軽井沢ツウのみなさん 今日はボクからお願いと質問です
ボクの森の下に住んでいる 仲良しの奥さんが お友達から声を掛けられたと 相談されました
そのお友達は 歴史が好きで 明治時代よりも前の
そう 今の国土地理院の地図が発行される以前の道を辿ったりしていることがあるそうです
その人が 追分宿郷土館に見学に行って 展示室の右手の壁面に公開されている
江戸時代の中山道 追分宿脇本陣油屋が 天和元年(1681)に所蔵していたと言われる大絵図を見て
追分宿から 西南の方角の原の中に 文字が書かれていて
つくろう橋(津くらふ橋・・と読める気がするそうだよ)
と書いてある気がして
そんな絵図に書いてあるところほどの場所だから どこのことだろうと興味を持ったそうなんだ
ところが 歴史モンの資料を探してみてもなかなかたどりつけない・・
このところ 機会があってその方面の人に会うごとに聞いてみたりするけれど今のところ判らないのだそうで
通りがかったボクにも声がかかった 「 どこか 誰か 知っているような人 心当たりな~い ? 」 って・・
ここでもお話しした 仲良しだったお爺さんとか むずかしい顔をして時々森に上がって来るどこかの先生とか・・
ボクと話をできる人もいたけれど お爺さんは亡くなられてしまったし すぐにそれらしい人は思い当たらないんだな・・
みなさん もしかして ご存じありませんか?
インターネット上では その橋をこの数年の間に渡ったと ブログなんかで書いている人もいるんだけれど
ちなみに 追分西方向の 千ヶ滝用水温水路のところは 「 橋 」じゃないそうなんだけれどな・・
みなさん お知恵を貸してくださ~~い 誰か この橋の事 知っている人いませんか