そう、たしかに人の心は日々変化するし、猫の眼のように色を変える。
複雑であることが、難解であることが、崇高な精神だなんて勘違いしていた時期もあるわけで、
それはそれで、その年齢に適合した感性だっかもしれない。
幼いころにオヤジがよく僕を映画館に連れていた。
決まって、西部劇だった。
勧善懲悪。予定調和の権化だったけれど面白かった。
悪人は悪人らしく、善人は善人らしい顔つきといでたちだったし
ストーリーも顔つきもどんでん返しなどなかった。
久しぶりに西部劇を見たくなって「マグ二フィセント・セブン」を観に行った。
黒澤明の「七人の侍」・「荒野の七人」のリメイク。
筋立てはほぼ同じだったけれど、主人公が金にもならない頼まれごとを引き受けたか?
黒澤明の「七人の侍」での設定より少しだけ掘り下げられていた。
掘り下げるというか、単純に「復讐劇」だというだけだった。
そのほか、登場人物でおもしろかったのは、「イ・ビョンホン」の役設定だった。
中国人がこのころアメリカで生きていくのは大変だったらしく、生き抜くためには一芸に秀でてなくてはならないし
マネージャーも必要だったんだろ。そのマネージャー役の設定が面白い。
元南軍の狙撃兵。イーサン・ホークが適役。腕利きの狙撃手だった。それがトラウマ。その後の人生をダメにしている初老の男。
そんな悲しい男の気持ちを良く分かっていて付き合い続けるイ・ビョンホンが愛おしかったりした。
全編、セリフはワンフレーズで完了してしまうし、くどくど説明するセリフはない。
つまり、言い訳がないのだ。
その変わりといっては何だが、「率直」で「ウソ」のないセリフだということなんだろう。
「愛しているよ」と言えば・・・・「そう。私もよ」
そんなセリフの繰り返し。
へたな駆け引きや打算や信頼を試すことはほぼないのだ。
七人の間では友情などないのだ。
それぞれがそれぞれの思いのなかで敵を殺していく。
殺せば殺すほどに自分の傷口は広がっていく。なのに殺していく。
殺さないと、殺されるからだ。
実に単純でわかりやすい。
人間はそんなものなのだ。
人を殺す力を持っているし、その力を抑制する力も持っている。
死に場所を探すほかなくなるんだろう。
自己犠牲は自己満足。