりいるとそうなる。

人を支えることは面倒で退屈だからだ。

そして何よりも勇気がいるからだ。

「生」で生きようとすれば先頭を走らなくてはならない。いつも誰かの後ろを歩くわけに行かなくなるのだ。

恐ろしことなんだ。それは…

怖がってばかりはいられない。

しかし、それを相手に言えば、怒り出す。

怖がってなんかいない…。

耐えてばかりの生き方なんてものは犬に喰わせておけばいい。

勇気を出してて生きるしかない。

そう、誰も助けてなどくれない。

元夫が書いた小説には元妻に捧げると書いてある。

全くそのとおりなのだ。

小説の主人公は男だ。でもホントは彼女なのだ。

夜行性動物はとりわけ臆病なのだ。

闇に隠れて怯えながら生きていく。

悪くはない。そらもありだ。

でも、それでいいのかい?




ケジメは大切なんだ。誰もがこれは僕の責任だ…と思えばいい。

2017-11-10 | 映画
誰にも迷惑をかけずに生きていくのは難しい。
ましてや、あっちの世界で生きてる人たちにとっては。

「アウトレイジ・最終章」を観た。

表の世界があるのであれば裏の世界もある。
人並みに扱われない人々が集まって作り上げられた世界。だから規律は半端なく厳しい、死ぬことを賭けないと生きていけない。命が担保なのだ。

僕はあちら側で生きた事がないから分からない。
でも、同じようなものだ。こちら側の世界だって…。
本気であればあるほどに身体を張らなくてはならなくなる。

東映の任侠映画と日活の無国籍映画と根本的には変わらない。この映画も…。

人を殺してきた人間には生きる力など無くなってしまう。ただただ、死に場所やそのタイミングを探しているだけだ。自分を殺そうとする人間に対して身体が反応し殺してしまう。生き延びようなんて考えてもいない。しかし、死の恐怖は人一倍ある。

北野たけしはそんなことを言いたかったのか?
ぼくにはわからない。
映画を、観て感じたのはそんなことだった。

そして、音楽が少ない。鈴木慶一が担当してるなんて想像もできなかった。観ている最中にやけに気になったのは音楽だった。映像は想像通りだったから心地良い裏切りはなかった。

もう一つは助演男優の塩見三省。
この人はホントは身体の具合が悪いんじゃないの。演技だとしたら相当な悪人だろう。

役者が心の底から欲しがる賞と呼ばれるものは、助演賞だと思う。