歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

自分でやりたいことをヤル!てことはどう言うことなのか?

2019-09-27 | 映画



いつだって誰かの為とか言いながらやらずいたことが多かった気がしてきた。
やりたい事があった。なのにやらずにいた。それは、ホントにやりたい事じゃないんだ。そんなザレごとを周りの人たちが鬼の首を取ったように言う。人は幸せそうな奴を見ると腹を立て怒り出すのだ。不幸せな人を見ると同情心が芽生えて僕は大丈夫だと安心したりしてる。哀れな話しなのかもしれない。
抜けるような青空はヤル気を起こさせたりもするけれど大概は全身の力を抜くように存在している。身体のあちこちにに力瘤ができると軽やかさがなくなる。つまるところ、力み過ぎて身体の動きが止まってしまうのだ。そして心まで力が入ってしまって動けなくなる。
回遊魚のようにはなりたくはない。でも、身体が動かなくなるのは耐えがたい。
感動するしなやかさは筋肉の柔らかさに繋がっていてシンプルさを見逃したりしない。

ヤル気マンマンになる必要はない。
ただ、しなやかさが必要で、音楽に浸ってる時に似ている。
そう、音楽を続けていこう。

音楽に無知だったあの頃は、死にたくなるぐらいに幸せだったんだから。

人の力を借りるということ。それはそれで勇気がいる。

2019-09-21 | 映画
60歳を迎えて退職をした。半年を今までの取り返しの付かない多くの事柄に自分なりの決着を付けることに時間を費やした。しかし、付けられずに今に至るグズっている。それは人の縁という奴だ。踏ん切りがつかない。会って話す度に長引く。いつものように、まぁいいか!そんな呟きが僕の頭の中で渦くのだ。
しかし、それも限界が近づいた。
昔の東映の任侠映画の主人公のように行動しない奴もいるということだ。己の義理を果たすために周りの人間を巻き込まない。そんな心意気。だから、高倉健はたった一人でドスを抜こうとする。そこに、池部良が助太刀に入る。
たった一人で立ち向かおうとする姿があっる。だから、助けに入る。
そんな人の心を知りもせず、助太刀を前提に行動を思考する者がいる。
泣き言は言うまい。

諦めるにも勇気が必要なのだ。





なんという蒸し暑さだ。

2019-09-08 | その他

先日、BSで軍艦島についてのドキュメンターリーを見た。

坑道の中の温度が35度を超える。そんな劣悪な中での石炭採掘作業は

人の命をどれだけ奪ったのだろうか?

そんな想像をしたばかりだった。

だから今日、この蒸し暑さに恐怖を覚えてしまった。

それに閉所恐怖症が重なり合えば、それこそ発狂するに違いない。

 

冷房以外の涼しさが必要だ。

人は誰しもストレスを抱え込み、それが生きることなのだと勘違いしている。

我慢は病の温床。冷気は正気を取り戻す。

とはいうものの、寒すぎるのも暑すぎるのも嫌なだけだ。

 

最近は身近な人たちに言われる。

「短気になったね?」

で言い返す。

「15歳過ぎからず~と、短気だよ。」

周りの人たちを想像以上に僕のことに関心を持ってはいないのだ。

 

そんな想像は自分自身の心の在り方に自然さを呼び込みリラックス感を与えてくれているのかもしれない。

 

とは、言いながら、今、気になるのは腰の痛み。

以前は坐骨神経痛だと整形外科医に診断され、痛みがましていた。

それが、ある知人の紹介してくれた整骨師に直してもらった。

週2日、3か月通い、ひたすら師匠のなすが儘に素直に従った。

邪念。自分の考えを捨て去った。

おかげで、腰痛を気にせずに日々を過ごしてきた。

 

しかし、再発なのか?賞味期限が切れたのか?

病気なのだから、賞味期限ではないか・・・・・

 

そんなに親しい友人でもない60歳の男が大腸癌で死んだ。

昨年のことだ。

診断を告知され僅か1か月のうちに亡くなった。

世話が掛からずに逝ったことが唯一の慰めだ。

 

そして、僕も多分にそうではなかろうか・・・と想像し

とりあえず準備をし始めようとおもっている。

とは言え何から始めるかを考えてみよう。