歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

気まぐれに人の関心を惹いてはならない・・・・・

2015-09-23 | 旅行

まるで猫のように、そいつは呼びもしない時にやって来る。

甘えたフリをしながら近づいてきては、気を惹くのだ。

そして、僕が、ああ、そうなんだ、いいんだ!

なんて思った瞬間に、そんなつもりじゃなかったんだ。

そんな素振りを覗わせる。

 

そんな態度にどんな意味があるのか。

分からない。

 

僕が悪いのか?

なんてことも考えざるを得ない。

優位性の確認、愛されていることの確証?

ただの悪ふざけ?

 

それにしてもそうじゃない女(ヒト)がいたことを思い出す日々が続いている。

 

何時間も何年も時が重ならないと分からないことが多すぎる。

人は素直に向かい合えば素直になれる。

 

バカみたいに熱かったし、夢中だった。

ひたすら会いたくて仕方なかったし、会えば別れたくなかった。

 

ただただそれだけの思いがあった。

 

ひたすらに求めれば無条件に受け入れてくれた。

でも、僕も受け入れなければならないと思った。

 

あの時はムリをしてきたけれど・・・

いまは、そのムリを恋しく思う。そんな自分を愛おしく思う。

 

もう二度と戻らぬ時。

 

こんなに時間が必要だとは思わなかった

 

 

 


待つということ。

2015-09-16 | 日記
言葉とはうらはらの気持ちが潜んでいたりする。
もう、でも、もう推し量ったりするのはやめよう。

僕が必要なときは言うだろう。

それを待つ。

言わなければ、それでいいではないか。

人の縁などと言うものはそう言うものなのだろう。

先回りして待ち受けるなんて言うのは姑息だろう。

オフサイドだ。

期待に胸を膨らませて待つのも
時に、元気づけになったりもする。


まるで別世界で過ごした3日間・・・・

2015-09-12 | 旅行

その知らせを受けたのはほぼ一週間前。

ほぼ危篤。

一か月前には渋々会いに行き、和やかなひと時を過ごしたとばかり思っていた。

 

もう、それで終わてしまえば良かったのだ。

落ち着かない別れなどしたくはない。誰でもが・・・

しかし、そうは思い通りにいかないのが人と人の関係なんだ。

永遠などと言う言葉を作った奴を恨む気などない。

でもね、永遠に生き続けることはできやしない。

心の中で生き続けるんだ・・・・なんて、無責任に慰めの言葉を吐く奴もいる。

 

時が経てば、忘れていくんだよ。

あんなに、決して忘れない。

なんて、涙ながらに誓っても、忘れていくのだ・・・・・

そんな薄情な輩にはなりたくはなくても、高原の霧のように、数秒で晴れ間がやってきたりする。

 

それにしてもあんなに気持ちが通じ合えた人はいなかった。

人の考えや気持ちを見透かす人。

そんな人は沢山いる。

そんな人はは時には楽な気分にもさせてくれるけれど、ウットシイ。

本質は分かっている。でも、まだおっかないんだよ。

だから、見透かしたコトバは言わないでよ。今はね・・・

それが本音。

言いにくいことをあえて言うのが優しさと言うものでしょ。

そんなこたぁ、解っているんです。時と場合でしょ。せめてもの逆襲なんだけれども

言っている人には・・・?なんだろう。

 

しかし、この人はそうではなかった。

タイミングを見透かしていた。

一つ一つの助言が僕のタイミングに会っているかどうか。そんな雰囲気さえ感じ取ってくれていた。

 

激しい雨だ。

霧も出てきた。

哀しみは、時と共にスピードを上げている。

僕は坩堝に落ちていくのが分かる。

 

慰めはいらない。

ただ、ただ、放っておいてくれればいい。

 

今はただ。

 


老いて、忘れ去られていく・・・・ということ。

2015-09-06 | 映画

あまりにも評判が良くなかった。

「龍三と七人の子分たち」。

北野たけしの最新作。

だからあえて見に行くことに決めていた。

でも、なんだか時間がうまく合わずに、グズグズしているうちに正常のロードショウは見逃してしまった。

 

でも、なんだか不思議な縁で、前から気になっていた映画館。

「目黒シネマ」。

この映画館で北野特集がかかっている。そんな情報を耳にして行ってみることにした。

 

驚いたことに二本立て。かつてはこんなスタイルの映画館が場末にあった。

記憶が蘇ったのは、京都の「西陣キネマ」。千本通りから路地を入ったところにその映画館はあった。

そして、路地の突き当りには、その道では知る人ぞ知る「千中ミュージックホール」があった。

 

西陣キネマは基本三本立て、洋画と邦画とエロ映画とが微妙なバランスでプログラムされていて、

最後の一本の上映になると200円に負けてくれた。

「七人の侍」もこの映画館で観た。

 

そんな思いが蘇る中、「龍三・・・・」を観た。

すでに引退して平穏で静かな日々を送るやくざの兄弟たちのコメディ映画。

 

映画を観ながら思った。

こりゃ、評判悪いだろう。駄作と言われるだろう。つまらない映画作ってナニ考えてるんだ?!

脚本も寝転んで、そろそろ映画とらないとまずいか?

でも、なんだかメンドクサイなぁ~

なんて、チカラが入ってない話だしね。

 

別に深読みをするつもりなど毛頭ない。

しかし、北野たけしらしい映画だと感心してしまった。

観終わったあとに気持ちが和んだんだ。

そう、僕の気持ち的には

「そう、そう、これでいいんだよ!」・・・・なんて感心してしまったんだ。

 

北野作品は「その男、凶暴につき・・・」以来、観客の期待をキッチリ裏切ってきた。

それは、音楽的にもセリフ的にも映像的にもキャスティング的にもだ・・・・

 

普通の人が、映画を観ながら、タブンこの後こうなるだろうなぁ~とか、この映画は多分こうなんだろうなぁ~

そんな想像を見事に裏切り続けてきた。

 

もう年寄は年寄らしく生きるのがベスト。

それは、全てを受け入れ流れるままに生きることだ・・・・。

なんてことを、いけしゃあしゃあと知識人ぶった人たちが声だかに叫ぶいまだから。

だからこそ、こんなフウチョウだからこそ、

のたうち廻って、嫉妬し、懐かしがり、存在感を無駄に誇示するのが

今の老人と呼ばれている人たちに欠けてしまってる。

 

想像絶するほど物分りがよく謙虚で奥ゆかしい老人なんてものは存在しないはず。

 

歳を重ねるほどにタガが外れるのだから、外せばいいのだ。

北野たけしは、

そんな風に僕に話しかけてくれてる気がしたんだ。

 

やくざの世界でも親分になり切れなかった人間が、

まるで高校の同窓会のようにして集まって「組」を作る。

そんな話なんだ。

もっと普通に世間を眺めて笑ったり泣いたり怒ったりしてる。

 

ごくごく普通の感性で生きるのが、

いかに、ステキなことなのか・・・・。

 

映画で遊ぶ北野たけし。

観客の期待を完璧に裏切れる映画監督。

やっぱ、好きだ。

 


太陽のない世界に生きるのは…

2015-09-02 | 日記
暫く太陽が顔を出さない日々が続いてる。
秋は密かにこんな日を虎視眈々と狙い澄まし、夏を出し抜いてしまう。

しかし、夏が恋しい訳ではない。
熱い思い出なんかある訳もないからだ。

それにしても、この秋のずる賢さと言ったら見事と言うしかない。
まるで、指先が美しいテーブルマジッシャンのように、僕の心の隙間をかけぬけるんだ。

深く思考できぬままに時は行き。
ひとり無様にとり残された気持ちが澱んでる。

無口さだけを武器にしよう。

なんて浅はかに思ってみても。
周りの顔色を伺いながら笑顔を振りまく道化の如く、この秋をやり過ごすしかないのだろう。

そして、僕くは少しあのズル賢さを学んで、冬を待つ。